69_そして剣を手に3
「私は・・・投降します」
歯を食いしばりながら、絞り出すように言うエッベ。
青白かった顔が赤くなっているのは、羞恥と屈辱によるものだろう。
だが、俺はそれを拒絶する。
「投降は認めない」
信じ難い言葉だったのだろう。
エッベが目を見開いて驚愕している。
その目には涙すら浮かんでいた。
「な、なにを、なにを言うのですか? もう戦いの趨勢は決しました! こ、これ以上の戦闘は無益です!」
俺がこの区画に来る前、西門付近では援軍を得たフォルカー隊が有利に戦況を進めていた。
そして今、蹄の音も、剣戟音も聞こえなくなっている。
町から新たな火の手が上がることも無い。
領軍は敗れたか、あるいは敗れつつある。
そして虎の子のエッベ隊も壊滅。
ヘンセン攻略は失敗だ。
エッベにも、そのことが分かっているようだった。
「アナタは清廉な方だ! 投降を望む者を殺しはしない! そうでしょう!?」
そもそも俺は魔族軍の者ではない。
投降を受けるような立場にないのだが、まあそれは良い。
俺は決意を持って剣を握ったのだ。
その決意をいきなり
「エッベ。剣を手にする者は、戦意なき者を斬るべきではない」
「で、では!」
エッベの表情に笑みが浮かぶ。
助かったと思っているのだ。
「だが、戦意なき者を斬る者を、俺は斬るだろう」
「はっ・・・?」
エッベは、民間人の財と命を奪うためにこの戦いに参加している。
紛れもなく、"戦意なき者を斬る者" だ。
だから俺はそれを斬る。
「
「そ、そ、そんな・・・!」
エッベが、がたがたと震えだす。
彼は、いよいよ理解せざるを得ない。
自身の命が潰えようとしていることを。
「言っておく。お前が背を向けて逃げるなら、その背を斬る。膝をついて
俺に少しでも屈辱感を与えたいなら、そのいずれかを選ぶのが良いだろう。
だが、剣を手に斬りかかってきてくれたなら、俺としては大いに助かる。
あえて戦意のない人間を斬りたい訳じゃないからな。
「はー・・・はー・・・」
エッベは、焦点を結ばぬ目を中空に向け、肩で息をしている。
顔中が涙と脂汗でぐしゃぐしゃになっていた。
「ひっ・・・ひふ、ふっ・・・」
やがて、過呼吸が出始める。
しゃくり上げながら肺を細かく震わせ、眼球をせわしなく動かす。
顔には絶望を
「あ、ああ、ああ・・・」
カールも言っていたが、王国の、人類社会の価値観から言えば、俺の行動原理こそが悪で、彼らの方が正しいのだ。
魔族から奪うことも、魔族を殺すことも、魔族を嗤うことも、正義なのだ。
俺はそうとは思わなかったから違う道を選んだ。
自分たちと同じように意志と感情と社会性を持つ者たちが、種として劣悪で、滅びるべき存在であるなどと信じることは出来なかった。
そして互いに譲れぬ以上、共存の道が無い以上、戦うしかなかった。
戦って勝つしかなかった。
俺は覚悟を持って戦いに臨んだつもりだ。
しかしエッベには、覚悟など無かったらしい。
だからこの状況を少しも想像出来ていなかったのだ。
彼にとって戦いは、労せずして奪うものでしかなかったのだろう。
「あ、あ、ああ、ああああああーー!!」
そしてエッベは、剣を振り上げて飛びかかってくる。
滅茶苦茶な構えだった。
────どっ
すれ違いざま、袈裟斬りに煤の剣を振り抜いた。
エッベの血が、彼の部下たちの骸に激しく降りかかる。
「わ、わた、私は・・・私は・・・!」
そう言いながらエッベは崩れ落ち、そして絶命した。
"私は" 何だったのだろうか。
◆
「ロルフ、ありがとう。戦ってくれて」
リーゼが上階から広場へ降りて来る。
そして、人間でありながら人間を斬った俺に、感謝を告げた。
彼女は、本当に良かったのか、などとは問わなかった。
俺が祖国に弓を引き、かつての仲間たちを斬ったことについて、何か気づかわしげな言葉を使ったりはしなかった。
ただ、ありがとうと言ってくれたのだ。
その心が嬉しかった。
「いいさ。ケガは無いか?」
「大丈夫よ。危なかったけど、ロルフが来てくれて助かった。それにしても凄いわね。あんなに居た敵を一人で倒しきるなんて」
瞳には、素直な称賛の気持ちが現れていた。
ありがたい評価だが、俺の意見は違う。
「そうでもない。見ろ。全身煤まみれだ」
「ん。本当に煤が舞ってたね、その剣。でも、何がそうでもないの?」
振ると煤が舞い散ると言われていたこの黒い剣。
伝承のとおり、振るたび本当に煤が舞っていたのだ。
「本当に優れた剣技を持つ者なら、一切煤に汚れることなく、この剣を振るだろう。この煤まみれの姿は、俺が未熟なことの証左だ」
「そ、そうなの? ちょっと理解できないけど、ロルフがそう言うならそうなのかもね。とりあえず、今後は煤が目立たないよう、黒い装備で固めてみたら?」
「今後もこの剣を使って良いのか? 実はそれを頼もうと思っていたんだ。どうやら俺にはこの剣が必要らしい」
