第三部

71_三文芝居

 ロルフ不在のバラステア砦。

 兵たちは騒然としていた。

 魔族領側、森の入り口付近。闇夜の中に夥しい数の松明が並んでいるのだ。


 数時間前、ヘンセンを攻めていた領軍のうち数騎が砦に戻り、敗戦を伝えていた。

 それが無ければ、あの松明は領軍のものだと誰もが思ったであろう。


 ヘンセン攻略により、この地の勝敗は決すると皆が思っていた。

 だがどうやら領軍はヘンセンで敗れ、いまバラステア砦は返す刀を突きつけられている。


 この状況は想定されていなかった。

 目下、バラステア砦には司令官もその代理も、副司令官も居ない。

 指揮系統が無いのだ。


 領軍を破った余勢を駆って攻めてきたと思われる魔族軍は、過去に類を見ない大軍で、指揮も無しに戦える相手には見えない。

 その大軍を前に、砦の兵の多くは混乱し、そうでない者は狼狽した。


 兵の一人、モルテンはそのいずれでもなく、胸中を怒りで満たしている。

 砦の指揮を任されていたにも関わらず出撃していった副司令官エッベも大概だが、何より腹立たしいのは、呑気に休暇中の司令官代理、ロルフだ。


 休暇を利用して魔族領側を視察していた筈だが、まだ戻っていないらしい。

 あの敵軍に遭遇して殺されたのだろうか。

 そうであれば少しは溜飲も下がると言うものだ。


「くそ、無能者め……」


 モルテンはロルフをバカにしていたが、表面上の態度は慇懃なものだった。

 ロルフの手腕で砦の戦況が上向いたことは事実で、彼が働けばモルテンたちも楽が出来る。


 女神から魔力をまったく与えられなかった欠陥品に向ける敬意など持ちあわせていないが、口だけは褒めそやしておけば良いのだ。

 モルテンは、自身の面従腹背にロルフが気づいていないと考えている。

 加護なし如きが、自分のような駆け引き巧者の思惑に気づける筈が無いと。

 彼はロルフを軽視し、侮っていた。


 だから魔族軍からの使者のなかにロルフの姿を発見した時、彼は心底驚いた。


 ◆


「無血開城とはな……」


 俺の横を歩くフォルカーが若干の呆れを浮かべた表情で言った。

 リーゼも同じ表情をしている。

 砦の兵たちは戦わないことを選んだのだ。


 だが兵たちの判断は妥当ではあるだろう。

 指揮する者は無く、敵は大軍。

 しかもその敵の中に、砦を知り尽くした俺が居るとあっては、勝ち目があると考える方がおかしい。


 俺が現れたことに戸惑い、怒りを露わにした兵たちだったが、抗戦という選択肢は採りようが無かった。

 彼らの生命を保障することを伝えたうえで、即座の決断を迫ったところ、兵たちは程なく降伏を受け入れたのだ。


 かくして、一度も剣を交えることなく、バラステア砦は陥落した。


 だが、ここからが肝心だ。

 指揮系統が失われているとは言え、領都に向けて伝令は走っているだろう。

 砦が落ちたことは、すぐに辺境伯の知るところとなる。

 彼との戦いに向け、こちらは先手を打たなければならない。

 そのために、俺はある者を待たせた部屋にやって来たのだ。


「じゃあ話してくる。ここに居てくれ」


「頑張ってね!」


 小声で激励してくるリーゼ。

 その少し楽しそうな声を背に、俺は扉を開ける。

 部屋の中に居たのはこの砦の兵、モルテンだ。


「久しぶりだなモルテン。……いや、久しぶりと言うほどでもないか?」


 魔族領へ向けて俺がこの砦の門を出た日、門番をしていたのが、このモルテンだ。

 あれからまだ三日と半日しか経っていない。

 それなのに随分昔のことのように思える。


「司令官……。これはどういうことですか?」


 椅子に座り、組み合わせた両手を机の上で忙しなく動かしながら、モルテンが尋ねてくる。

 その声音は困惑と焦燥に揺れていた。

 俺の行動の意味を測りかねているのだ。


「見てのとおりだよ。俺は王国を裏切った」


「正気ですか……?」


「たぶんな」


 薄暗い部屋のなか、俺は背中で扉にもたれ掛かり、腕を組んでモルテンを見据える。

 モルテンの額には汗が浮かんでいた。


「ヘンセンで領軍が負けたのを見て、鞍替えしたと言うのですか?」


「それなんだが、領軍は負けていない」


「は……?」


 間抜けな顔をするモルテン。

