87_捕虜救出
男はその名をホルストと言った。
ヴィリ族の兵であり、部隊長を務める腕利きだ。
今は捕虜救出の任にあたっていた。
収容所内で大規模な戦闘が展開されているため、捕虜が囚われている収容棟は敵の姿もまばらだ。
ホルストと仲間たちは、牢番を倒して鍵束を奪い、首尾よく捕虜の救出に至っていた。
捕虜の数は二十余名であった。
衰弱し、歩けない者も居るため、同行した回復術士が回復魔法を施す。
その間、ホルストは捕虜たちの顔を見まわした。
皆、民間人だ。
奴隷として売られたり、死んでしまう者も多いなか、よくこれだけ生き残っていてくれたと、彼は思った。
だが同時に、落胆に肩を落としてもいる。
ホルストには弟がひとり居た。
マルコという名で、同じく兵士だった。
しかし半年前の戦闘で領軍に囚われてしまったのだ。
部隊長を務めるホルストと違い、気弱で兵としてはやや頼りない弟だった。
兄貴みたいに強ければ良かったんだけどね、とよく言っていた。
その弟は、ここに居なかった。
半年も経っている以上、まだここに居る可能性は低いと分かっていた。
だが、実際に居ないと分かると、やはり心は沈む。
戦争奴隷として何処かに売られていればまだ良いが、ここで命を落とした可能性も低くないのだ。
脳裏に弟の、マルコの顔が浮かぶ。
「マルコさん……?」
捕虜のひとり、壮年の男が話しかけてきた。
ホルストが驚いて顔を上げると、男ははっとした表情を作り、それから俯いた。
「あ、いや、そんなわけ無いか。すみません、よく似てたもので……」
「自分はマルコの兄です。貴方は弟を知っているんですか?」
「お兄さん……。そう、ですか……」
男は言い淀む。
ホルストは察してしまった。
「……教えてください。マルコはどうしました?」
「…………亡くなりました」
半ば覚悟していたことではあった。
それでも、その言葉を聞いた途端、視界がぐにゃりと歪み、ホルストは倒れそうになる。
しかしここは戦場で、自分は兵士なのだ。
それを思い、なんとか踏みとどまるのだった。
弟。
弟よ。
気弱で、子供の頃は泣いてばかりいた弟よ。
それでも正しくありたいと、兄と同じ兵士の道を選んだ弟よ。
ホルストは溢れそうになる涙を
そこへ、捕虜たちが何人か集まってくる。
「マルコさんの……?」
「本当、そっくりだ」
「あの、僕、マルコさんのおかげで……!」
「……?」
ホルストには状況がよく分からない。
壮年の男に視線を向けると、彼は言った。
「皆、マルコさんのおかげで生き延びることが出来たんです」
この収容所でのマルコについて、男は教えてくれた。
それはごく単純な、だが余人にとって為しがたいことだった。
マルコは、皆のために努めて明るく振る舞い、希望を与え続けたのだ。
────よし! 次の牢番があのてっぺんハゲのやつだったら百ポイントな!
────ああ、あの集落の! 俺フラれたんだよ昔!
────なぁに! 生きてさえいればどうとでもなる!
────いやいやいや! あいつはてっぺんハゲじゃないって! 別の奴!
牢番が居なくなるタイミングで、マルコは周りの房の者たちへしきりに話しかけた。
いつも明るく、これ以上ない笑顔だった。
応える者が居なくても、語りかけ続けた。
望みを失くして沈んでいた者たちも、次第に応えるようになっていった。
自身が病を得て、衰弱しても、常に笑顔を崩すことは無かった。
最期まで、皆へ勇気を与え続けたのだ。
「彼が居なければ、僕らはとっくに諦めていたと思います」
ホルストは、弟が自分などより遥かに強かったことを知った。
こみ上げる思いが涙となって零れ落ちていくのを止められない。
弟は意味ある戦いに身を投じ、人々を守ったのだ。
そしてホルストは、弟が守った人たちを必ず家に送り届けると誓った。
弟が自らに課した使命を、兄である自分が引き継ぐのだ。
「ホルスト、回復終わったぞ!」
「よし、行こう!」
捕虜たちの回復処置が済むと、ホルスト達は脱出に向け動き出した。
だがそこへ、炎の槍が飛来する。
「伏せろ!」
ホルストが叫び、皆を伏せさせる。
その頭上を通過した
「逃がすかァ! 魔族どもめがァーーー!」
「捕えて人質にするぞ! 手足をもいででも捕まえろォ!!」
「こ、こいつらを盾にすれば俺たちだけでも逃げられるんだ! 急げ!!」
ホルストたちの視線の先には、幾人かの領軍兵が居た。
捕虜を人質にするために来たのだ。
それにより、いまや敗色濃厚な戦場から逃れようとしているらしい。
彼らは指揮系統から外れ、独断で行動しているようだ。
明らかに判断力を失っていた。
いよいよとなれば捕虜を殺すことも厭わないであろうことが、その血走った目から見て取れる。
追い詰められた者たちが激発して捕虜を害する可能性に、ロルフは言及していた。
これがそうか、とホルストは思い至る。
戦闘中に捕虜を救出に来た判断は正しかったのだ。間一髪であった。
いや、そう考えるのは皆を無事に脱出させてからだ。
見ていろマルコ! 俺も戦う!!