黒い刀身を見つめながら俺は言う。
「だが、これはこの地の皆にとって大切な剣なのだろう?」
なにせ、奉られていた剣だ。
魔族たちにとって重要な意味を持っているに違いない。
「剣は使われてこそ、って皆言うと思うわ。族長である父さんもね。ロルフしか使えないんだから、ロルフが持つべきよ」
「そうか、ありがとう。アルバン殿には、改めて申し入れさせてもらう」
話しぶりから見てリーゼは、俺が今後、彼女らと共に戦うことを疑っていないようだ。
族長アルバンの屋敷に居た者たちも、思うところはあれども、人間であるからという理由で必要以上に強い敵意を向けてきたりはしなかった。
俺は思ったよりスムーズに受け容れられるかもしれない。
ベルタも俺のことを認めてくれていたようだしな。
それを思い、上階に目を向ける。
そこにベルタは居た。
あの気の良い女性は、もう動かない。
「・・・ベルタの部下たちが、居住区に紛れた王国兵を潰しながら私の隊に合流したの。そこを彼らに任せて、馬の早い私が急いで戻って来たんだけど・・・」
間に合わなかった、か。
リーゼはさっきから気丈に振るまっているが、やはり悲しみは隠せていない。
「弔うのは後だ。とにかくフォルカーたちと合流しよう」
「・・・そうね」
泣くのも悲しむのも、戦いが終わってからだ。
守るべきものが守られたと分かるまで、立ち止まってはならない。
俺たちは、西門付近の戦域へ向かった。
◆
予想したとおり、フォルカー隊は戦場を制しており、領軍は潰走状態にあった。
フォルカーは縦深陣による各個撃破で敵を損耗させたのち、援軍と合流するや否や、すかさず攻撃に転じたのだ。
「う、うわあぁぁぁーー!!」
炎に退路を制限され、事実上挟撃される形になった王国兵たちは、もはや組織的反攻は不可能なまでにその数を減らしていた。
西門へ辿り着き逃れて行く兵も居るが、多くはどんどん討ち取られていく。
そして町のなかから領軍が居なくなると、フォルカーは高らかに叫んだ。
「我々の勝利だ!!」
それに呼応して、割れんばかりの歓声が夜空に響き渡る。
ヘンセンの戦いは、ここに終結を迎えた。
だがフォルカーの表情はすぐれない。
さっき、リーゼからベルタの死を聞かされたのだ。
さらに逃げ遅れた民間人にも数名の死傷者が出ていた。
だが、過去最大規模の敵に町を突かれるという状況に面して、この被害で勝てたことは僥倖と言って良いだろう。
この被害。そんな言葉で片付けるにはあまりに重くもあるが・・・。
「勝ったよ。私たち、勝ったんだよ。みんな無事だよ」
リーゼが、夜空に向けてベルタに報告している。
そう。ベルタが守ろうとした者たちも皆無事だ。
「ロルフ、礼を言う」
フォルカーの礼はあまりに言葉少なで、かつ表情に乏しかったが、そのあたりは俺も人のことを言えない。
この男とは意外に気が合うかもしれないと思うのだった。
フォルカーの言う礼が何のことかも分かる。
私財の残置や、敵の放つ火を利用して戦域を制限するという献策についてだ。
「正直、半信半疑ではあった。戦いの
領軍の行動は、フォルカーにとって理解しづらいものであったようだ。
「奴らは味を占めていたんだ。五か月前、集落まるごとの掠奪に成功しているからな。餌の味を覚えた獣ほど扱いやすいものは無い」
「なるほどな・・・」
「だが騎士団、とりわけ序列上位の団が相手だったら、こうはいかないぞ」
俺の言葉に、フォルカーと、そのとなりに居たリーゼが真剣な表情を作る。
俺が騎士団との戦いに言及したからだ。
「ロルフ、おまえは・・・」
「献策がある。アルバン殿に繋いでほしい」
「なに?」
怪訝な顔をするフォルカー。
戦いは終わったのに、献策とはどういうことだと言いたげだ。
「今すぐバラステア砦を攻めるべきだ」
俺がそう言うと、リーゼとフォルカー、そして周囲に居た者たちが静まり返った。
「砦の司令官は病床にあり、その代理を務める俺は今ここに居る。そして副司令官は、さっき俺が討った」
静まり返った者たちが、顔に驚きを浮かべる。
そして、黙って俺の言葉に耳を傾ける。
「つまり砦の指揮系統は完全に死んでいる。今なら落とせる。奴らが立て直す前に攻めるんだ。俺も同行する」
バラステア砦があって、領都アーベルに領軍が居る限り、この地の魔族に安寧は無い。
砦を落とし、それを
そうすることで、先ずはこの地域の安全を確保する。
そして・・・。
「ロルフ・・・良いんだな?」
「ああ」
フォルカーは、この戦いに参加するのだなと、人間と戦うのだなと、そう聞いている。覚悟を問うている。
それに対し、俺はハッキリと答えた。
「ロンドシウス王国を倒す」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます