74_近くに居るのに

 辺境伯の館の一室。

 会議卓に、十人ほどの人間が集まっていた。


 卓の片側に座るのはザハルト大隊の中心メンバーだ。

 上座側から、ヴィオラ・エストバリとテオドル・エストバリ。

 姉弟である二人は、この傭兵団の団長と副団長だった。


 その横には男が二人居る。

 彼らはウルリクとシグムンドと言った。


 四人とも若く、二十代であるようだ。

 だが彼らは極めて高い戦力を有することで知られるザハルト大隊の主要メンバーであった。


 その四人の向かいに、上座に居る辺境伯を挟んで領軍の幹部たちが座っていた。

 そして、その幹部たちの隣、いちばん端にはフェリシアの姿もある。


「状況は今説明したとおりです。ヴィオラ団長、質問は?」


 そう述べる領軍幹部の視線は、濃い茶色の髪をベリーショートにした女性、ヴィオラ・エストバリに向けられていた。

 美しいが、傭兵団のおさらしく怜悧な眼差しを持っている。


「やはり砦の司令官代理が敵に回ったという点が気になります。テオドルはどう?」


「僕も同感だよ姉さん。ええと、ロルフ・バックマンでしたっけ?」


 弟のテオドルが姉の考えを首肯した。

 長身でやや細身、姉より少し長い髪を持った、優し気な面立ちの男だ。


「はい。そのロルフが魔族と結んだ、と報告されています」


「先の戦いでもそれらしき姿が確認された。フェリシア総隊長、話してくれ」


 辺境伯が、フェリシアに発言を促す。

 フェリシアは躊躇ためらいつつも口を開いた。


「……隊列の先頭の方、砦の門前で、領軍と戦闘する人影を見ました。それが、ロルフ・バックマンのものであるように見えました」


「それは確かなのですか?」


「ヴィオラ団長、彼女はロルフ・バックマンの実妹だ。あの男の姿をよく知っている」


「なんと……」


 一瞬、ヴィオラの視線に憐憫が混ざった。

 自身は弟を信頼し、固い絆で結ばれている。

 一方で、そのような境遇にある兄妹も居るのだ。


「で、ですが、その人影は、何人もの領軍兵を斬り伏せているように見えたのです」


 フェリシアの言葉に、領軍の幹部たちが目を見開き、顔を見合わせた。


 フェリシアとしては、この領都へ剣を向けている敵軍のなかに兄が居るなどと、今なお信じたくはない。

 だから彼女は、あの人影が剣で領軍と戦っていたという点に縋りたかった。

 遠く、かつ混乱する戦場での光景であったため確実ではないが、あの人影は剣を手に、領軍兵たちを斬り倒しているように見えたのだ。


「おい、だから何だってんだよ。分かるように話せや」


 ザハルト大隊の若い男、シグムンドがぞんざいな口調で言った。

 ウルリクはその隣で、退屈そうに足を組み、明後日の方へ目を向けている。


「おい、辺境伯様の前で……!」


「かまわん、傭兵とはこういうものだ」


 気色ばむ幹部を辺境伯が諫める。

 だが実際のところ、辺境伯の言葉とその声音には、傭兵という職にある者たちを蔑視する感情が含まれていた。


 そしてヴィオラとテオドルはそれに気づいている。

 実力ある傭兵団を率い、しばしば貴族との関わりも持ってきた二人だ。

 そういった機微には敏感だった。

 故にこそ、それを指摘するような真似はしない。


「辺境伯様、ご寛恕に感謝します」


「この稼業の性質上、どうしても無作法者が集まりますが、腕の方は確かです。この者たちも失望はさせませんので」


 ヴィオラとテオドルが言うと、ウルリクは薄い笑みを浮かべ、シグムンドは鼻で笑った。

 対照的にフェリシアは眉をひそめる。

 エストバリ姉弟には品性を感じるが、ウルリクとシグムンドには不快感を禁じ得ない。

 だが、仕方が無いのだろう。辺境伯の言うとおり、彼らはこういう種類の人間なのだ。

 苛立ちを押し込めながら、フェリシアは説明した。


「……兄、ロルフ・バックマンは魔力を一切持っていません。剣を手にしたところで、まともに戦えないのです」


「一切持っていない、とは?」


 ヴィオラが困惑したように問う。

 答えたのは幹部たちだった。


「言葉のままです。ロルフ・バックマンは女神から魔力を与えられていません。したがって、戦えはしないのです」


「領軍では全員に銀の装備が行き渡っているわけではありませんが、それでも加護なしが何人もの兵を斬り伏せるなど、考えられない事です」


「魔力をもらえなかったのか! ははははは! そんな事があるとはな!」


 ウルリクが笑声をあげた。

 エストバリ姉弟は互いに視線を交わしながら思案する。

 そしてテオドルが言った。


「少なくとも、砦からは司令官代理が寝返ったという報告が来ているのでしょう? ならばそれを前提とするべきでは?」


「弟の言うとおりです。加護なしという点はともかく、そしてその人影がそれであったかも差し置くとして、敵軍のなかに、領都や領軍をよく知る者が居ることは前提としておくべきでしょう」


