78_跪かぬ男

 辺境伯の屋敷、一階 大ホール。

 ストレーム辺境伯は落ち着きなく歩き回っていた。

 執務室で待っていられず、一階まで降りて来たのだ。

 周りには誰も居ない。

 呼び出した者たちもなかなか来ない。


 長い夜が明けたが、朝の清浄な空気など何処にも感じられなかった。

 辺境伯の顔には、ありありと焦燥の色が浮かんでいる。

 魔族軍に領都への侵入を許したのだ。


 北側、二か所の門へ攻撃を受け、二か所とも突破されてしまった。

 東側の二か所は持ちこたえたが、こうなっては関係ない。

 東に居た敵部隊も、制圧された北側から侵入してくるだろう。


 敵が完全にこちらを上回る兵力を持ち、この領都へ押し入っているのだ。

 ストレーム領始まって以来の悪夢。

 先祖から受け継いだこの領地が、自身の代で終わる危機にあった。


 自らの死。

 ストレーム家の終焉。

 少し前まで考えもしなかった酷薄きわまる現実が、近づきつつある。


 苛立ちに踵を鳴らす辺境伯。

 そこへエストバリ姉弟がやって来た。

 傍らにはシグムンドも居る。


「辺境伯様。お呼びと伺いましたが」


「遅いぞ。もう一人はどうした?」


 辺境伯がヴィオラに問い返す。

 ザハルト大隊の幹部全員に来るよう伝えた筈だが、昨日居た男が見当たらないのだ。


「ウルリクは戦傷を受けて治療中です。本人はすぐに戦線に戻ると言っていますので」


「そっちの男も傷を負ったようだな」


「ちっ……」


 シグムンドが舌打ちする。

 その頬には当て布が施されていた。

 回復魔法で傷を残さず治すことも出来たが、本人が拒否したのだ。


「……礼をわきまえぬお前らを許したのは、この有事において戦力になるからだ。失望はさせぬとお前らは言った。覚えているか?」


「覚えています、辺境伯様」


 セリフと裏腹に、辺境伯の声には覇気が無い。

 いよいよ精神的にも追い込まれているようだ。

 それに気づきながら、ヴィオラは目を伏せて返答した。


 先刻、彼女は魔族軍の攻撃に対し、ウルリクとシグムンドを差し向けた。

 団内でエストバリ姉弟に次ぐ戦力だ。

 二人とも、領軍兵は元より、王国の正騎士と比べても遥かに強い。

 いずれの戦場でも勝利しか知らない者たちだった。


 今回のように兵力が分散され、それぞれの戦場が小さいケースでは、どちらか一人を増援に送れば、戦術的勝利を得ることも可能な筈だった。

 そういうレベルの戦力なのだ。

 そんな二人を一か所に投入したのは、ヴィオラにしてみれば、かなり慎重を期した策であったと言える。

 傭兵としての勘が、ロルフへの警戒を告げていたのかもしれない。


 にも関わらず、敗れた。

 この結果はヴィオラにとって、まったくの予想外であった。


「ロルフ・バックマンの実力がこちらの想定を越えていました」


「奴が剣を手に戦っていたというのは事実なのか? とても信じられん」


「本人がロルフと名乗っており、身体的特徴も一致します」


「むぅ……」


 辺境伯は、どうしてもその報告を信じたくなかった。

 女神に棄てられた加護なしが、加護ある者と戦い、勝つ。

 あり得ないし、あってはならないのだ。


 それから辺境伯は、怖気おぞけのする未来を想像した。

 加護なしの刃が辺境伯を斬り裂く未来だ。

 背信の徒が、女神と共にある自分を殺す。

 世界のことわりを無視した悪夢と言うほか無い。


「……とにかくだ。領都内に敵の侵入を許した。もはや一刻の猶予も無い」


「辺境伯様。東側を攻めていた敵も北から入り、領都内で合流しています。敵は軍を糾合して再編成に及んでから進軍してくるでしょう」


 ヴィオラが見る限り、敵は万事に如才ない。

 分散していた兵力を確実に糾合してから攻めて来るだろう。


「そんなことは分かっている。こちらも再編成を急がせているところだ」


 バラステア砦攻略戦では、領軍が罠に嵌りそうになっているという報告に踊らされ、ロクに準備もせず出兵して返り討ちにあったのだ。

 同じ轍は踏めない。

 糾合前の敵を叩くために寡兵で出るより、部隊を組み直して防衛体制を整える方が重要だと辺境伯は考えたのだった。


 ヴィオラは、辺境伯が思いのほか判断力を残していることに安堵した。

 すぐにでも彼は再攻撃を命じるのではないかと思っていたのだ。

 一応、辺境で魔族と戦い続けてきただけのことはある。


「遊撃にあたらせている団の者は全員、集合させています」


「当然だ。ヴィオラ団長、団員を何人か私の供に付けてもらいたい」


「……領都を出ますか?」


 ヴィオラは聡い人間である。

 "脱出"や、まして"逃げる"という言葉は使わなかった。


「ああ。私がたおれれば捲土重来けんどちょうらいを期すことも出来ん。タリアン領へ行く」


