66_決断
井戸から這い出た俺は、周囲を見まわした。
カールたちはもう居ない。
老人の遺体が横臥するのみだ。
俺は遺体を家の中に運び込み、そこに倒れていた老女の遺体の隣へ横たえた。
それから家を出て、西門方面の戦域を見渡す。
そこではフォルカー隊に援軍が合流し、領軍を押し返しつつあった。
ここは大丈夫だろう。
そうなると心配なのはあの子供たちが居た区画だ。
そう考え、傷だらけ且つずぶ濡れの体を、さっきの区画に向ける。
カールたちも向こうへ行った可能性が高そうだ。
追いかけてまた
カールはさっき、俺を殺そうとした。
また会えば、今度こそ確実に命を奪いにくるだろう。
だが、それでもじっとしてはいられない。
燃える町のなか、痛む体にムチを打って走り出した。
◆
子供たちの家の近くまで戻ってきたが、このあたりも燃えていた。
領軍は、こちらでも無秩序に火を放って行ったらしい。
だが、子供たち含め、住民の避難は出来ているようだ。
燃え盛る町をしばらく走ると、前方に銀の鎧の一団が見えた。
やはりカールたちはこちらに来ていた。エッベも居る。
交戦中のようだ。戦っている相手はリーゼだった。
「!!」
俺は息を呑んだ。
リーゼの近くで、大きな体が血だまりに膝を着いて座り込んでいる。
顔は下を向いていた。
体は微動だにしておらず、呼吸をしていないように見える。
それ以前に、傍で戦うリーゼの表情を見れば、何が起きたかは一目瞭然だ。
ベルタは死んだのだ。
彼女とは、今日出会ったばかりだ。
だが、その敬愛すべき精神性に、俺は長年の友を得た思いになっていた。
そんな友を、出会ったその日に
ベルタは、守るべき者たちのために戦い、死んだのだ。
そして、その守られた者のひとりであるリーゼが、今まさに戦っている。
ベルタの戦いを意味あるものにするために、悲しみを押し殺して戦っている。
強い
だが、リーゼはエッベ隊の魔法攻撃にかなり苦戦しているようだ。
そもそも数が違い過ぎる。
このままでは押し切られてしまうだろう。
すぐに助けなければ。
エッベ隊は皆、こちらに背を向けている。
俺は彼らに気づかれないように横道に入り、側面に回った。
燃える家並みを挟んでエッベ隊の真横についた俺は、近くにあった荷車を両手でつかむ。
そしてそれを、燃えて崩れ落ちそうになっている無人の家に突っ込ませた。
────がしゃん。激しい激突音が鳴り響く。
元より、ただでさえガタが来ていた貧者の区画の家は、あっさりと倒壊した。
炎をまき散らしながら向こう側へ崩れ落ちていく。
「くそっ! なんだ!?」
カールの声が聞こえる。
倒壊した家は、リーゼとエッベ隊を分断してくれた。
そして、崩れ落ちた家の向こうから、エッベ隊が俺を睨みつける。
「加護なし・・・! あのまま死んでれば良いものを、どこまでジャマしやがる!!」
カールが怒りで顔を染めながら叫んだ。
エッベ隊の者たちも、軽侮と怒りを器用に同居させた表情で、俺を
「ロルフ!」
炎の向こうから、リーゼの声が聞こえる。
だが俺がそれに返事をするより先に、火の玉が飛んできた。
「
「くっ!」
俺は体をひねってギリギリで躱すが、全身の傷がずきりと痛み、足がもつれてしまう。
そこへ、カールが斬りかかってきた。
「おらぁ!!」
近くに落ちていた燃える木材を、手が焼けるのも気にせず拾い上げ、それでカールの攻撃を防ぐ。
────がつり。分厚い木に刃が食い込む。
次の瞬間、銀の剣に込められた魔力が俺に叩きつけられ、俺は吹っ飛ぶ。
「がはっ・・・!」
五メートル程も飛ばされ、道をごろごろと転がる。
そして倒れ伏してしまった。
そんな俺に、カールが近づいてくる。
その足音には強い怒りが含まれていた。
「テメェよ、なんで生きてんだよ。ボコボコにして井戸に放り込んでやっただろ? いいかげん、空気読んで死んどけよ!」