 ヴィオラの指摘は正論であり、それ故に幹部たちは沈痛な表情を浮かべる。

 本来、領都アーベルについて、魔族は詳しい情報を持っていない。


 だがロルフが敵に居るなら別だ。

 彼は着任して以降、この地の状況を努めて知ろうとしていた。

 領都の構造はおろか、領軍の構成についても把握しているだろう。


 そして幾秒かの沈黙のあと、幹部たちのうち、最も年若い男が小さく言った。


「バックマンと対話を持つことは出来ないでしょうか……?」


「加護なしと対話だと!?」


「貴様、気は確かか!?」


 間髪を入れず返ってくる幹部たちの怒号に肩を縮こまらせながら、男は答える。


「……奴の着任後に砦の戦況は上向き、奴が離反するや否や、我らは危地に陥っています。あの男は、敵とするべきではなかったのでは?」


 弱々しい声音で絞り出されたその言葉は、幹部たちが認めたくない事実を突き付けていた。

 幹部は皆、苦々し気な表情で押し黙る。

 男は続けてぼそぼそと言った。


「正規の司令官の座を与えるなり約束してやれば良い。そしてこちらに戻るよう勧告するのです」


 請願ではなく勧告である点が彼の限界だったが、その言葉には、追い詰められた者の感情がこもっていた。

 幹部たちは、なお沈黙している。

 理解はせざるを得ない。しかし認めたくないのだ。


 今まで、ロルフの挙げる戦果の上に胡坐をかき、彼を蔑んでいられたのは、安全だったからだ。

 幹部らも戦ってはいたものの、ロルフの働きによって戦略的優位は保たれていた。


 いま自分たちが窮地に陥り、初めて気が付いたのだ。

 その蔑む相手が、自分たちの生命を脅かせる存在であることに。


 その幹部たちに、ヴィオラが問う。


「しかし、そのロルフ・バックマンは対話に応じるでしょうか?」


 これほどの挙に及んだ男が帰順するとは思えない。

 対話は時間稼ぎにもならないのではないか。

 ヴィオラにはそう思える。

 これに対し、吐き捨てるように答えたのは辺境伯だった。


「それ以前に、こちらに対話の意志は無い」


「あの! 私が説得に赴けば、或いは」


「ダメだ。奴との対話は無い」


 フェリシアの提案も、即座に却下される。

 辺境伯にしてみれば、自身の感情を抜きにしても、対話路線は採りようがない。

 大逆に対して手を差し伸べるなど、国体の維持に関わる話である。

 中央の了解も得ず、そんなことが出来る筈もないのだ。


「ご意思は分かりました辺境伯様」


 目を伏せるフェリシアをよそに、この話を切り上げるヴィオラ。

 彼女にしてみれば、本題、つまり戦いについて早く確認したいのだ。


「それで我が団の任務ですが、要員の足りていない領軍の各部隊をカバーしつつ、他は独自で遊撃にあたらせて頂けますでしょうか」


「それで構わん。だが状況は逐次共有するように」


「心得ております辺境伯様。お聞き入れ下さり、ありがとうございます」


 広大な領都には多数の門がある。

 魔族軍が、そのいずれから攻め入って来るか分からない以上、辺境伯としても遊撃部隊は欲しい。

 本音を言えばザハルト大隊を領軍の指揮下に組み入れたいし、また、傭兵の案を採用することに不快感もあったが、現状、ヴィオラの案が最適解であることは彼にも分かっていた。


 がたり。

 直後、椅子が音をたてる。

 フェリシアが不意に立ち上がったのだ。


「辺境伯様。私もお連れください」


「……先の戦いでは許したが、もう良いだろう。君の立場を思えば、これ以上の関与を許すわけには行かん」


「ですが!」


 必死さを滲ませるフェリシア。

 彼女の眼の奥にある感情が、兄を慮るばかりの単純なものではないことに辺境伯は気づいている。

 そこには、何か危うい執着のようなものが見て取れた。


 どうやら彼女は、辺境伯にとって、扱いの面倒な不確定要素と言えるようだった。

 どう動くか分かったものではない。

 敵の身内というだけで、十分戦場から遠ざける理由になるが、これ以上関わらせる気にはなれなかった。


「自重せよフェリシア総隊長! これは、王国から賜った封土を守るための戦いなのだぞ!」


「う………」


 辺境伯の怒声に押し黙るフェリシア。

 兄が近くに居るかもしれない。

 居ないでほしいが、敵軍のなかに居るかもしれない。

 そして居るのなら、会わなければならない。

 だけど会うことが出来ない。


 もどかしさに拳を握りしめるフェリシアだった。

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