85_骨肉相食む2

「斬れる筈が無い……。魔法を斬れる筈なんか無いのに……」


 フェリシアは僅かに震えている。

 彼女は魔法の申し子だ。

 魔法を信じ、魔法を頼みとしてきた。

 その彼女にしてみれば、魔法が一刀のもとに斬り捨てられるなど、およそ許容し得ぬ話だろう。


「だが、斬れている」


「し、信じません! こんなこと起こる筈が……!!」


「ああ、お前が何を信じるかはお前が決めろ。目の前の出来事を事実と信じたくないのなら、そうすれば良い」


「く……!」


 会話に気を引きながら、フェリシアとの距離を少しずつ詰める。

 フェリシアには俺の間合いが分かっていない。

 彼女が予想しているより、かなり遠くから俺は踏み込める。

 その間合いを作れれば勝機が生まれる筈だ。


「そ、それに……、『氷礫』フロストグラベルを空中で捉えるなんて」


「剣を信じて振り続けた結果だ」


「………!!」


 かつてフェリシアに問われたことがある。

 剣を振り続けることに、意味があるのかと。

 いま、答えを見せることが出来た。

 意味はあったのだ。


「そ、それでも……それでも私は……」


 フェリシアまで約七メートル。

 この距離なら、俺は一息でゼロに出来る。

 俺はフェリシアの体を注視した。

 そして息を吐き切った瞬間、最も体が弛緩するタイミングで踏み込む。


「はっ!!」


 一気に接近する。

 その瞬間、フェリシアが咄嗟に魔法を行使した。


「チ、『冷刃』チリィブレイド!!」


 フェリシアの周囲に、二十本にもおよぶ氷の刃が現れた。

 そしてその全てが独立した動きで、俺に襲いかかる。


「!!」


 これには意表を突かれた。

 俺は二十本の刃を、煤の剣で迎撃するかたちになる。


「くっ!」


「多少剣を使えるからって! 調子に乗り過ぎです!!」


 叫ぶフェリシア。

 この数の刃に、それぞれ別の動きをさせる処理能力は、さすがの一語に尽きる。


 だが刃という武器の扱いに関しては稚拙だ。

 怖い角度で飛んでくる刃は無い。


 俺はそれらを一本ずつ無力化しながら、攻撃の機会を探す。

 がきん、ばきんと氷の刃が砕ける音が響いた。

 そして一瞬の間隙を縫って、フェリシアへ突きを放つ。


「くぅっ!!」


 剣先が、彼女の肩口をかすめた。

 黒い刃は装束の下の帷子かたびらを破り、彼女の体へ到達したのだ。

 フェリシアは、残った氷の刃を一気に俺へ叩きつけ、その隙に後ろへ下がる。

 俺は全ての刃を砕いたが、フェリシアとの距離はまた開いていた。


 彼女は左肩を抑えている。

 押さえた手の下からは、血が滲んでいた。


「兄さま……私に……私に剣を……!」


 ショックを露わにするフェリシア。

 同様に俺も、感情の奔流に襲われていた。


 想像してはいた。だが想像以上だ。

 肉をえぐる感触が両手に残り、暴風が俺の胸で渦巻く。

 自然、眉間に皺が寄り、歯を食いしばっていた。

 すべての音が遠くに聞こえ、しかし自身の心音だけが、やけに大きく耳を刺す。

 気を抜けば、自分がバラバラになってしまいそうだ。


 だが、ここで耐えなければならない。

 覚悟を貫かなければならない。

 そうだ。

 覚悟したことだ。決意したことだ。