胸中で弟へそう叫び、ホルストは領軍兵へ飛びかかって行った。
◆
「はぁ……はぁ……。よし、東側の通用口へ向かうぞ」
ホルストたちは領軍兵に勝利し、収容棟を脱出していた。
敵の数は五名で、ホルストたちと同数だった。
捕虜を守りながらの戦闘である点では不利を強いられたが、敵は判断力と統率を失っていた。
対してホルストらは選抜された精鋭であり、連携も確認済みだ。
結果、彼らは負傷しながらも死者を出すことはなく、通用口へ向かっていた。
「それにしても、まさか領都にまで助けが来てくれるとは」
捕虜のひとりがそう言った。
さっきの壮年の男だ。
マルコのおかげで希望を捨てずに生き永らえてきたが、助けが来る展開は予想していなかった、彼はそう言う。
当然だろう。
ここは敵国の領内。強固な砦に阻まれたその向こう、領都のなかにある収容所だ。
ここまで味方が来るなんて、まず考えられない。
ホルストも、つい先日までそう思っていたのだ。
それがたった五日で、こんなことになっている。
ひとりの人間が現れてからだ。
その人間、ロルフの戦う姿を思い出す。
さっき正門の戦いで見たそれは、決意ある者の剣だった。
本気で剣を修めてきたホルストには分かる。
ロルフの剣は、くだらない者では絶対に至れない領域にあったのだ。
領都の人間たちがマルコを殺した。
人間への憎しみを抑えることは出来ない。
だが、ロルフのような者も居る。
あのような者も居るのなら、人間すべてを憎まずに済むかもしれない。
しかし、そんな彼の思いを皮肉るように、憎むべき種類の人間たちが眼前に現れた。
通用口を囲むように待ち構える領軍兵たちだ。
「逃がさんぞお前ら……!」
「く!」
ホルストは歯噛みした。
敵はさっきと同じ五人。
だが味方は戦闘を経て疲弊している。
そして今度は遮蔽物の無い屋外だ。捕虜を守りながら戦うのはかなり難しい。
あの通用口の向こうから味方が突入し、挟撃になってくれれば、と願う。
だがそう簡単にいく筈も無い。
そう考えるホルストの視線の先で、その通用口が、ばかりと蹴破られる。
そして外から一人の人間が入ってきた。
なぜ向こうから人間が!?
驚愕し、絶望に囚われるホルスト。
だが次の瞬間、それが見覚えのある人間であることに気づいた。
「えっ!?」
短い声をあげる領軍兵を、その男───シグムンドは斬って捨てた。
それを見て、残り四人の領軍兵が声を張り上げる。
「ど、どういうつもりだ!!」
「ザハルト大隊の者だろう!? ここでの裏切りは王国への反逆だぞ!!」
「ああ!? 王国が俺を裏切ってんだよ!!」
正しいのは自分で、国全体が自分を裏切ったのだと言いたげなセリフ。
傲慢な言い様に、ホルストは呆気にとられる。
それをよそに、領軍兵たちはシグムンドに斬りかかっていった。
「貴様ァーー!!」
その叫びに被せるように、がしゃり、ざくりと刃の猛る音が響く。
「げはっ!」
実力差は歴然だった。
瞬く間に残り四人を斬り伏せると、シグムンドは剣を肩に担いで捕虜たちを見まわす。
「ちっ! ジジババまで居るじゃねえか」
そう言って、親指で通用口を指した。
逃げろと言っているのだ。
頷いて、一同は脱出していく。
それを見ていたシグムンドが、
「おい、あのロルフとかいう奴、あいつはどうした?」
「戦っている。敵にはまだ危険な者が居るからな」
ホルストは、さっきの若い女魔導士を思い出す。
おそらく只者ではないだろう。
そして、なお健在のエストバリ姉弟。
未だ強敵たちが戦場に残っている。
「そうかい」
「救援へ?」
魔族の子供を助けるために敵陣へ飛びこんで来た男だ。
さらに捕虜の救出を手助けし、国への叛意まで口にしている。
このまま味方として戦場に馳せ参じても不思議ではないとホルストは思った。
「いや、行かねぇ。あいつなら大丈夫だろ。多分だけど」
「そうか」
先の戦いで、彼はロルフと戦ったらしい。
そのことを思い出し、ホルストは何処か得心した。
剣を合わせた者にしか分からない何かがあるのだろう。
いずれにせよ、自分が手を出せる領域の戦いではない。
だが、自らの使命は達成できた。
弟と協力し、捕虜を救出したのだ。
あとは仲間を信じるのみ。
最後に後ろを振り返り、しばし収容棟を見つめてから、ホルストは通用口を後にした。
◆
領軍兵と傭兵が十余名、横たわっている。
俺が斬り伏せたのだ。
ここの防備は若干厚かった。やはり敵将はこの上に居るのだろう。
そう考えながら、俺は監視塔を見上げた。
俺は仲間たちを信じて捕虜の救出を任せ、敵将を討つべくこちらに来ていた。
このままエストバリ姉弟を討って終わらせる。
そう考える俺の眼に、二人の男女の姿が映った。
監視塔から悠然と降りてくる若い男女。
二人とも槍を持っている。
どうやら向こうから来てくれたようだ。
「はじめまして。私はヴィオラ・エストバリ。こっちは弟のテオドルよ」
「俺はロルフ。勇名轟く貴方たちに会えて光栄だ」
本音だった。
戦いを生業とする者で、エストバリ姉弟を知らぬ者は居ない。
そんな二人に会えるのは喜ばしいことだ。
敵としてでなければ、なお良かったが。
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