68_そして剣を手に2

「信じられない・・・」


 リーゼには、ただ畏敬の念をもってそれを見守ることしか出来なかった。

 彼女の双眸そうぼうに映るのは、階下の広場で戦うロルフの姿だ。


 まず理解できないのは、煤の剣を持って戦っているということだった。

 あの剣は、誰にも握れない筈なのだ。

 手袋ごしであっても、激痛と共に手が焼け爛れてしまう。

 誰をも拒絶する剣なのだ。


 神代かみよの昔から存在すると言われる剣だが、あの剣を持って戦った者の記録は無い。

 それなのに、ロルフはあの剣を握って戦っている。


 それに、あの剣は高比重のオオカミ鋼で出来ている。とんでもなく重いのだ。

 もともと儀礼用のもので、戦いに用いる剣ではなかったという説が有力だった。

 戦いにおいて用を為すような剣ではない筈なのだ。


 それなのにロルフはあの剣を、まるで掌で小太刀をるかのように軽々と、そして正確に振っている。

 ましてロルフは既にかなりの戦傷を負っており、全身を強烈な痛みがさいなんでいる筈だ。剣を取って戦うこと自体、難しいように思える。

 だというのに、あの重い剣を縦横無尽に振り回している。

 技術も精神力も、途轍とてつもない次元にあることが分かる。


 そしてその戦いぶりも破格だ。

 ロルフの剣は、今まで見たどんな剣よりも力強く、素早く、そして流麗だった。

 すべての決断を一瞬で済ませ、勇敢に踏み込んでは敵を斬る。

 これ以上ない完璧な刃筋で剣を走らせ、敵を倒す。


 目を奪われ続けるリーゼは、次に信じられないものを見た。

 ロルフが、銀の鎧ごと敵兵を両断したのだ。


 見るからに高い膂力を持つロルフ。

 そこへ加え、あの人間離れした剣技と、そして超硬度超比重の炭化オオカミ鋼で出来た剣だ。

 これらの条件がそろえば、あんな怪物じみたマネが出来るのかもしれない。


 驚きはそれで終わらなかった。

 ロルフが魔法を斬ったのだ。

 "魔法を斬る"。

 意味の分からない言葉だ。

 だが確かにロルフは、魔法を剣で斬り裂いた。


 何がどうなればそんなことが出来るのか、リーゼにはまったく分からない。

 仮にあの剣にそんな力があったとしても、その剣を初めて握った日に、迫りくる魔法へ向けて剣を振り下ろすなどということが出来るものなのか?

 しかしそれは、いま目の前で確かに起きている事実なのだ。


 リーゼはロルフから視線を外すことが出来なかった。

 幾つもの常識を蹴破る光景をまざまざと見せつけられても、また、同胞であった筈の者たちを次々に血の海へ沈めていくその姿を見ても、ロルフに対する恐怖や嫌悪は少しも湧かなかった。