 俺は全身に力を込め、全霊に喝を入れる。

 そして妹の体に突き立てた剣の感触を頭から追い出す。


 自身の呼吸が止まっていたことに気づき、改めて息を吸った。

 それから目の前に居る人を見据える。


「フェリシア……」


 口をついて、妹の名が零れ出た。

 血を分けた妹。

 肩にその血が滲んでいる。


 その血に囚われようとする心を引き戻し、神経を眼前の戦いに向けた。

 そう、これは戦いなのだ。

 守ると決めたものの為に、俺は戦っているのだ。


「………………」


 ムリにでも息を吸い込み、脳へ酸素を送る。

 心を落ち着かせ、冷静に思考する。

 考えなければ。この後の展開を。


 いま俺は、この戦いで初めてフェリシアに予想の上を行かれた。

 彼女が『冷刃』チリィブレイドのような近接攻撃用の魔法を修めているとは思わなかったのだ。


 戦場において魔導士は普通、遠距離攻撃を受け持つものとして運用される。

 特殊なケースを除き、近接距離クロスレンジで用いる魔法を習得する者はまず居ない。


 使いどころが限られているにも関わらず、習得が難しく、扱いにもクセがあるのだ。

 覚える手間に反してリターンが少なすぎると言われる。


 だがフェリシアはそれを修め、結果、それによって自らを危機から救ったのだ。

 やはり超一流の魔導士と言えた。


 だが、『冷刃』チリィブレイドは魔力消費もかなりデカい。

 ましてフェリシアは二十本もの刃を生成したのだ。

 それは俺の剣から逃れるために必要な判断だったが、結果、相当な魔力を使った筈だ。


 見れば、フェリシアの呼吸がやや浅くなっている。

 『雷招』ライトニング『火球』ファイアボール『炎壁』フレイムウォール『水蛇』ヘイルウィップ『氷礫』フロストグラベルと来て、『冷刃』チリィブレイドだ。

 魔力切れとは無縁な筈の彼女にも、疲れが見え始めているのだ。


 その事実を前に、次の攻め方を構築しようと俺が頭を働かせ始めた時。

 すぐ横にあった収容棟から、爆音が聞こえた。


「むっ?」


 『灼槍』ヒートランスの音だろう。

 収容棟に行った俺の仲間たちも、当然会敵する。

 戦闘音が聞こえてくるのは自明のことだ。


 このとき俺は、収容棟を目の当たりにし、心のどこかに言い知れぬ感情を生じさせていたらしい。

 ここは、ミアが囚われ、筆舌に尽くし難い無体に晒され、そしてその姉が命を散らした場所なのだ。


 加えて、フェリシアへ剣を突き立てた事による俺の心の乱れは、恐らく収まっていなかった。

 俺の精神は、その奥底に惑乱を抱えたままだったのだ。


 それらの理由により、俺の心で一時いっとき、緊迫感に間隙が生まれた。

 心が戦場から乖離してしまったのだ。

 その結果、数秒であっただろうか、俺は、音があがった収容棟の方へ視線を取られてしまった。


「ッ!!」


 俺は道を歩み始めたばかりの未熟者だ。

 ミスも犯す。


 だがそれにしても、あり得ぬ失態と言うべきだった。

 フェリシアの方へ向き直った時、彼女は既に魔法の準備を終えていた。


 彼女ほどの魔導士に数秒もの時間を与えたらどうなるのか。

 次の瞬間、俺は後悔と共にそれを理解することになる。


『凍檻』コキュートス!!」


「!!」


 凍結系最強魔法!

 そんなものまで!


