89_風巻く姉弟2
胸から血を噴き上げながら両膝を着くヴィオラ。
テオドルに顔を向け、目を合わせる。
「……テオドル……ごめ……ん……」
それを最期の言葉に、彼女はどさりと倒れた。
次の瞬間、俺へ向けてテオドルの槍が突き込まれる。
それを避け、俺はバックステップで距離をとった。
テオドルの槍は攻撃と言うより、俺をヴィオラの亡骸から引き離すものであったように見える。
それからテオドルは、動かなくなった姉を無言で見つめ、そして咆哮した。
「う……あああぁぁぁぁぁーーーー!!」
がきり。
剣と槍が音を上げてぶつかった。
テオドルの槍は目の前に来ていた。
一瞬で踏み込んで来たのだ。
それを防ぎ、こちらも攻撃に転じる。
がきんがきんと甲高い音が幾度も響いた。
剣と槍が火花を散らす。
テオドルの槍捌きは巧みだった。
怒りに我を失ったかに見えたが、そうではないようだ。
そのまま十合、二十合と斬り結び、互いに息が続かなくなったところで後ろへ跳んだ。
間合いを測り直しつつ、呼吸を整える。
肺活量には自信があったが、向こうには魔力による身体強化がある。
この点は互角のようだ。
「はぁっ……はぁっ……」
テオドルも呼吸を整えている。
そして姉の仇を睨みつけていた。
「……僕たちは、命の奪い合いをしている。君はそれに勝った。それだけだ」
「…………」
「姉さんは、敵への憎悪なんて非建設的だと、よく言っていた。戦場で怒りに囚われてはいけないと」
そう言って、テオドルは歯を食いしばり、顔を震わせる。
槍を握る手には、見るからに力がこもっていた。
「……でも!! 僕は君への怒りを抑えることが出来ない! 君の心臓に槍を突き立てなければ、どうにかなってしまう!!」
「ああ……分かるよ」
胸を掻き毟りたくなるほどの感情の暴発。
俺はそこまでのものを経験したことは無い。
だが、そういうものが有るということは理解できる。
とりわけ戦場という場所にあっては当然だ。
「君に……分かるものか!」
そう言って、再び跳びかかって来るテオドル。
分かるものか。
その言葉が俺の胸中に反響した。
たしかに俺は肉親を
それどころか、肉親と戦うことを選んだ人間だ。
だが、喪った人たちを知っている。
喪ってなお、進もうとしている人たちを知っている。
その人たちの心情が分からなければ、俺は共に在ることが出来ない。
だから俺には分かるのだ。
分からなければならないのだ。
「でぇあっ!!」
俺は気合いと共に剣を振り入れる。
再び、剣と槍が激しいせめぎ合いを始めた。
金属音が空気を震わせる。
「君はその剣で、槍に纏われた魔力を消し去るらしい!」
槍を操りながら、そう叫ぶテオドル。
仮説を検証するように俺の表情をうかがっている。
だが、ほぼ確信に至っているのだろう。
彼が聡い人間であることは、戦いを見れば分かる。
「ならば、こうするまでだ!」
そう叫ぶと、槍から魔力が消えた。
代わりに、テオドルの手数が増え、パワーも上がる。
これは……。
「おおおおぉぉぉぉぉっ!!」
雄たけびを上げながら、さらに攻撃の回転を上げていくテオドル。
彼は、槍に纏わせていた魔力も、すべて身体強化に回したのだ。
これを選択できるのか。
俺は驚かされた。
本来なら、筋力を上げるより、槍に魔力を乗せる方が攻撃の威力に繋がる。
武器に通す魔力をゼロにするというのは、戦いの常識から言って普通ではないのだ。
煤の剣が槍の魔力を消し去ってしまう以上、その分の魔力を身体強化に回すのが正解ではあるだろう。
だが、常識から外れることを、命のやり取りの渦中で即座に選択するのは簡単ではない。
テオドルは、それをやって見せたのだ。
「はあああぁぁぁぁぁっ!!」
