70_動乱の幕開け

 参謀長の選考から一週間が過ぎた。


 私───エミリー・ヴァレニウスは、ロルフが私の手を取らなかったことについて毎日考えていた。

 怒りと悲しみが、まるで日替わりのように交互に私の心を支配する。

 そんな日々に疲れ始めたある日、実家であるメルネス家の侍女、マリアから手紙が来た。


 会って話したいことがあると言う。

 マリアは私と最も仲の良かった侍女だ。

 他ならぬ彼女の頼みならと、私は面会の時間を作った。


 後日、マリアが第五騎士団本部を訪れた。

 信じ難いことに、このノルデン領までひとりで来たらしい。

 幼かった彼女が行動力ある大人になっていたことに驚かされる。


「とは言え、さすがに女の子ひとりじゃダメよ。帰りは護衛を手配するからね」


「ずっと乗合馬車だから平気ですよ」


「それでもよ。お父様も気を利かせれば良いものを・・・」


 団長室で彼女と向き合い、それから近況を伝えあった。

 お父様とお母様も変わらず健勝なようだ。


 けど彼女はそんな話をしに来たのではない。

 本題を切り出し辛そうにしている。

 どうも話しにくい話題のようだ。

 私が促すと、マリアは逡巡したのち、意を決したように話し始めた。


「ロルフ様が騎士団から追い出されたと聞きました」


「・・・そうよ。陛下から下賜された馬を逃がしてしまってね」


 あまり話したくない話題だけど、マリアなら良いだろう。

 私はロルフ追放の顛末をマリアに聞かせた。


「それだけなら追放にまでならなかったんだけど、彼は謝罪も反省もしなかった。自分の過誤を認めることが出来なかった」


 謝罪せず押し黙るロルフの姿が思い出される。

 さらに、やり直す機会を与えたにも関わらず、彼がそれに応えなかったことを同じく思い出し、私はまた、何度目とも知れない怒りと悲しみに襲われる。

 嘆息してから紅茶で唇を濡らし、話を続けた。


「過ちと向き合えないような人間が、騎士になれる筈はない。騎士になれない人間が騎士団に居ても意味は無いわ。だから出て行ってもらったの」


 それを聞くと、マリアは顔に悲嘆を浮かべ、目を伏せてしまった。


「マリア、古い知り合いであるロルフが人生を誤っていることを悲しく思うのは分かるわ。私だって同じよ」


 マリアにとってもロルフは昔から見知った顔だ。

 そのロルフが騎士の夢を叶えられずに去ったことを、残念に思うのは当然だろう。


「でも、誰でも騎士になれるわけじゃない。騎士に相応しい人だけが騎士になる。仕方の無いことなのよ」


 ティーカップを置くと、かちゃりと音が響いた。

 空気が重苦しいと、何でもない音も耳障りに聞こえる。


「マリア。それでも私はロルフにチャンスを与えたのよ。だけどロルフは──」


「違うんです」


「ん? 何が?」


「馬が逃げた時、ロルフ様は第五騎士団の本部に居ませんでした」


「・・・え?」


 一瞬、マリアが何を言ってるのか理解できなかった。


「ロルフ様は馬を逃がしていません」


 ◆


 マリアはまず、自身の過去について語った。

 なんと彼女は、アールベック子爵のあのおぞましい犯罪の被害者だと言う。

 最悪の結果になる前に逃げることが出来たそうだが、彼女が心に受けた傷は小さくないだろう。


「・・・大変だったわね、マリア」


「お気遣いありがとうございます」


 昔から、マリアはどこか大人びた雰囲気のある子だった。

 時折、表情に影が差すことがあったのだ。

 そういう過去を持っていたのなら納得がいく。


 話によると、逃げ出せたのは偶然が重なった結果だそうだが、本当に良かった。

 犠牲になった他の女性たちには申し訳ないが、八年前の偶然に安堵する。


「でも、そんなことがあって、よく一人でこの本部まで来ることが出来たわね。そうでなくても女性の一人旅なんて怖いものなのに」


「ロルフ様のおかげで区切りがつきましたから」


「・・・どうも話が分からないわ。それはロルフが馬を逃がしてないという話と繋がるの?」


「はい」


 それからマリアは順を追って話してくれた。


 マリアは、メルネス家を訪れたアールベック子爵父子を見て、昔見た顔だと気づいたらしい。

 父子の異常性を知っていたマリアは、私の行く末を察したのだ。

 けど、それをお父様に伝えることは出来なかった。


「旦那様はあの時、子爵家との婚姻に相当腐心しておいででした。貴族家の当主にとって、家の存続のための婚姻がどれほど重要か、私にも分かります。そんなところへ当時六歳だった私の記憶を話したところで・・・」


