84_骨肉相食む1

『雷招』ライトニング!」


 フェリシアが杖をかざすと、その先の空間から雷光が走る。

 初級魔法に分類される『雷招』ライトニングだが、フェリシアのそれは甘いものではない。


 俺は即座に横へ転がって回避する。

 次の瞬間、俺が居た場所を、幾条もの雷光が激しい音を立てながら通過していった。

 威力も発生の早さも、普通の術者の『雷招』ライトニングとは全く違う。


 俺はその雷光に照らされながら、第五騎士団の魔導部隊について思い出していた。

 ゴドリカ以降の軍拡で、第五騎士団の人員も増え、現在、魔導部隊は五つ存在する。

 それぞれに部隊長が居り、彼らは皆、折り紙つきの実力者だ。


 そして更にその上、すべての魔導部隊を統率するのが総隊長なのだ。

 第五騎士団における最強の魔導士である。


 十九歳という若さでその地位にあるのが、目の前に居る俺の妹、フェリシアだ。

 エミリーという国家的英雄の陰に隠れがちだが、彼女もまた不世出の天才なのだ。


 騎士団に入団した際、魔導部隊に配属された者は、まず最初に基本魔法の『火球』ファイアボールを教わる。

 フェリシアがその時、初めて作り出した火の玉は、先輩が見せた手本の三倍ほどもある大きさだったのだ。

 団内では有名な逸話である。


 そして兄として成長を喜ぶべきなのだろうか。

 いまフェリシアが天にかざした掌の先には、あまりに巨大な火の玉が浮いている。

 太陽を想起させるそれは、通常の五倍以上の大きさだった。


『火球』ファイアボール!」


 ごう、と音をたてて火の玉が飛来する。

 赤熱するその表面を見れば、込められた魔力は五倍どころではないと分かる。


 その破壊的な圧力に恐怖し、慌てて飛び退すさった俺へ、フェリシアの放つ二の矢が直撃する。

 吹き飛ばされた俺は、全身に土をつけながら地面を転がり、そして倒れ伏す。

 地に横たわる加護なし。第五騎士団の訓練でよく見られた光景である。


 それがフェリシアの頭の中に描かれた展開だ。

 彼女にとっては外れようの無い予測だろう。

 だから剣を上段に振りかぶり、火球に正対する俺の姿を映す彼女の目は、これ以上ないほどに見開かれていた。


「ふっ!」


 ごひゅんと響く、蒸発音に似た音。


 それは巨大なエネルギーが一瞬で消失したことを示す音だった。

 火の玉は煤の剣によって両断され、跡形もなく消え去ったのだ。


「えっ?」


 フェリシアは事態を理解できない。

 判断力を喪失したことが、その表情から見て取れる。

 チャンスだった。

 俺は剣を下段に構え、彼女との距離を詰める。


「あ……く! フ、『炎壁』フレイムウォール!」


 俺がフェリシアに肉薄するより一瞬早く、彼女は自失から回復した。

 そして至近距離で炎の壁を展開する。


「せあっ!」


 俺はその壁を剣で斬り裂く。

 だが炎が霧散した先、フェリシアは既に離れていた。


「いま……何をしたんですか?」


「…………」


「魔法を斬ったように見えましたが」


「そう見えたんなら、そうなんだろう」


「な、何をバカな! そんな事があるわけ……!」


「そう思うなら、刃の前に身をさらせば良い。魔法障壁があるのだから安全だろう」


「こんな………こんな筈が……」


 この類の「こんな筈が」というセリフが好きじゃない。

 俺には、どうにも度し難いものに思える。

 神を奉ずる者ほどこれを言う。神の法にそぐわないものをあり得ないと断ずるのだ。

 その出来事が目の前で起きているにも関わらず、眼前の事実の方が間違っていると考えたがる。


 俺に言わせれば、それは逃避でしかない。

 妹がその手合いであったことは残念だが、これは勝機だ。

 彼女の思考が事態に追いつく前に、俺は再度距離を詰めに行く。


「くっ! 『水蛇』ヘイルウィップ!!」


 駆け出した俺に、水の鞭が襲い来る。

 フェリシアのそれは、鎧を裂くほどの威力を持っている。

 処理を間違えれば、魔法障壁を持たない俺はひとたまりもない。

 俺は落ち着いて、水の鞭に剣を振り入れる。


 フェリシアが首ではなく足元を狙って来たのは、なお戦いに覚悟を持てない甘さゆえだろう。

 だが彼女にとってそれは奏功した。

 俺は足を止めて水の鞭を斬らねばならず、結果、また彼女との距離が離れてしまったのだ。


「く……兄さま!」


 距離を取ったフェリシアが、額に汗を浮かべている。