 タリアン領は、このストレーム領の隣だ。

 辺境伯は、そこへ落ち延びるつもりだった。


「ザハルト大隊は、タリアン領での活動が長いと聞いている」


「ええ、土地勘のある者も大勢います。護衛は我が団員が適任かと」


「よし、頼むぞ」


 辺境伯がそう言って頷くと同時に、テオドルがヴィオラに視線を送った。

 領都に残る者たちの行動について確認して欲しいのだ。

 ヴィオラは、分かっていると目で合図し、辺境伯に問いかける。


「辺境伯様。それでこの後、どうすれば?」


「領軍には、私が領都を出るまで時間稼ぎをしてもらう。ヴィオラ団長、その指揮を執ってくれ」


 辺境伯は平静を装っているが、その声音には悔しさが滲んでいた。

 領軍を傭兵の下に付けることは、彼の矜持を大きく傷つけているのだ。


 だが先の戦闘で、領軍は部隊長クラスをも多く失っている。

 そして大きな傭兵団を率いるヴィオラは、戦闘指揮の経験も豊富だ。

 もはやヴィオラの指揮下に入るのが最良と言える状況であった。


「指揮、ですか」


 ヴィオラの表情に迷いが浮かぶ。

 辺境伯に護衛を付けることに否やは無い。彼が死ねば報酬を取りはぐれるからだ。

 だが、この地に踏みとどまって戦うには、最早リスクばかりが目立ちすぎる。


「落ち延びさえ出来れば、中央の協力も得て報酬は上乗せしよう。それに防衛プランもある」


「……そのプランを伺えますか?」


「良いか。領都を制圧するために奴らが押さえたい拠点は三つ。このストレーム邸と領軍本部、そして捕虜収容所だ」


 執政機能と警察機能を司る最初の二つは当然として、捕虜収容所も魔族軍の攻撃対象と目された。


 魔族領とさかいを接するこの地には、数多くの戦争奴隷が居る。

 捕虜の収容施設もあり、そこに魔族たちを捕えているのだ。

 当然、魔族軍としては虜囚を解放したいだろう。


「このうち、我々の最終的な防衛拠点は、捕虜収容所とする。そこを固め、奴らを迎え撃つのだ」


 辺境伯の考えは、妥当と言えるものだった。

 領軍本部は、詰所や訓練場から成るだけの施設だ。防衛には向かない。

 ストレーム邸は言うに及ばず。

 壁や監視塔を持つ収容所が、最も防衛戦を展開し易いだろう。


 テオドルはヴィオラの横で、真剣な表情を浮かべて考え込んでいる。

 シグムンドはつまらなそうにそっぽを向いていた。


「この屋敷と領軍本部は放棄し、収容所に戦力を集めて迎え撃つ、と。テオドル、どう思う?」


「理に適ってるけど、やっぱり兵力差が……」


「待て。ほかにも策がある。聞くが良い」


 割り込むように辺境伯が言う。

 彼としては、ザハルト大隊には踏みとどまってもらわなければならない。

 ヴィオラの指揮のもと、領軍とザハルト大隊で時間を稼いでもらいたいのだ。


 自身が逃げるためには、それがどうしても必要だった。

 辺境伯はヴィオラの同意を取り付けるために必死なのだ。

 彼の姿は、昨日とは明らかに違っていた。


 多くの者は、普段は弱い自分に気づかないでいられる。

 問題は、苦しい状況に追い込まれ、自分が思ったほど強くなかったことに気づいた時、どう振る舞えるかだ。


 それを思い、ヴィオラは溜め息を吐く。

 辺境伯を見る目に憐みが混じった。

 辺境伯は、その憐憫に気づくことなく話を続ける。


「使いを出す。投降せねば捕虜どもを皆殺しにすると伝えるのだ」


「人質ですか」


 辺境伯の言葉は、ヴィオラを得心させるものではあった。

 たしかに、この状況においては有効な策に思える。


 既に戦略的優劣が明らかな状況で投降を引き出せるとは思えないが、それでも状況の好転は狙える。

 例えば、一部の捕虜の解放などを条件に、門の外へ退かせることは可能かもしれない。


「そうだ。ちょうど来たようだな」


 辺境伯が言うと同時に、領軍兵が一人、ホールに入って来た。

 魔族を連行している。六歳か七歳か、そのぐらいの幼い少年であった。


「この魔族は?」


「メッセージだ」


「ああ……なるほど」


 ヴィオラは、辺境伯の意図を理解した。

 こちらが本気であると敵に伝えなければならない。

 そのために、この魔族を使うのだ。


「死体を奴らに突き付ける。メッセンジャーもザハルト大隊の者に頼めるか?」


「それぐらいなら構いませんが」


 会話を聞いていた魔族の少年が、涙を零しながら俯く。

 彼は、偶々たまたま見繕われただけの奴隷で、何か不始末を働いたわけでもない。

 だが突如、死という役割を与えられたのだ。

 運命を悟った少年の涙が、静かに床を打った。






「……なに言ってんだ?」






 声を上げたのはシグムンドだった。

 数秒の沈黙のあと、テオドルが答える。