「聞き入れてもらえるかというと、難しかったでしょうね。そもそも子爵家への告発なんて、かなりの大事おおごとだし・・・」


「はい。それでロルフ様を頼ったのです」


 ロルフはマリアの話を信じてくれた。

 そして私には話さないようマリアに言い含めると、アールベック領に向かったのだと言う。


「ちょっと待って。どうして私に伝えてはならないと?」


「知ればメルネス家にとって望ましくないことになるとロルフ様はお考えになったのです」


 ああ、そういうことか・・・。


 子爵家の犯罪が証明されたとしても、告発に私が関わっていると見られるのはマズい。

 そうなれば、貴族社会においてメルネス家は大きな打撃を受けただろう。


 私はアールベック子爵家との婚約のため、つまりはメルネス家のため、随分ムリをしながら団長の責と向き合っていた。

 それを知っているロルフが、この件に私を関わらせるわけが無いのだ。


「主人たるエミリー様に黙っていて申し訳ありませんでした」


「良いのよマリア。・・・黙っていることについて、ロルフは何か言ってた?」


「主人への隠し事を強いることになって済まないと。そのうえで、ロルフ様に預けろと仰せでした」


「そう・・・。彼らしいわね」


 それからロルフは、その日のうちに単身アールベック領へ出向いた。

 そして子爵家の犯罪を暴いたのだ。


 あの時、ロルフは街でお酒を飲んでたと言っていた。

 街で外泊したなら女性を買ったのだろうと面罵する者たちも居た。


 そうでは無かった。

 私を救っていたのだ。


 ロルフは、マリアの話を聞いた日の夜にアールベック領に向かい、翌日、この件を解決したということになる。

 長い間秘匿され、夥しい数の犠牲者を出していたこの惨劇を、たった一日で。


 相変わらず、破格の活躍をしていた。

 相変わらず、誰にも讃えられること無く。


「エミリー様。ロルフ様がアールベック領に向けて出発したその夜、私はこの本部に泊まらせて頂きました」


「そうだったわね」


「その夜、私は馬舎に行きました。エミリー様が陛下より下賜されたという馬を見てみたかったのです」


 ・・・話が分かった。

 分かってしまった。


「・・・・・・馬はまだ居たのね? もうロルフが発ったあとなのに」


「はい。ロイシャー種の大きな軍馬が。見間違いではありません」


「・・・・・・・・・」


 締め付けられるような鈍痛を胸に感じる。

 後悔と罪悪感がもたらす痛みだった。


 ロルフは、間違ったことは何もしてなかった。

 それどころか、正しいことをしていた。

 彼の行いによってどれだけの人たちが救われただろう。

 そしてなにより、私を救うためにロルフはそれを為したのだ。


 対して私はロルフに何をした? 何を言った?