 気高い。

 むしろそう思った。

 どうしてかは上手く説明できないが、心底からそう思ったのだ。


 それともうひとつ、気づいたことがある。

 振ると煤が舞い散るというあの剣の伝承。

 あれは本当だった。

 ロルフが剣を振ると、確かに剣から黒い煤が舞い飛ぶのだ。


 リーゼの目に、それは美しいものに映った。

 煤は、まるで空間に墨を引くかのように現れ、舞い、消えていく。


 巨獣の如き威容と、胡蝶のような繊麗せんれいさを同時に体現するロルフの剣から、闇夜にあってなお黒い煤が棚引たなびく。

 そしてその煤の向こうで、同じく漆黒をたたえながら、しかし明星のような意志の輝きを見せるロルフの瞳。


 世界に、これ以上の美があるだろうか。リーゼはそう思った。

 鮮血飛ぶ戦いの場であるにも関わらず、そこには名状しがたい美しさがあったのだ。

 自身の頬が紅潮し、息が荒くなっていることに彼女は気づいていない。


 そして戦神の舞いに見入るリーゼの意識が感慨から帰還した時、敵はあと二人を残すのみとなっていた。


 ◆


「ふ・・・ふざけやがって・・・! こいつ! 加護なしの分際で!」


 俺を睨みつけながらカールが言う。

 その声音は憤怒に震えているが、顔面は蒼白だ。恐怖を覚えていることがありありと分かる。

 にも拘らず怒声をあげるのは、恐れを怒りで塗り潰そうとしているからだろう。


「だ、代理どの。随分と上手く剣を使うようで。そ、それに、アナタは障壁を破れない筈では? 魔法を斬っていたようにも見えましたが、あれは何です?」


 エッベは、カールよりは冷静なようだ。

 この状況で対話に活路を見出そうとするのは戦術として間違っていない。

 声を震わせながらも俺に問いかけてくる。


「俺の剣技は相対的にお前らよりは優れているが、単にお前らが未熟すぎるだけだ。魔法を斬れるのは、この剣が特別だからだが、俺も詳細は知らない」


「クルァァァァァァ!! 黙れザコがぁぁぁぁぁぁ!!」


 未熟すぎる、という部分が癇に障ったようだ。

 怒り狂ったカールが斬りかかってくる。

 だが、その動きは未熟さを裏付けるものでしかなかった。


 ────しゅりん


 俺は向かってくる剣に黒い剣を合わせ、刀身に刀身を這わせながら払った。

 カールの剣は、するりと動いて明後日の方向を向いてしまう。

 そのまま俺は、下段の構えに移行し、剣を振り上げようとする。


「うおぁぁぁぁ!?」


 カールは後方に倒れながら、俺に向かって剣を投げ捨て、必死に転がりつつ離れていった。

 俺は飛んできた剣を払い落として言う。


「ブザマだが、何としても生きようとする姿勢は悪くない」


「くっ! だまれ! だまれ! だまれぇぇぇ!!」


 カールは、エッベ隊の遺体から剣を拾い上げながら立ち上がった。

 そして銀の剣に魔力を込め、魔法剣を発動する。


『白炎剣』アニヒレイション!!」


 ごう、と音がして、剣が炎に包まれた。

 憤激にまみれるカールの顔を炎が照らす。


「カ、カール! 落ち着け! 王国兵同士、話し合えば済むことだ! そ、そうでしょう? 代理どの!」


「バカ言ってんじゃねぇよエッベさん! こいつと話し合うことなんか無ぇ!!」


「ああ、そのとおりだ。気が合うじゃないかカール」


「がぁぁぁぁぁぁ!! てめぇ!! てめぇ!! てめぇ!!」


 カールはさらに感情の制御を失う。

 瞳は怒りで満ちている。

 そしてその奥では、恐慌が荒れ狂っていた。


「間違ってるのはテメエだ! 悪はテメエだ! テメエは見捨てられた背信者なんだ! 哀れなザコじゃなきゃいけねぇんだぁ!!」


 言うや否や、突っ込んでくるカール。

 そして横薙ぎに剣を繰り出し、剣に纏わせた業火を叩きつけて来る。

 俺は正面から踏み込み、カールと逆方向から横薙ぎの剣を放った。


 ────ひゅおっ・・・


 二本の剣が描く半円が互いに重なった時、風切り音が舞い、炎が消え去った。

 そして静寂が満ちる。


「あ・・・あ・・・」


「カール。俺が赴任して間もない頃、お前らは命令を無視して追撃に出たことがある。その時に殺した斧使いのことを覚えているか?」


「な・・・なんだ? 斧使い? い、いちいち覚えてねーよそんなの。そ、それが何だってんだ!」


 ミアの父のことは忘れているようだ。

 殺めた相手のことは覚えておいてほしかった。


「俺はお前を覚えておくよ」


 そう言って、もう一度剣を振る。

 黒い刃が、カールの喉を横合いから通過した。


「かっ?・・・か・・・ごぁ・・・」


 噴き出す血を止めようと、剣を取り落とし、両手で喉を覆うカール。

 だが指の間を通って、次から次へと血が出ていく。

 数秒後に訪れる死を理解したらしく、カールは悲憤と絶望を表情に貼りつけ、俺を見つめた。


「あぁ・・・! が・・・・・・か・・・」


 やがて脳への血流が無くなり、怨嗟に見開いた両目から意識が消失する。

 そしてそのまま両手をだらりと落とし、膝から崩れ落ちていった。


 ────どさり


 骸となったカールを間に挟み、俺とエッベが向き合う。

 エッベは青い顔を余すところなく脂汗で濡らしている。

 歯の根が合わず、かちかちと音を鳴らしていた。


「は・・・はは・・・。ア、アナタが、こんなにも強かったとは・・・」


「・・・・・・」


「いや、素晴らしい! 魔力の不利が無くなった途端、これですか! その剣技、どうやって身に付けたのですかな?」


「・・・・・・」


「そ、それほど強ければ、王国内で厚遇されましょう。騎士団に戻ることも・・・」


 エッベは必死に弁舌を駆使している。

 斬り結んでも勝負にならないことは、さすがに理解しているようだ。

 だが、言っている内容は一考の価値も無いものだった。


「見ての通り、俺は王国兵を大勢殺した。王国に戻れると思うか?」


「さ、些細な行き違いです。話し合えば、何とかなりますとも!」


 それはどうかな。

 そもそもそれ以前に、俺には王国へ戻る気は無いのだ。


「エッベ。もう、そういうのは止そう。剣を構えろ」


 エッベの顔がぐしゃりと歪む。


 遠く聞こえていた蹄の音や兵たちの喧噪が、いつの間にか無くなっていた。

 もはや領軍は進軍していない。

 どうやら西門付近の戦闘も落ち着いたようだ。


 ヘンセンの戦いが終わろうとしている。

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