叫び声と共に、テオドルの攻撃は更に回転を上げる。
捌き切れなくなった槍が、俺の肩口を掠めていった。
「ぐっ!」
煤の剣の重量のお陰もあり、一撃ごとのパワーでは負けていない。身体強化されたテオドルの攻撃を上回っている。
だが手数では後れを取っていた。
テオドルは自らのスピードに振り回されていない。
非凡な槍捌きで、超スピードの攻撃を完全に自分の戦闘スタイルと合致させていた。
「でい!!」
守勢に回ってはジリ貧に追い込まれる。
俺はリスク覚悟で踏み込み、横薙ぎの剣を振り入れた。
剣先が、がりりと金属を撫でる。
剣はテオドルの胸当てを掠めるに留まったのだ。
ダメだ、遠い。
あと半歩が届かない。
「これでもまだ当ててくるとは……! ならば!」
テオドルの姿が目の前から掻き消える。
次の瞬間、
「ッ!!」
俺はその槍を咄嗟に剣で払い、返す刀で中段を振り入れる。
だがその時には、テオドルは既に遠間まで
「速い……!」
彼は、今まで戦ってきた者のなかで最も速かった。
リーゼをも超えるあのスピードでヒット&アウェイに徹した戦いをされると、手出しが出来ない。
「はぁっ!」
「ぐっ!」
そしてテオドルは、突き入れては離れての繰り返しで、俺を削っていく。
なんとか急所はガードし続けるが、手足には無数の傷がつけられ、出血量も無視出来ぬものになりつつあった。
瞬きにもリスクを伴うほどの状況が続く。
槍の穂先は、一瞬で目の前に現れるのだ。
俺はそれをギリギリで防ぎ続ける。
「なんて集中力だ……。ロルフ・バックマン。君がこれほどの敵だったとは」
遠間に離れ、俺を見据えたままテオドルが言う。
その目には忸怩たる思いが浮かんでいた。
「君を侮るべきではない。そう思っていたんだ。だが、まだ侮っていたらしい……!」
悔しげに歯を食いしばり、槍を握りしめるテオドル。
俺への怒りはそのままに、自らへも怒りをぶつけている。
自身に侮りがあったから姉を死なせた。そう感じているのだろう。
「己の不明を悔やんでいるのは俺も同じだ。あんたがヴィオラよりも危険な敵だとは思っていなかった」
俺は、警戒すべきはヴィオラだと思い込んでいた。
だが違った。
この戦場で最も危険な敵は、ヴィオラ・エストバリではなくこの男。
テオドル・エストバリだったのだ。
「今の僕が姉さんを超えていると、君はそう評するのか? だとしたら皮肉な話だ。姉を喪ってやっとここに至るとは」
「俺は皮肉とは思わない。ヴィオラへの
ヴィオラは倒すべき敵の一人だった。
王国の普遍的価値観の持ち主で、それが魔族であれば、子供の命を戦いの手段に用いることも忌避しなかった。
友人には為りえぬ者だったのだ。
だが、その全てを否定し、敵手をただ打倒の対象として捉えるばかりでは、俺は視野狭窄に陥ってしまう。
それは俺から
戦う覚悟はそのままに、敵であっても肯定すべきは肯定し、認めるべきは認めなければならない。
ヴィオラ・エストバリが弟を想う気持ちは本物だった。
彼女はテオドルに向け、最期に「ごめん」と言った。
先に逝くことを、もう共に居てやれないことを詫びたのだ。
姉は最期まで弟を案じた。
ならばテオドルにとっては、姉を超えて強くなる事こそが彼女への手向けとなるだろう。
「………………」
俺の言葉を聞いたテオドルは、どこか遠い目で俺を見つめる。
怒り以外の感情が、その目に去来した。
「………忌むべき背信の徒である筈なのにね。僕に器があれば、戦う前に気づけていたのか……?」
「…………?」
「いくぞ! このまま削り切らせてもらう!」
気合いと共にそう叫び、テオドルは攻撃を再開する。
徹底したヒット&アウェイ。
またも俺は押し込まれていく。
「く……!」
コンマ数秒の世界の攻防が続く。
