80_理外の敵襲

 領都 北側広場。

 俺たちは、東側の門を攻めていた部隊と合流した。

 今は軍をまとめ、再編成を行っている。


「業腹だが……やはり辺境伯は逃げるだろうな」


 領都の地図に目を落としながら、フォルカーが言う。

 彼は合流の途上で蔵書院を押さえ、地図を確保していたのだ。

 まわりには部隊長たちも居る。


「痛いけど仕方ないね」


 リーゼの言うとおり、辺境伯に逃げられるのは痛い。

 ストレーム辺境伯家は、中央から承認されて何代もこの地を治めている。

 俺たちが領都を占領しても、別の地に辺境伯が居る限り、彼は領主としての正当性を主張し、この地を奪還する勢力の旗印になるだろう。


 だが、これもリーゼの言うとおりだが、仕方ない。

 領都アーベルは大きすぎる。

 兵力で領軍に勝る俺たちだが、領都を包囲できるような規模ではない。

 逃亡を阻止できないのだ。


 辺境伯の逃走ルートにあたりをつけて網を張ることも出来なくは無いが、そのためにはかなりの兵を割かなくてはならない。

 それは下策だろう。領都の占領の方が重要なのだ。


 だから去る辺境伯は追わず、領都を確実に落とすのが俺たちの既定路線だ。

 主の去った街で重要拠点を押さえ、領軍を無力化する。

 それで占領は完了だ。


「ロルフ。領軍が本部に立てこもる可能性は低いんだよね?」


「ああ。領軍本部は軍事施設ではあるが、防衛戦には向かない。詰所なんかがあるだけだからな」


 ふむ、とフォルカーがひとつ息を吐き、地図を指さす。


「では、やはり敵が防衛拠点に選ぶのはここだろうな」


 周囲の部隊長たちが頷いた。

 フォルカーが指さしているのは捕虜収容所だ。


 収容所も重要拠点であり、俺たちとしては制圧して捕虜を解放しなければならない。

 領軍を無力化し、街を占領してから捕虜の解放に及べればそれでも良いのだが、領軍がその収容所に立てこもるなら、攻め入って彼らを無力化する必要がある。


「壁に囲まれ、門は正面にひとつあるのみ、か」


 腕組みして重々しく言うフォルカー。

 収容所は当然、壁に囲まれている。

 門はひとつで、他はいくつかの小さな通用口があるのみだ。


 それは外敵からの守りを想定したものではなく、内側から逃がさないための作りであるわけだが、領軍はそれを頼みにして防衛戦を展開してくるだろう。

 通用口は突入には向かない。

 こちらとしては、領軍が待ち構える正面の門から攻め入るしか無さそうだ。


「良いでしょうか?」


 部隊長のひとりが挙手した。

 フォルカーが頷いて先を促す。


「収容所に……いえ、この街全体に大勢の魔族が囚われているわけですが、彼らを人質にされる可能性はありませんか?」


「うむ。そういう勧告が来るかもしれんとは思っていたが、今のところ来ていないな。お嬢の方にも来てませんよね?」


「来てないよ」


 そう。敵に打てる少ない手のうちの一つがそれだ。

 だが、そういう動きは無かった。


めいに勧告が無くても、収容所の攻防のなかで敵が獄中の捕虜を害する可能性はあるんじゃないですか?」


 部隊長の声は不安げだが、表情には強い意志が見える。

 囚われた仲間を心配する思いと、彼らを救いたいという思いが胸中にあるからだ。

 俺は、この問いに答えるべく挙手して、力強く言った。


「良いだろうか?」


「なんで急に挙手してんの?」


 いや……今そこの部隊長がそうしてたから倣ったんだが。

 俺なりに彼らに認められるよう気をつけているのだが、どうも空回りするきらいがある。

 ひとつ咳払いし、気を取り直して言った。


「彼の懸念は的を射ている。敵が劣勢になれば、捕虜の首筋に刃をあてて何事かを要求してくる可能性はあるだろう」


 皆が俺に真剣な顔を向ける。

 誰もが虜囚のことを心底から案じているのだ。


「まして、敵にはもう後がない。追い詰められた者たちが激発に至るのは戦史によく見られることだ。道連れとばかりに、無為に捕虜を殺す可能性すらある」


 全員の顔が緊張で強張る。

 当然だろう。

 領軍を倒して領都を占領しても、そこに救いたかった者たちの死体が横たわっているようでは、喜ぶことなど出来ない。


「では、どうしたら良いですか?」


 さっきの部隊長が問う。

 声には緊迫感が満ちていた。

 もしかしたら、彼の近しい者が囚われているのかもしれない。


「敵に軽挙のいとまを与えない。正門を抜いたら、特定の者のみで電撃的に牢を突き、捕虜を保護する」


 収容所の構造はシンプルだ。

 収容棟と、おそらく領軍衛兵らの詰所などがある管理棟、そして監視塔があるだけだ。


 捕虜は収容棟に居る。

