83_覚悟のもとに

 どうにも運命ってやつは、過酷だったり皮肉だったりするばかりだ。

 いずれ近しい人と対峙することを覚悟してはいた。

 だがまさか、この地でいきなりとは。

 誰かに何かを問われているかのようだ。


 ……いや違う。

 運命論はよそう。

 これは俺の選択だ。

 自らの選択の結果、俺は戦場で血を分けた妹と、フェリシアと対峙しているのだ。


「……そっちの魔族たちは、先へ行かせてください。彼らは収容棟へ用があるんでしょう?」


 フェリシアは、事も無げに言った。

 部隊の魔族兵たちが、困惑した表情を俺に向ける。


「行ってくれ。彼女は俺に話があるようだ」


「……わかりました。ロルフさん、お気をつけて」


 彼らは優秀で、判断が早い。

 すぐに駆け出し、収容棟のなかへ踏みこんで行った。

 それを見届け、俺はフェリシアに向き直る。

 彼女も俺を見つめ返した。


「ずいぶん汚れてますね。それは煤でしょうか」


「戦場で汚れるのは当然のこと。気にするな。それよりフェリシア、どうしてここに居るんだ?」


「もうフェリシア様とは呼んで下さらないのですか?」


「呼んだ方が良いかもな。戦う相手には敬意を払うべきだ」


「…………っ!」


 フェリシアの顔が強張る。

 戦う相手。

 俺はハッキリとそう告げたのだ。


「……元々は、参謀長の件を兄さまにただすために来たのです」


「参謀長。ああ」


 第五騎士団が参謀長を募った件か。

 あれが俺への呼びかけであることは分かっていたが、俺は応じなかった。


「なぜ来なかったのですか?」


「決意して踏み出した道を、戻る理由が無いからだ」


 参謀長の呼びかけがあった時、俺は魔族領へ赴こうとしていた。

 約束があり、行くべき場所があったのだ。

 だがそれが無くても、俺は呼びかけに応じなかっただろう。

 道はすでに分かたれていたのだから。


「兄さま、貴方は追い出されたのですよ? それを、決意して踏み出したなどと。大仰で不相応だとは思わないのですか?」


「思わない」


「私は思うと言ってるんです!」


 理屈の合わない言い様に聞こえるが、フェリシアは今、懸命に感情を吐露しようとしているのだ。

 俺と話すために辺境まで来た妹に、俺は向き合わなければならない。


「フェリシア。決意とは、ただ自らの魂に火を灯す行為を言うんだ。そこに相応も不相応も無い」


「聞いた風なことを! エミリー姉さんが、どんな思いで手を差し伸べたと思うんですか!!」


 激昂するフェリシア。

 彼女のこんな姿を見るのはいつ以来だろうか。

 小さいころに、ちょっとした癇癪を起すことが数回あったぐらいで、それからは怒声を上げることなど、まず無かった。

 幼いフェリシアの姿を想起している俺に、目の前のフェリシアが声を低くして問う。


「……教えてください。エミリー姉さんの馬を逃がしたんですか?」


「その件については、あの審問会で既に否定した。何故また聞く?」


「貴方が誤魔化してばかりだからです! それに! あの夜、街で娼婦と耽っていたというのは本当なんですか!?」


「それは幹部たちが勝手に言っているだけだ。なんの根拠も無いぞ」


「私だって信じたくありません! でも!!」


 声を張り上げるフェリシア。

 癇癪を起こす幼いころの姿が重なる。


「フェリシア。俺は訳あって、あの審問会で真実だけを話してはいない。だが間違いなく、俺は馬を逃がしていない。娼婦を買ったという件も……それが必ずしも誤った行為だとは俺は思わないが、お前が気にするなら改めて否定しておく。俺にそういう事実は無い」