「つまり、魔族たちの命を交換条件として敵に勧告するんだよ。投降するかは分からないけど、この場合、判断を強いることが重要で───」


「そんなことは分かってんだよ。そうじゃなくて、なんでガキを殺すとか言ってんだ? 意味わかんねーだろそんなの。ガキだぞ?」


「…………?」


 シグムンド以外の全員が、胸中に疑問符を浮かべる。

 彼が何故こんなことを言い出すのか、理解できないのだ。

 全員の考えを代表するかのように、ヴィオラが問いかけた。


「シグムンド。なにを言ってるの? 子供だけど魔族よ?」


「おい、お前がなに言ってんだよ。俺たちは戦ってんだぞ? そいつは戦ってねーだろうが」


 魔族の少年を指さしながら、シグムンドが言う。

 姉弟が困惑し、眉根を寄せるなか、辺境伯が面倒くさそうに命じた。


「時間が無い。やれ」


「はっ!」


 領軍兵が剣を抜き、少年の胸に突き立てた。


「あぐっ……」


 少年はか細く声をあげ、こぷりと血を吐き出す。

 エストバリ姉弟は目を閉じた。

 少年に対してというよりは、処刑という行為に対する、ある種の目礼だった。

 だから強者の二人も、次の瞬間の出来事に反応できなかったのだ。


「てめぇ!! 何してやがんだぁーーー!!」


「ぐわっ!?」


 シグムンドが前に出て、領軍兵を斬り伏せたのだ。


「貴様、何を!?」


「何で! ガキを何で、てめえら!! こいつはガキだぞ!?」


 シグムンドが激昂する。

 髪を振り乱し、犬歯を剥き出しにしている。


 それから彼は、崩れ落ちた魔族の少年を抱きとめた。

 少年の血が、シグムンドの両手を真っ赤に染める。


「う……うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!! 何でこんな! こんな! 畜生フザけやがって!!」


 慟哭と共に嚇怒かくどの絶叫が響き渡る。

 その言葉は要領を得ず、只々ただただ空気を大きく震わせた。


「シ、シグムンド!? 落ち着きなさい!」


「ええい、バカが!!」


 シグムンドに引きずられるように、辺境伯もまた怒りを燃え上がらせる。

 魔族であっても民間人を殺してはならない等と訳のわからぬ事を言うロルフ・バックマン。

 彼に相対あいたいした時と同じ苛立ちが湧き立ってきたのだ。


 この予断を許さない状況にあって、尚もこのような愚か者が邪魔をする。

 ただでさえザハルト大隊に譲歩し、指揮権の委譲すら決めた末にこれだ。

 屈辱に耐え続けた辺境伯の忍耐は、ついに限界へ達した。

 そして怒りに任せて剣を抜いてしまう。


 帯剣していたのは、最高司令官として戦場にある際の責任感ゆえであったが、それが彼にとっての不幸だった。

 彼がシグムンドを剣でどうにか出来る筈が無い。

 そして猛り狂うシグムンドが、斬りかかってくる者に容赦することは無かった。


「らああぁぁぁぁぁーーー!!」


 ────どしゅっ


「がっ……!?」


 辺境伯の剣先は、季節外れの蜻蛉とんぼのように、ゆらりと宙をうろついただけだった。

 対してシグムンドの剣は一直線に辺境伯の胸を縦断する。


 あまりの事態に半ば自失していた姉弟は、割って入ることが出来なかった。

 ざくりと割れた辺境伯の胸から鮮血が噴き出す。


 辺境伯には状況が理解できなかった。

 剣を取り落とし、大きく裂かれた自分の胸を見る。

 それでやっと、斬られたことを知った。

 だが、大ロンドシウスの辺境伯たる自分が何故斬られたのかが分からない。


 理屈に合わないと思った。

 女神ヨナの名のもとに、この辺境の地で魔族と戦い続けた自分が何故。

 何故このようなことに。


 必死に答えを求めるその意識は、命と共に霧散した。

 そしてエストバリ姉弟が目を見開く前で、その体が冷たい床に転がる。

 少なくとも辺境伯は、自身が最も恐れた、忌むべき加護なしの刃にたおれるという結末は回避できたのだった。




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本作をお読み頂き、ありがとうございます。


前話、前々話を 2021/12/18 に若干改稿しております。

話の筋はまったく変わっていません。表現のみの微調整です。

主人公が苦戦する描写が必要以上であった点と、擬音の表現がおかしかった点を、少しだけ手直ししています。


なお、あくまで作者が必要と感じた故の修正であり、頂戴したご意見に応じて作品をブレさせた、という類のものではないつもりです。


それでは引き続き本作をよろしくお願い致します!

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