 そして戦闘が始まれば、どうしたって収容棟の守りは薄くなる。

 そこを突いて彼らを保護するのだ。


「単純だが、それがベストだろうな」


 そう評価したフォルカーが続けて問う。


「で、それは誰が行く?」


「個の戦闘力に優れた者が行くべきだ」


 俺が答えると、皆が周囲を見まわした。

 それから一人が口を開く。


「ロルフさんでしょうね」


 その男は、北側の攻撃に参加していた中級指揮官だった。


「えー、こないだまで私が最強だって言ってたじゃん」


 リーゼが唇を尖らせる。

 冗談めかした言い方だったが、男は恐縮してしまった。


「いや、リーゼさんも強いですが……」


「皆の意見は?」


 そう言って、他の皆にも意見を求めるフォルカー。

 それを受け、ひとりが前に出る。


「ロルフさんの剣の腕はズバ抜けてます。それに戦いを見てて思いましたが、彼は……信頼できる」


 信頼。彼はそう言ってくれた。

 敵性種族である俺を、信頼すると。


 まわりから反対意見は出なかった。

 何人かは頷いている。


「ロルフ、良い?」


「ああ、任されよう。だが一人ですべてを為そうと思えるほど自信家にはなれない。何人かつけてくれ。いきなり人間が行っては、捕虜が脱出してくれない可能性もあるしな」


「分かっている。すぐに選定する」


 そう言って、フォルカーが編成表に目を落とす。

 その横で、リーゼが俺に促した。


「あとロルフ、例の傭兵団の話をお願い」


「そうだな。皆、聞いてくれ。辺境伯は兵力差を埋めるために、傭兵団を雇っている。先の戦闘では、ザハルト大隊という者たちが確認された」


 皆と目を合わせながら、そう告げる。

 危険な敵の情報は、漏らさず共有しなければならない。


「聞いたことがあります。たしかリーダーの姉弟、とりわけ姉がものすごく強いって」


 そう言った部隊長の顔には緊張の色が差している。

 ザハルト大隊の名と姉弟の強さは魔族にも伝わっているようだ。


「そうだ。姉弟以外も強者つわものぞろいだろう。領軍とは明らかに装備が違うから、見ればそれと分かる。気をつけろ」


「ひとりで彼らと相対あいたいする状況を作らないでね。兵力では勝ってるんだから、数的優位を維持するよう努めて。捕虜を助けても、みんなが死んだら意味ないんだからね」


 リーゼの言葉に皆が頷く。

 フォルカーも頷いていた。


「特に危険な、幹部と思しき者たちについて詳しい情報があるので───」


「失礼します! あ、あの! 今そこに、敵が!」


 俺の言葉は、飛びこんで来た一人の兵によって遮られた。

 彼がもたらした報告に、皆が驚愕の表情を浮かべる。


「向こうから攻めて来たのか!?」


 フォルカーも驚きに目を見張り、そう質した。

 たしかに予想外だ。

 収容所で防衛戦に持ち込むのが彼らにとって最善である筈だが。


「い、いえ! それが……!」


 ◆


 広場の入り口へ向かうと、そこでは、やや困惑した面持ちの魔族兵たちが取り囲むなか、人間の男が蹲っていた。

 男は魔族の少年を抱きかかえている。

 少年は血まみれで、男は滂沱ぼうだの涙を流していた。


「おい! 回復魔法はまだか!! ち、畜生! ガキなのに! まだガキなのに死んじまう! うおおおああああぁぁぁぁぁぁ!! 死んじまう!!」


 少年の胸には包帯が巻かれており、止血が為されているようだが、見るからに息が浅く、予断を許さない状況であることが分かる。

 リーゼが周囲の兵に問いかけた。


「回復術士は!?」


「もう呼びに行かせました! 医療班と共に、今こちらへ向かっています!」


「畜生! 畜生! モタモタしてんじゃねえ!! 何やってんだお前ら! こいつの仲間だろうがぁ!! 仲間なんだろうがぁ!!」


 その絶叫は悲しく痛々しいものであったにも関わらず、周囲を圧倒した。

 兵たちはその場から動けないでいる。


 そして俺は驚いていた。

 顔が涙でグシャグシャだったため一瞬わからなかったが、俺はこの男を知っている。

 あの剣の男、シグムンドだった。


 そして彼が再度絶叫するなか、人垣の向こうから回復術士と医療班が到着した。

 すぐさま少年を診ながら回復魔法を施す。


「どう?」


「傷は浅く、急所を外れています。助かりそうです」


 リーゼの問いに、医療班の男がそう返した。

 周囲から安堵の溜息が漏れる。

 そしてその間も、シグムンドは鬼気迫る表情で少年を見据えていた。

 その表情を見て、俺は理解する。


 この男は、友だ。

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