「…………」


「そのうえで、お前が何を信じるかは、お前が決めろ。俺はもう兄として、そこを手伝ってはやれない」


「……何を今さら。貴方が兄らしくあってくれたことなんて、もう……」


 そうだな。

 兄に範を垂れるよう求めるのは、ごく正当な要求だ。

 俺はそれに応えることが出来なかった。

 彼女の、妹としてごく当然の希求に、応えてやることが出来なかったのだ。


「……兄さま。どんなトリックで戦えるように見せかけているのか知りませんが、ここは戦場です。詐術だけで立ち回れるものではありません」


 フェリシアは、諭すように語りかけてくる。

 銀の杖を、胸の前で強く握りしめていた。


「ここで私と戦っても、兄さまに勝ち目は無いんです。それはよくお分かりの筈。帰りましょう? 居るべき場所へ」


 居るべき場所。

 在るべき自分。

 挑むべき命題。


 難しいよな、フェリシア。

 それが一向に見つからない者も居る。

 だが、俺はもう見つけたんだ。


「反省を示して戻りましょう。エミリー姉さんには、今や凄い発言力があるんですよ? 魔族にそそのかされたとして、エミリー姉さんの庇護下に入れば、きっと───」


「すまないが、俺は帰らない」


 俺は俺の居場所から去るつもりはない。

 俺の戦いから逃げるつもりはない。


「……帰らないと、聞こえましたが」


「ああ。そう言った」


 沈黙。

 フェリシアは目を伏せている。

 俺と違って美しい赤色をした瞳が、長い睫毛に隠れていた。


「……いい加減に、駄々をこねないでください。戦えない貴方が、ここに居て何をするというのですか。……これ以上、見苦しい姿を見せないでください」


 見苦しい姿、か。

 俺は今まで、自分の見苦しさを恐れなかった。

 あの騎士団での日々。

 傷だらけで地に転がされても、その先にあるものを信じ続けることが出来た。

 だがフェリシアは、その間ずっと、地を這う兄の姿を目にしなければならなかったのだ。


「兄さま、帰りましょう? こんなバカげた戦い、もうやめましょう? ヴァレニウス家で職をもらって、それから───」


「フェリシア、すまない」


 俺は首を横に振ってそう言った。

 俺の妹は、胸を悲痛な思いで満たし、願っている。

 それは分かる。

 だが俺は帰れない。

 いや、帰らない。


「たしかに私たちは兄さまを追放しました。……でも仕方ないじゃないですか! 兄さまだって、真実を話さなかったんでしょう!?」


 感情を爆発させるフェリシア。

 抑えることの出来ない叫びが吐き出される。

 目には涙が浮かんでいた。


「参謀長の時、あれが呼びかけだって分かってた筈です! 兄さまが戻ってくると思ったのに!! 私もエミリー姉さんもそう思ったのに!!」


「…………」


「……裏切るんですか? 私たちを。愛した女性を。血を分けた家族を。行き違いはありました。でも、すべてに背を向けて去るのが正しい在り方なんですか?」


 フェリシアの声が震えている。

 俺は、兄らしいことをしてやれなかったこの妹に、せめて伝えようと思った。

 俺が思う人の在り方を。


「この現実は……いいかフェリシア、よく聞くんだ。ここにある現実はな、酷薄で、理不尽で、そして冷笑的なんだ。それは人から奪うし、失わせる」


「…………」


「俺は、それに立ち向かわなければならない」


「……現実って何ですか。何に立ち向かうんですか?」


「ロンドシウス王国」


「!!」


 フェリシアの顔が色を失う。

 兄の口から、明確な反逆の意志を聞いたのだ。


「……本気で……人間を裏切るんですか? 魔族に寝返るんですか?」


「人間も魔族も無いが、あえて言えば俺は、人だからこうするんだ。信じるもののために立ち向かうのが人だと思うから、だから俺はこうするんだ」


「じゃあ、その王国の騎士である私とも戦うんですか?」


「……戦う。必要とあらばな」


 俺の答えを聞いて、フェリシアは押し黙った。

 俯き、地面を凝視している。

 それから暫くの沈黙を経て、ゆっくりと口を開いた。


「……貴方の四肢を折り砕いて連れ帰るのも、私には容易いことなんです。私と貴方の実力差が分かっていますか?」


「フェリシア。俺は四肢では済ませない。戦いとなれば、俺は容赦も妥協もしない。それが、戦場で持つべき敬意だと思うから」


 フェリシアは顔を上げ、俺をきっと睨みつけた。

 赤い瞳は、涙に滲んでもなお美しい。


「私に! 勝つ心算つもりなんですか!! 総隊長である私に!! 加護なしのロルフ・バックマンが!!」


「ロルフだ」


「えっ?」


「俺はロルフ・バックマンじゃない。ロルフだ」


「……ッ! 王国貴族の姓は捨てると? だったら父母からもらった名も捨てたらどうですか!?」


「ロルフという名は気に入っている」


「………………もういい。もういいです」


 フェリシアを中心に魔力の奔流が渦を巻く。

 感情のたかぶりに呼応し、その強烈な魔力が現出げんしゅつしているのだ。

 空気がずしりと重くなる。

 圧倒的な力を持つ魔法の申し子に、世界がこうべを垂れているかのようだ。


「立ち向かうと言いましたね。現実と言いましたね。でも、これこそが現実。何にも立ち向かえないのが、貴方の現実なんです。兄さま」


 フェリシアの周囲に魔力光が迸る。

 その美しさに一瞬目を奪われそうになりながら、俺は剣を構えた。

 避け得なかった戦いが始まる。

 覚悟を示すべき時が来たのだ。


「その愚かさを思い知らせてあげます!! 後悔なさい!!」


 第五騎士団 魔導部隊 総隊長 フェリシア・バックマン。

 この戦場にあって、倒すべき敵だ。

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