75_領都侵攻1
リーゼは、百メートルほど先にそびえる大きな門を見つめていた。
領都アーベルの門のひとつである。
夜だが、かがり火でよく見える。
いよいよ領都攻略戦が始まるのだ。
ロンドシウス王国の領の多くは、都市国家然とした体制をとっている。
執政機能を持った一つの大きな都市と、点在する農村によって領地が成り立っているのだ。
このストレーム領も同様であった。
つまり領都アーベルを落とし、辺境伯を排除すれば、ストレーム領自体が陥落する。
この地で長く続いていた戦いが、魔族の勝利というかたちで終わるのだ。
それを思い、常になく緊張を感じるリーゼだった。
あの門を攻撃するのはリーゼとその部下たちだ。
ロルフは別の門を担当し、フォルカーは全体の指揮を執っている。
ロルフは、複数ある領都の門のうち、四つを同時に攻撃する策を立てた。
複数個所への同時攻撃は、バラステア砦を攻める際に魔族がしばしば用いた策だった。
この領都攻略において、ロルフはそれを採用したのだ。
これは、ロルフに対するこれまでの魔族の攻撃が有効であったことを、ロルフ自身が明示するものであった。
今回この策が用いられることを知った魔族のなかには、苦笑を見せる者も居た。
もっとも策には、今回の作戦に向けてアレンジが加えられている。
魔族が行っていたのは二か所か三か所への同時攻撃だったが、今回は四か所だ。
その分兵力を分散させることになるが、今回はこの方が利するところが大きいと判断されたのだった。
この四か所の門は、領都内の連絡路の作り上、かなり遠い位置関係にあるのだ。
防衛においては、伝達に時間がかかり、指揮が届きにくく、援軍の移動においても難儀することになる。
逆に門の外、攻撃する側にとっては、地形上の制約も無く、連携し易い四か所であった。
防衛側だけが走り回らされることになるのだ。
ただでさえ数で劣る領軍が、更なる消耗を強いられることになる。
地形と、領都の作りを把握しているロルフだから立てられる策であった。
リーゼは、この策を評するフォルカーの言葉を思い出す。
「兵数で勝る以上、本来ならそれをそのままぶつけるのが正道ですが、これはよく考えられています」
ロルフが自ら担当する門へ赴いたあと、フォルカーはリーゼにそう言った。
多くの場合、兵力分散は愚策だが、この策はそれにあたらないと評しているのだ。
「砦で防衛戦を行わなかった点からも言えますが、アドバンテージに頼り切らない点にロルフの知略の妙味があるようです」
確かにそのとおりだ。
だがリーゼとしては、ロルフの魅力はやはり剣にあると思っていた。
ヘンセンで見た、あの力強く美しい剣技の数々。
昨日の戦いでも美技を閃かせていた。
そしてそれ以前、エルベルデ河で初めて会った時もそうだった。
ロルフの剣は、物語の英雄が振るうそれに見える。
思い出すだけで、頬に熱を感じるリーゼだった。
「……………………はっ」
ぶるぶるぶるぶる。
自分が戦場にあるまじき思案に耽っていることに気づき、大きく首を振るリーゼ。
近くに居た部下が怪訝な顔をしている。
こんなことを考えてる場合じゃない。
ベルタに叱られる。
目の前の戦いに集中しなければ。
リーゼは意識を切り替え、門を強く見据えた。
それから、よく通る声で号令を出すのだった。
「いくわよ! 攻撃開始!!」
◆
「四か所同時か」
ザハルト大隊が司令部を置いている市街広場。
テーブルの上に広げられた街の地図を見ながら、テオドルが言った。
報告によると、魔族軍は四つの門へ同時に攻撃してきたのだ。
領軍がバラステア砦への途上で敗れた翌日の夜。
魔族軍は前回の戦いから一日で攻め込んできた。
彼らは大して損耗していない。
だから中央からの援軍を得る時間を領軍に与えないためにも、早期に攻め込んでくることは予想されていた。
だが、それにしても早い。
軍を再編成する運用能力に優れている証拠だ。
ヘンセンで勝ったのも伊達ではないのだろう。
しかし、兵力をわざわざ分散させての四か所同時攻撃は、巧い策とは言えない。
テオドルは、敵もここにきて判断を誤ったかと思いながら地図を見る。
だが、すぐにそれが糠喜びであったことに気づいた。
「姉さん、これは」
「北の第一門と第四門、それから東の第二門と第四門。距離的にはそうでもないけど、連絡路が長すぎる。こちらが不利になる展開ね」
「だよね」
これらの門を繋ぐ連絡路は市街を大きく迂回している。
防衛側にとって最も連携がとりにくい四か所へ同時攻撃を受けたのだ。
「こうなってくると姉さん、敵には……」
やはり敵には、この街をよく知る者が居る。