そう言ってカールは、俺の脇腹につま先をねじ込む。
「ごっふ・・・!」
また俺は転がされる。
「代理どの。まさかこんなところに来てたとはね」
そう言って近づいてきたのはエッベだ。
俺の髪を掴み上げ、顔面に膝蹴りを見舞ってくる。
「ぐぁっ!」
脳を激しく揺さぶられ、俺は倒れ伏す。
そして、エッベは俺を蹴りつける。
執拗に、入念に何度も蹴りつける。
まるで、足蹴にしない箇所が無いようにしているかの如く。
「が・・・ぐぁ・・・」
ぼろ雑巾のようになった俺を見下ろし、満足げに一息つくエッベ。
そして振り返り、隊員に向けて言った。
「魔法だ。この男が得られなかったもので殺してやれ」
「ははっ! そりゃ良い! 身の程を
カールが言うや、エッベ隊の魔導士が手をかざして俺に向ける。
エッベもカールも、その魔導士も、ほかの隊員たちも皆、
人々が俺に向ける表情は、基本的にいつもあれだった。
「ロルフ!」
リーゼが叫ぶ。
そのリーゼをも嗤うように、魔法が行使された。
「
────どん。激しい炸裂音が響く。
咄嗟に地面を転がって躱すが、火の玉はその地面に突き刺さり、魔力をまき散らした。
基本魔法の
俺は紙のように吹き飛ばされた。
全身に強烈な熱と痛みを感じながら、俺は宙を舞う。
抗いようのない魔力の炎を受け、四肢が弾け飛びそうな痛みを覚えながら、飛ばされていく。
飛ばされた先には地面が無かった。
あの階下の広場だ。
俺はその中央へ落下していった。
────がらり、がしゃん。
俺は何かを崩しながら広場に落ち、仰向けに倒れる。
土埃が舞い上がり、木片が散らばった。
どうやら、広場中央に組まれていた屋根に落ちたようだ。
たしかにここには、屋根付きの祭壇があった。
それによって衝撃を吸収されたらしく、俺はまだ生きている。
「くそ・・・祭壇を壊すとは・・・ば、罰当たり、な・・・」
強がった台詞を吐いてみるが、上手く言葉が出ない。
それをよそに、エッベたちが階段を下りてこちらに向かってくる。
勝利の確信で胸中を満たし、ゆっくりと歩いてくる。
皆、一様に酷薄な笑みを浮かべていた。
彼らの視線の先に居るのは、満身創痍で丸腰の加護なしだ。
このまま行けば、いよいよ俺は死ぬ。
エッベたちがここへ来て、まだ生きてる俺を嘲笑してから、今度こそ剣を心臓に突き立てる。
それはもう、数秒後に迫っている。
「ピンチに・・・こ、事欠かない、人生だ・・・」
俺は無理やり笑顔を作る。
持論だが、ピンチの時は状況を笑い飛ばすと良い。
その方が優れたアイディアが浮かぶというものだ。
しかしこの状況で、どんな打開策があるというのだろう。
それにしても、さっきから俺の胸の上に
視線を胸元に移す。
そこには剣があった。
古竜グウェイルオルの炎に焼かれたという、あの黒い剣だ。
どういうわけか、胸に
この剣は祭壇に刺さっていた筈だが、俺が落ちてきた衝撃で抜けてしまったようだ。
地上で随一の比重を持つ、炭化オオカミ鋼の剣だからな。
しかし妙な話だ。
リーゼは言っていた。
────誰も
────柄でも刀身でも、触ったら激痛が走って、手が焼け爛れるのよ
・・・・・・
黒い剣は、いま、たしかに俺の胸の上にある。
その黒い刀身を見つめると、何かが聞こえた気がした。
達人は剣の声を聞くというが、ひょっとして俺もその境地に差し掛かったのか?
いや、そんなわけないか。
まだまだ修行中の身だ。
だが声とは言わぬまでも、何か、僅かな息遣いようなものを感じるのだ。
そしてそれは、この剣のことを俺に理解させる。
俺は、これが思い込みではなく事実であると分かっている。
理由は分からないが、確信できるのだ。
俺は戦える。
この剣を握れば、魔力が無くても戦える。
なんで俺は、そんなことを確信してるんだ?