 俺を囲む、大きな青い立方体が出現する。

 俺は外界と完全に遮断された。


「────ッ!!」


 思考している暇は無い。

 行動を選択している暇は無い。

 俺は立方体の面に向け、即座に煤の剣を振り抜いた。


 がしゃりと音がして、立方体がはじけ飛ぶ。

 外界に帰還した俺は、剣を地に刺して膝をついた。


「が……はッ……!」


 魔法の発動から脱出まで、一瞬を数十分の一にした時間のなかで行われた。

 『凍檻』コキュートスは、あらゆる生命活動を停止させる空間に、対象を閉じ込める魔法だ。

 あの立方体に閉じ込められた者は、即座に死ぬ。

 俺は即座に死ぬ空間から、即座に脱出したのだ。


 だが立方体が出現した時点で、魔法はその効果を発現させている。

 俺の体は、死が完成する一歩手前までのダメージを受けていた。


「なるほど……こ、こうなるのか。『凍檻』コキュートスから生還したケースなど報告されていないから……これは貴重な事例だな……」


 俺は努めて冷静に、自分に起きたことを分析する。

 それとは対照的に、フェリシアは自失していた。


「あ……あ、あ……」


「フェリシア」


「わ、私、兄さまを……兄さまを」


「フェリシア」


 俺は膝を着いたまま、彼女に呼び掛ける。

 フェリシアは真っ青な顔をしていた。

 魔力の欠乏もあるが、それだけじゃない。

 即死魔法を兄に対して行使したフェリシア。

 その事実に、彼女自身が衝撃を受けているのだ。


「だ、だって、私……」


 完全に戦闘の続行が不可能になっている。

 そこへ呼びかけるのは利敵行為かもしれない。

 だが俺は、妹に声をかけ続けた。


「フェリシア、聞くんだ」


「に、兄さま。私……私、いま……」


「間違っていない。お前は、お前が守るべきものの為に戦え」


 そう。どちらかが間違っているという話ではないんだ。

 人は皆、自ら信じたものの為に歩むしかないんだ。


「で……でも……」


「良いかフェリシア。家族や恋人と、思い描いた未来を作れれば最良だ。だが悲しいことに、誰もがそこへ至れるわけじゃない」


 フェリシアはかたかたと震えている。

 唇が色を失っていた。


「人には信じるものがあり、立ち向かうべきことがあるからだ。それに直面した時、人は戦うしかない。……戦うしかないんだ」


「わ、私はっ!!」


 ぼろぼろと落涙するフェリシア。

 改めて見れば、本当に整った顔立ちをしている。

 こんなに美しいひとが俺の妹だとは。


「兄さまがっ……! 先に貴方が、兄さまをやめてしまったのに……! 私には兄さまが要るのに! それを貴方がぁ!!」


 フェリシアは、涙と共に絶叫を吐き出した。

 何年も抱えていた思いを吐き出しているのだ。


「私はっ! ずっと兄さまが……! ずっと、いつも……! それなのに……それなのに!!」


「進むしかない。戦うしかない。フェリシア、俺は…………敵だ!」


「あああああぁぁぁぁぁーーーー!!」


 叫び声に応じるかのように、魔力がフェリシアの周囲で渦巻いた。

 そして彼女の前に、赤黒いいかずちが集まり、ばしばしと音をたてる。

 収束した雷は、その絶大なエネルギーで大気を震わせた。


「その雷は……」


「だったら! だったら、もう……! これでぇ!!」


 『冷刃』チリィブレイド『凍檻』コキュートスと、それだけでも俺は既に度肝を抜かれているが、彼女にはまだその上があったのだ。

 初めて見るが、あの赤黒い雷は、王国全土でも使える者は殆ど居ないという超高難度魔法に違いない。


 そして、俺の予測をなぞるようにフェリシアが叫ぶ。

 幼いころの癇癪を思わせる、泣きはらした絶叫だった。


『赫雷』イグニートスタブ!!」


 フェリシアが放ったのは、絶対に回避不可能な熱線を撃つ魔法だった。

 この魔法は、対象の体を標的化マークし、確実にそこへ射線を通すのだ。

 どちらへ逃れようと、熱線は必ず標的を撃ち抜く。

 不可避の攻撃魔法だ。


 既に立ち上がっていた俺は、フェリシアの眼を見つめる。

 そして赤い眼の奥にある、彼女の心を読み取る。

 思考を加速させ、圧縮された時のなかで、勝敗を分かつ心理戦を展開した。


 そして、それはすぐに見つかった。

 フェリシアの眼の奥にあったのは、甘い覚悟と悲愴な逡巡だ。

 まだ戦い抜く覚悟には至れておらず、しかし眼前の戦いに背を向けることも出来ず、どっちつかずの思いに苦しんでいる。


 彼女は、俺の頭や胸を撃ち抜くことは出来ない。

 四肢のいずれかを飛ばして済ませることも出来ない。

 狙ってくるのは、腹だ。


 俺は煤の剣を、腹の前で横薙ぎに振り抜く。

 過去最高の剣速だった。


 ────バシュッ!


 赤黒い熱線が、斬り裂かれて消滅する。

 舞い飛び、俺の周りに音もなく降る黒い煤。


 絶対不可避の魔法が破られた瞬間だった。

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