 彼女が、この程度の魔法の連続行使で疲れる筈はない。

 彼女を襲っているのは、状況を理解できないがための、精神の疲弊だろう。


「どういう、ことですか……?」


 問いを無視し、フェリシアとの距離を測り直す。

 焦燥に満ちた表情を浮かべるフェリシア。

 その顔を見れば俺が押しているようにも思える。

 だがその実、俺はまだ一度も攻撃できていない。


 後の先を好む俺だが、魔導士相手にそれでは立ち行かない。

 俺には近距離の攻撃手段しか無いのだ。


 このまま魔法を撃たせ続けては、いずれこちらが追い込まれるかもしれない。

 なにせ一度でも処理を誤って直撃を食らえば、そこで勝負がついてしまうのだ。

 相手が凡百の魔導士であれば、魔力切れを狙う手も考えられるが、膨大な魔力を持つフェリシアが相手では恐らく厳しい。


 やはり近づかなければ話にならない。

 俺は一歩ずつ、間合いを確かめながらフェリシアとの距離を詰める。


「どういうことなのかと聞いてるんです!!」


「言葉が足りていない。わかるように質問しろ」


「魔法を斬ってるかのようなそれは、一体なんなのですか!!」


「実はな、魔法を斬ってるんだよ」


「……ッ!!」


 フェリシアの顔が怒りに赤く染まる。

 やはり駆け引きの方はまったく不得手なようだ。

 昔から素直な子だからな。


 腹の探り合いに長けた子に育ってほしい、などと思ったことは当然ないが、こうも簡単に冷静さを失ってしまうようでは心配になる。

 俺にその心配をする資格はもう無いのだろうけれど。


「ふざけないでください! 貴方に戦う術なんて無い! あるわけが無い!」


 フェリシアが杖を胸の前で横向きに構える。

 そこに収束する魔力が、白い冷気をまとって現出した。

 あの構えは、フェリシアの十八番おはこだ。


『氷礫』フロストグラベル!!」


 拳大こぶしだいの氷のつぶてが幾つも現れ、俺に向かって猛スピードで飛んでくる。

 同時に五つ出せれば上出来と言われる礫が、その倍以上の数で襲いかかって来た。


 単に得意魔法を選んだだけなのか、思ったよりは状況が見えているのか。

 『氷礫』フロストグラベルは良い手だ。

 俺が魔法を斬ることが出来るとしても、それには剣で魔法を捉えなければならない。


 ならば剣による対応能力の限度を超えた攻撃をすれば良い。

 大きな火の玉や炎の壁ではなく、小さな礫を複数同時に叩きつける。

 それなら剣で斬ることは出来ないと、普通なら考えるだろう。


 だが彼女が凡百の魔導士ではないように、俺も一応、凡百の剣士ではない。

 俺は真っすぐに立ち、剣を下段に構える。

 そして飛来する礫の群れに目を向けた。


 ひとつの礫に焦点を合わせるのではなく、遠くを見やるように礫の群れを視界へ収める。

 見るというより、全体像を掬い取る。

 そして全ての礫の動きを把握するのだ。


 礫は全部で十二個。

 そのうち八個は俺ではなく、俺の回避先を塞ぐように飛んで来ている。

 こちらの動きを掣肘せいちゅうするためのものだ。

 この場を動かず、残りの四つを処理するのが最適解となる。


 俺は一瞬で肺の中の空気をすべて吐き出し、次に脱力する。

 放たれた『氷礫』フロストグラベルが俺の体に殺到するまで、コンマ数秒しかない。

 その間に、迎撃の準備を終えなければならない。


 だが決して焦ってはならないのだ。そこが難しい。

 少しでも準備に不十分な点があれば、迎撃に失敗し、俺は礫の直撃を受けることになる。

 だから慌てず、全身を弛緩させ、意識を周囲の空気と一体化させてゆく。

 そして、それが完了した瞬間、全身の神経を一瞬で活性化させ、剣を振るった。


ッ!!」


 かきんと氷塊が砕ける音が、ほぼ同時に四つ響く。

 氷の礫は空中で黒い刃によって斬られ、消え去った。


「………!?」


 絶句するフェリシア。

 想像を超える事態に相次いで直面し、思考が追いつかないでいる。


 もっとも想像力の限界を感じているのは俺も同じだ。

 辺境の地でフェリシアと戦う未来など、つい最近まで考えてもいなかったのだから。


 予想できない人生だからこそ退屈しない、とでも思えれば良いのだろうが、そう言ってのけるには、世界は酷薄すぎる。

 人の世の無慈悲を思うと、自然、剣を握る手に力が入るのだった。

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