いずれの攻撃も、テオドルの槍がもう少し遅ければ、俺は対応できていた。
だが、ごく僅かの差で俺は手傷を増やされていく。
槍に纏わせる魔力を全て身体強化に回すという彼の判断が活きたのだ。
びしり。
下段の槍が、俺の大腿を掠めていった。
鮮血が飛ぶ。
耐え続けてカウンターのタイミングを掴みたいところだが、このままでは為すことなく
牽制でも良いから遠距離攻撃が出来れば状況は違ったのだが、とにかく俺は剣しか使えない。
だからフェリシア戦でも守勢に回ったのだ。
いや、フェリシア戦か。
あの戦いで、俺にも得るものはあった筈。
テオドルが強くなったのなら、俺も強くならなければ勝てない。
昨日までの俺より一段上に行かなければ。
それには今日得たものを思い出すんだ。
そう、フェリシア戦で俺は、
ならばテオドルを捉えられないわけが無い。
あの感覚を思い出せ。
そう考え、俺は全身を弛緩させる。
脱力は剣の
だがフェリシア戦で、極意に近づけたような気がする。
だらりと全身を弛緩させ、周囲の空気と体の境界を、意識から排除する。
そしてその意識を、大気に溶け込ませていく。
全身から力が完全に抜けきり、体が流体になったかのようなイメージが浮かぶ。
俺に宿る力がゼロになる。
攻撃すべき瞬間を見極め、これを一瞬で百にするのだ。
それが巨大なパワーとスピードを生む。
俺は、流体の全身と溶けた意識で、テオドルの姿を捉える。
そして、彼が眼前へ迫った瞬間。
全ての力を込めて剣を振り抜いた。
「せぇあっ!!」
剣と槍が交錯する。
二つの刃が閃きながら命を刈り取るための軌道を描いた。
「ぐっ……!」
ずぐりと肉を裂かれる感触。
うめき声を上げたのは俺だった。
俺の剣は空を切り、テオドルの槍は脇腹を抉って行ったのだ。
まだ致命傷ではないと分かっているのだろう。
テオドルはまた
「君は、ここに至るまでに大きなダメージを負っていたようだね。それが無ければ今ので君が勝っていた」
もちろん言い訳にならない。
そもそも、今の攻防は俺が浅はかすぎた。
真っすぐ飛んでくる熱線と違い、テオドルには意志がある。
「やはり君は危険すぎる。最後まで油断はしない!」
そう言って、テオドルはまたヒット&アウェイを再開する。
宣言どおり、あくまでダメージを蓄積させて削り切るつもりなのだ。
「く……ぐっ!」
俺は少しずつ、傷を負わされていく。
脇腹の負傷も大きい。
このまま行けば、間もなくダメージは許容量を超えるだろう。
だが同時に僅かずつ、目的の場所へ近づいていく。
なるべく自然に、追い詰められているようにその場所へ。
「もう少し、もう少しだ! 姉さん、見ててくれ!」
そのヴィオラの元へ、俺は辿り着いた。
第二案だ。さっき少し考えたとおり、遠距離攻撃で行く。
「はぁっ!」
声を上げ、テオドルが向かって来る。
そのタイミングに合わせ、俺はヴィオラの槍を足で掬い上げて手に持ち、投擲の体勢に入っていた。
槍はずしりと重く、どう考えても投擲用の武器ではない。
だが煤の剣という超重量の剣を振り回している俺にしてみれば、投げるのは造作もない事だ。
「せっ!!」
全力の投擲。
槍は、こちらへ真っすぐ向かって来ていたテオドルの足元へ向かう。
狙いどおりのところへ行ってくれた。
「!!」
テオドルは跳躍して槍を躱した。
こちらへ向かって突撃中であった彼は必然、慣性に従って宙を舞う。
逃げ場の無い空中に居る彼に対し、俺は踏み込んで上段斬りを振り入れる。
「ッせぇあぁぁ!!」
舞い飛ぶ煤が弧を描き、次いで斬撃音がざかりと響く。
剣が、空中に居るテオドルを斬り裂いた。
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