分からない。
でもそれが、間違いのない事実だと理解している。
エッベたちは、数歩の距離まで近づいて来ていた。
「・・・ここが、そうか」
ここを越えたら、決して戻れない。
既に俺の行動は祖国に背いている。
だが、そういうレベルの話じゃない。
剣を取って戦うなら。
この剣を取り、彼らを・・・。
人間を。
斬り殺すなら。
それはつまり人類社会との戦いを始めるということ。
魔族の側に立つということだ。
そしてひとたび剣を持ち、その戦いに身を投じたなら。
何かを守るために、何かと戦うことを決めたなら。
もう逡巡してはならない。
この先、かつて近しい関係にあった人たちと戦場で会ったとしても。
決意を
俺には斬れない、なんて言ってはならない。
出来るのか?
戦えるのか?
斬れるのか?
俺は・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・。
何かが聞こえる。
────ロルフなら心配いらないわ。沢山の魔力を頂いて、騎士団でも活躍するでしょう
────そうプレッシャーをかけるものではないよ。ロルフは剣も軍略も一級品だ。仮に魔力が高くなくても活躍できるさ
ああ、これは・・・。
────いいかいロルフ。魔力の多寡は確かに重要だが、それだけにとらわれてはいけない。神疏の秘奥で一番大事なのはヨナ様との間につながりを持つということだ。それを忘れないようにな
────はい、父上
この時は、俺を待つ運命について想像もしていなかったな。
────王のため、民のため! 家族のため、隣人のため! 身命を賭して魔族と戦う! それが我らの責務だ! そのことを今日より死する時まで忘れないでほしい!
タリアン団長だ。
第五騎士団へ入団した日に聞いた訓示だな。
俺は、剣を取って信念のために戦う騎士になりたかったんだ。
国を守り、力なき人たちを守る騎士に。
────そうすることに、意味が・・・あるんですか?
────これは聖と邪の戦いだ! 神に見限られた男の出る幕はない!
────
────魔族を滅ぼす日は来る! 私たちがすべてを賭けてそれに向かえば!!
・・・さっきから何だよ。走馬灯か?
要らないぞ、そんなもの。俺はまだ死なない。
倒れ伏してるわけじゃなくて、少し休息してるだけだからな。
拳闘と同じだ。ギリギリまで倒れておいて休む戦術なんだよ。
────あたしたちが感謝してることは忘れないでくれよ
────聖者ラクリアメレクの時代より人類の仇敵である、けだもの共だ
────まさか、また、非戦闘員に累を及ぼしてはならないなどと世迷言を言うのではないでしょうね?
・・・・・・・・・。
────これ以上! ひとりだって殺させない! 奪わせない!!
────心の声に従ったのですね。何が正しいかを、理屈ではなく心が知っていた
────いやぁ、司令官一人でここまで来るとは。見上げた度胸だねえ
・・・・・・・・・。
いいよもう。
出会った人たちのことは、ちゃんと心に焼き付けてある。
だから
誰の仕業か知らないけどな。
とにかく俺は分かってる。
ちゃんと分かってるから。
言っちゃなんだけど差し出がましいぜ。
────ああぁぁぁぁぁ! うぐぅあああああああ!!!!
────テオちゃん! テオちゃん! しっかりして! お願いテオちゃん! しっかりしてぇ!
────うえええぇぇぇぇん! お兄ちゃん! 死なないでえぇぇぇ! うえええぇぇぇぇぇん!
・・・・・・・・・。
────私、あんたを知ってるわ
・・・・・・・・・。
信用ないのか俺は?
分かったと言ってるだろ。
俺は、自分が何を信じたのかを理解している。
大丈夫だ。
────かなしい顔を・・・しないでほしい、です・・・
悲しい顔なんかしないし、させない。
だって俺は・・・約束を守る男だからな。
おい待てよ。どこへ行くんだ。
その時、運命が俺の目の前を素通りしようとした。
それは許せない。
俺は、そういうのはちょっと許せない
だから俺は、そいつの手を力いっぱい掴んでやった。
次の瞬間、俺の手は黒い剣を握っていた。
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