ロルフ・バックマンという人間が魔族と結んだのは事実なのだろう。
ヴィオラは頷き、弟に問い返した。
「テオドル。彼に対する評価を聞かせて」
ヴィオラは、ロルフの考えるところを洞察し、策を練ろうとしている。
そして、そういう時に彼女が最も信頼するのは弟の意見だった。
「そうだね………。加護が無いという点には、やはり嫌悪感を感じる。背信の徒であることは間違いない」
顎に手をあて、考えながら答えるテオドル。
真剣な声音だった。
「どんな者であれ、必ずどこかで女神と繋がれる筈。女神に棄てられた人間というのは、この地上において異物と言うほか無いよ」
「そうね。私もそう思う」
ヴィオラが、テオドルの意見を肯定する。
これは疑いようの無い事実の確認であった。
「でも僕としては、見るべき点はある人物なんだと思う。ここ数か月の間にこの地で起きたことを思えば、戦略、戦術共に優れたものを持っていることは確かだ」
優し気な風貌と柔らかい物腰を持ったテオドルは、戦場にあっては"優男"と見られる向きがある。
そんなテオドルを侮り、敗れて死んだ者を、彼は大勢知っていた。
それ故に彼は、敵を侮る愚には敏感だ。
侮れば死ぬ。その思いのもと、慎重に考えを巡らせるのだった。
「たとえば、四肢が欠けていても学術史に貢献した者が居る。生来の
「同感よ。それじゃあ、彼が優れた軍略家であると前提し、四か所のうち本命はどこだと思う?」
「そこは読めないな。姉さんの意見は?」
「たぶん、北のどちらかよ」
ヴィオラは地図の上に指を滑らせる。
そして北の第一門と第四門を指した。
「どうして?」
「彼は魔族の民間人への攻撃を嫌ったらしいわ。イマイチ理解できない考え方だけど、種族に関わらず、戦いに関わらない者から奪うこと自体を否定したそうよ。だとすれば、その考えは人間に対しても適用される筈」
「彼が民間人に累を及ぼさないように行動すると思うんだね? だから居住区から離れた北側に主力を回してくると」
「そうよ」
頷きあうヴィオラとテオドル。
「第一門は領軍の布陣がいちばん厚い。僕たちは第四門に戦力を向けるべきだろうね」
「伝令! ウルリクとシグムンドに、北の第四門へ向かうよう連絡して!」
すぐさま命令し、戦力を差し向ける。
それから再び地図に目を落とし、真剣な表情を作るヴィオラ。
テオドルは、その姉を前に改めて考えた。
血を分けた姉弟。
常に共に在り、何があっても味方でいてくれる人。
彼女が居るから、戦えている。
もし、彼女が敵に回ったら。
想像するだけで怖気をふるう話だ。
それだけに、フェリシアには同情を禁じ得ない。
あの兄妹がどんな道程を経てきたのか知らないが、いずれにせよ別離は悲しいものでしかない。
自分なら耐えられるだろうか。
もし姉と引き裂かれたらと思うと………。
「テオドル」
彼を現実に引き戻す、柔らかな声。
見れば、ヴィオラが微笑みながら弟を見つめている。
「大丈夫よ」
「……なにが?」
「私は居なくならないわ」
「僕、何も言ってないよ」
テオドルがそう言うと、ヴィオラはずいと顔を寄せてくる。
そして人差し指で弟の胸を
「お見通しよ」
苦笑するテオドル。
昔から、姉に隠し事を出来た試しがない。
「で、どうかな姉さん。ロルフ・バックマンは出てくるかな?」
やや強引であることを自覚しながら、照れ隠しに話を変えるテオドル。
その心情も姉には筒抜けだが、彼女は問いに答えてくれる。
「前に出てくる可能性は低いんじゃないかしら。フェリシアさんがバラステア砦で見た人影は彼じゃないと思うわ。彼女や領軍幹部が疑ったとおり、魔力が無いのに敵を倒せるわけが無いし」
「そうだよね」
「まあ、出てきたとしても、そして相手が何者であったとしても、私たちに負けは無い。万に一つもね」
傍らに置いた槍を撫でながら、ヴィオラが言う。
彼女にとってそれは決して大言ではなく、ごく当然の見解だった。
エストバリ姉弟は音に聞こえた槍の名手で、特に風魔法を纏うヴィオラの槍は、きわめて強力なことで有名だ。
ヴィオラが目を細めた瞬間、テオドルには周囲の空気が冷えたように感じられた。
優しい姉が纏う、ヒリつくような気配。
改めて姉の強さを思い出し、彼は背筋に汗を伝わせるのだった。
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本作をお読み頂き、ありがとうございます。
次回以降は週に3回の投稿となります。
月曜・水曜・金曜の18時に投稿して参ります。
引き続き、お付き合い頂ければ幸いです。
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