 だが、俺もきちんと表情を作れているか自信が無い。

 部屋が薄暗くて助かった。


「彼らはヘンセンの防衛線を破って、町を占領しているよ」


「し、しかし、敗残兵が戻っているのですよ? それに何より、森の入り口に現れたあの大軍は何なのですか?」


「敗残兵はカネで抱き込んだ。大軍は松明を焚いているだけだ。軍記ものなんかではよく見る手だが、あまり本は読まないクチか?」


 モルテンは、陸に揚がった魚のように口をぱくぱくさせている。

 理解が追い付かないようだ。


「そもそも戦略的見地から言って、今回のヘンセン攻略戦は、領軍が負ける筈の無い戦いだ」


「それは確かにそうでしょうが……。しかし、魔族と結ぶなど……」


「一時的に利用しているだけだ。協力させる代わりに欲しいものをくれてやるのさ」


「欲しいもの?」


「当然、この砦だよ」


 俺は組んでいた両腕をほどいた。

 それからゆっくりとモルテンに歩み寄り、その向かいに座る。

 そして彼の目をまっすぐ見つめて言った。


「モルテン。お前だけが俺に敬意を払ってくれた。加護なしのこの俺を、お前だけが同等の戦士として扱ってくれた。お前だけが……」


「そ、それは」


「だが他の奴らは違う。俺がどれほどの差別を受けているか、お前も知ってるだろう?」


 絞り出すように、努めて沈痛な声音で言う。

 少し芝居が過ぎるかとも思ったが、モルテンの表情を見る限りは上手く行っているようだ。


「もう、うんざりだ。俺はこの国を去る。カネも大量に手に入ることだしな」


「カネ? どういうことです?」


「領軍だよ。もうすぐ、ヘンセンでの戦果を抱えてノコノコ帰ってくる。油断しきったあの連中を、砦に入れて一網打尽にするのは簡単なことだ」


「…………」


「そもそも奴ら、幅を利かせるばかりで気に食わなかったんだ。お前もそうだろ?」


「ま、まあ」


 多くの兵は、防衛するよりも、攻め入って戦果を挙げる方が上等と考えるものだ。

 領軍の者たちもそう考えており、彼らには常に、砦の兵に対する優越感が見て取れた。

 砦で戦う兵たちからすれば、当然それは鼻持ちならないものであり、両者の間には小さくない軋轢があるのだ。

 俺はそういった背景に基づき、領軍を嵌めることを伝えた。


「とは言えだ、モルテン。逃避行となれば、カネだけあっても仕方が無い。旅の連れが要る。具体的には女だ」


「……それは、まあ、そうでしょうね」


 良い具合だ。

 モルテンは、俺に迎合する言葉を選んでいる。

 駆け引きの土俵に上がってきたのだ。

 あとは、俺を出し抜けると思わせれば良い。


「だから頼む。領都で何人か見繕ってきてくれ。こんなことを頼めるのはお前しか居ない」


「旅に付き合わせるとなると、それなりのカネが要りますが」


「問題ない。領軍がヘンセンの財を丸ごと持ち帰るからな」


「あ、ああ。そうですね」


「当然、お前の取り分もあるぞ」


「はは……。またそんな」


 モルテンが、心底からバカにする加護なしの策に乗ることなどあり得ない。

 いま彼は、王国を裏切るように見せかけるべく思案しているのだ。


 忙しなく動いていた彼の視線は、左下に固定された。

 人は、答えを思い出す時は上を、答えを作ろうとする時は下を見がちだ。

 そして、後ろめたいものがある時、視線は利き手の逆へ行く。


 だから左下を見つめるモルテンは今、嘘をついている。

 当然、単なる傾向の話でしかないが、今はまず間違いないだろう。

 表情と、それを覆う汗を見れば分かる。


「お願いだモルテン。何も共に来てくれと言ってるわけじゃない。二、三人、商売女を連れて来るだけだ。俺を友人と思ってるなら、頼みを聞いてくれ」


「ふーむ。どうしたものですかね……」


 腕を組んで嘆息するモルテン。

 俺の演技もつたないとは思うが、この男も中々に酷い。


 大根役者同士が、大真面目に駆け引きらしきものを展開している。

 堂に入った茶番と言えた。


「んー……。まあ良いでしょう。他ならぬ貴方の頼みですし」


「すまない! 恩に着る!」


 そう言って俺は笑顔を作る。

 モルテンも笑っていた。

 芝居小屋だったら客は皆、席を立っていただろう。


 ◆