 彼を、過ちを認められない弱者と断じ、あまつさえ騎士のあるべき姿を説いた。

 彼は境遇によって卑屈になってしまったのだと思い込んだ。


 そのうえ、ロルフが辺境で戦果を挙げていることを知った時は、やっと自分を恥じて変わる気になったのだ、などと思い違いをした。

 ちがう。恥じるべきは私だ。

 彼は変わったのではなく、初めからずっと、あのロルフのままだったのだ。


 あの審問会で、ロルフは馬を逃がしたことをちゃんと否定していた。

 前後の行動を説明することは無かったけど、それは私のためだ。


 そもそも前後の行動は関係ない。

 馬を逃がした証拠は無く、ロルフも否定していた。

 しかも、あの日ロルフは休暇中であり、馬の管理に何ら責任を帯びていない。

 それもロルフが審問会で主張したとおりだ。


 それなのに、私はロルフを信じようとしなかった。

 皆が彼を糾弾するのを止めもせず、高みから謝罪を要求した。

 あの時の自分の台詞が脳裏によみがえる。



 ────ロルフ、謝罪しなさい



 権力者の声音だ。

 寒気がする。


 ロルフは高潔だ。やってもいない罪で謝罪なんかしない。

 たぶん、たぶんだけど、迷ってくれたとは思う。

 やってなくても頭を下げれば、まだ私の傍に居られるからと。


 でも、そうはしなかった。

 それがロルフ・バックマンという人だ。



 ────貴方を除籍処分とし、第五騎士団から追放します



 到底、愛した人に向けるものではない目で。

 到底、愛した人にかけるものではない声で。

 私は彼を追い出した。


「・・・・・・・・・」


 気がついたら、私は首をすくめ、両腕で自らの身体を抱きしめていた。

 寒い。

 傍らにロルフが居ない。


「エミリー様・・・」


 マリアが悲痛な表情で私を見つめている。


「私が発端で、エミリー様からロルフ様を遠ざけることに・・・」


「・・・マリア、貴方は何ひとつ悪くないわ」


 そう。マリアは私のために正しい選択をしてくれた。

 選択を尽く誤っている私とは違う。


 子爵父子のことに対処しない限り、私は悲劇に見舞われていた。

 他の犠牲者たちと同じ末路を辿っていたに違いない。


 かと言って、犯罪の根拠は当時子供だった者の八年も前の記憶だ。

 それを元に貴族家の婚姻があらためられる筈がない。

 ましてお父様は子爵家との婚姻に心血を注いでいたのだ。


 だからロルフを頼ったのは最良の判断と言える。

 彼はマリアの記憶を信じ、全面的に味方になってくれた。

 そして私のために、即座に行動してくれた。


 ロルフが事実を私に伏せたのも、正しかったのだろう。

 私がそれを知ること自体、かなり危険なのだから。

 無関係を装っても、知っていたことがバレた時のリスクが大き過ぎる。


 ただ私がロルフを信じれば、それで済んだ話だったのだ。

 それを私は、ロルフが頭を下げれば済む話だったのに、などと思っていた。


「一体どうすれば・・・」


 少し前までロルフが居たこの団長室。

 今は居ない。

 居てほしい人が居ない。


 マリアが心配そうに見つめる前で、私は俯いてしまう。

 その時、団長室のドアがノックされた。


「団長! 失礼します!」


 ひとりの団員が入室してくる。

 なにやら随分慌てていた。

 走ってきたようで、息を切らしている。


「どうしたの? ちょっと落ち着きなさい」


「はっ。失礼しました。それで団長、いま中央から連絡が」


 そう言って、団員は私に連絡の内容を告げた。

 その内容を、私は一瞬理解できなかった。

 いや、理解することを拒絶した。


「・・・え? う、嘘でしょ? そんなことって・・・」


「詳細はまだ不明です。ただ、間違いなく事実であるとのことです」


 そんなバカな。

 そんなことある筈がない。




 ────バラステア砦、陥落。




 私は自失し、狼狽え、それからようやく思考を開始した。

 あれだけ勝ち続けてたのに、何があったの?

 辺境伯の領軍は何をしてるの?


 ・・・・・・ロルフはどうなったの?


 砦が落ちたなら、司令官を務めるロルフが無事である筈がない。

 捕虜になってくれてるならまだ良いけど、ロルフは剣を手に立ち向かってしまったかもしれない。

 そうなったら戦う力の無い彼など、容易く殺されてしまうだろう。


 死んだ・・・?

 ロルフが、死んだの?

 私が、あの砦に追いやったから?


 私は胸を抑えつけ、嗚咽と嘔吐をこらえた。

 いや、大丈夫。

 きっと生きてる。


 そうじゃなきゃおかしい。

 そうでなければならない。


 そうだ。それに今、辺境伯領にはフェリシアが行っている。

 第五騎士団最強の魔導士である彼女なら、何とかしてくれているに違いない。


 ロルフもフェリシアも生きている。

 自分に言い聞かせ、それから激しくかぶりを振ってイヤな想像を追い出した。


「団長、この件について、中央で会合が開かれます。追って、出席の依頼が来るかと」


「・・・そう。分かったわ」


 巨大な動乱が幕を開けたことに、私はまだ気づいていなかった。

 時代の奔流は唸りをあげ、私たちを呑み込む。

 川面かわもを滑る草舟のように、私は行き先を選ぶことも出来ず流されてゆく。


 それとは逆に、常に自ら道を選び続けた人が居る。

 私はその人のことを想い、窓の外を見上げた。


 鈍色にびいろの空が、何かを暗示するようにどこまでも広がっていた。





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第二部完です。

このお話にここまで付き合ってくださっている方には感謝に堪えません。

本当にありがとうございます。


主人公が一定の反撃行動をとるまでは急ぎ話を進めようと、ここまではハイペースで投稿して参りましたが、ここでいったん一区切りとし、インターバルを頂きたいと思います。


正直、小説を書いてネットでいろんな方に読んで頂くという行為がこんなにエネルギーの要るものだとは思っていませんでした。甘く見ていました。


頂戴した色んな反応を自分のなかで処理したり、でもそれで作品がブレたりはしないよう気を張ったり。

そして本当にこれは人様に見せられるものなのかと、公開時間直前までテキストと睨めっこすることも度々です。


アマチュア投稿者が、それもド新人の木っ端が何を気取っているのか、と自分で思わなくもないのですが、とにかくそんな日々では思うように書き溜めが出来ず、時間を頂かざるを得ない状況になってしまいました。申し訳ありませんがご了承ください。


一時的になるかもしれませんが、コメント欄を開けました。もし良ければ何か書いていってください。励みや教訓にさせて頂きます。


それでは今後とも本作を宜しくお願い致します。

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