 モルテンが領都へ向かった後、砦の一室でリーゼ、フォルカーと向き合う。

 この後の展開について話し合うのだ。


「ロルフ、上手く行ったと思う?」


「ああ。たぶんな」


 モルテンは、俺の離反を辺境伯に伝えるだろう。

 そして帰還する領軍が俺に陥れられると知った辺境伯は、それ自体は虚報であるわけだが、兵を差し向けてくる。


 俺たちはそれを迎え撃つ。

 いきなり領都に攻め入って全面衝突に及ぶ前に、敵を損耗させるのだ。


 領軍は既にヘンセンで二千の兵を失っている。

 更に領都の外に引っ張り出して減らすことが出来れば、こちらの兵力が領軍を上回ることになるだろう。

 結果として、ヘンセンの戦いとは逆に、魔族が戦略的優位を持った状況で領都アーベルに攻め入るという形を作れる。


「お前がこの砦に赴任した途端、我々は戦略的優位を失った。そしてお前が王国から離反した途端、再び戦略的優位を得ようとしている。大したものだな」


「ほんと、おっかないよね」


「いや、ヘンセンでの大勝はフォルカーの功が大きいだろう。それにまだ策がハマると決まったわけじゃない」


 まず、モルテンと辺境伯が予想どおりに動いてくれなければならない。

 辺境伯の元には、ヘンセンで領軍が負けたという報せも行っているだろう。

 それに対し、辺境伯には、領軍が勝ったというモルテンの報告を信じてもらう必要がある。


 辺境伯が状況を勘案すれば、モルテンを信じることになる筈だが、こればかりは百パーセントとは行かない。


「だがロルフの言う通り、恐らく上手く行く。少なくとも、さっきの男はこちらの思惑通りに動くだろう。この策は、信じたいものを信じさせるという基本をしっかりと踏襲しているからな」


 そう。モルテンは、無能な加護なしを見下すことに愉悦を覚えている。

 その加護なしが見え透いた策を弄し、モルテンがそれを看破する。

 それは奴の自尊心を大いに満たす展開だ。

 その誘惑に逆らうのは、あの男には難しいだろう。


 ただ正直、やり過ぎた感もあるが。


「フォルカー。女のくだり、必要だったか?」


 策は俺が立てたものだが、フォルカーがアレンジを加えた。

 俺が女を必要とし、モルテンに娼婦を手配させるという点はフォルカーの発案だ。


「必要だ。何事もディテールが重要だからな」


 表情を変えずに答えるフォルカー。

 この男には凝り性の気があるようだ。

 まあ、モルテンが見たがっていた小人ロルフを演出するには、丁度良かったかもしれない。


「ダメ人間の演技、完璧だったよロルフ! 後先考えずお金と女を求める感じがよく出てた。ハマり役かも!」


「嬉しくないのだが……」


 再会したとき、激しい獣性の持ち主と言ってリーゼを怒らせてしまったことを思い出した。

 ひょっとして意趣返しだろうか?


「褒めてるんだから喜べばいいと思う!」


 そんなやり取りを横目に、小さく嘆息してフォルカーが言う。


「お嬢、連れて来た兵たちはまだ待機中ですよね?」


 フォルカーはリーゼをお嬢と呼ぶ。

 この男らしからぬ、くだけた言いようだが、昔からの呼び方がそのままになっているそうだ。


「うん。ロルフ、もう皆を砦に入れて構わない?」


「ああ、大丈夫だ」


 当然だが魔族軍は本当に来ている。

 ヘンセンのほぼ全軍だ。松明だけのブラフなどではない。

 彼らを砦に入れ、次の戦いの準備をしなければ。


「辺境伯が狙い通りに動いて兵を差し向けてきたとしても、それに勝たなければならない。まだまだ気は抜けないぞ」


 俺がそう言うと、二人は頷いた。

 領都アーベルを占領する。

 そのための戦いが始まろうとしていた。


 そしてこの時俺は、その領都によく知る人が居ることを想像もしていないのだった。


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 お待たせして申し訳ありません。

 本日(11/15)より第三部を投稿して参ります。


 投稿頻度は週に3回となります。

 月曜・水曜・金曜の18時に投稿します。

 (最初の5話は毎日投稿します)


 それでは今後とも本作を宜しくお願い致します。

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