64_慈母3

 新たに現れた銀の鎧の一団は、夥しい数の味方の遺体が転がっているというのに、一様に薄い笑みを浮かべている。


「隊長。領軍はあの女に大分やられたようですね」


「だがヤツも満身創痍だ」


 彼らはバラステア砦所属のエッベ隊だった。

 カールほかの何人かは西門付近で掠奪を行っている。

 エッベらはこちらへ向かってきたのだ。


「領軍がここを抜こうとしてたようです」


「なるほど、区画の住民を避難させているのか。じゃあこの先に、逃げる魔族どもが居るんだな?」


 そう言って、エッベが口角を吊り上げた。

 そして部下たちに指示を出す。


「こいつを殺せ。そして逃げる者どもを追って皆殺しにするぞ」


「はっ!」


「そんなの・・・させるわけないだろ!」


 ベルタは戦鎚を握りしめた。

 そこへ、銀装備の王国兵が、左右から二人、同時に襲いかかって来る。


 ベルタは、右からの攻撃に戦鎚を合わせる。


「ぐぅっ!」


 だが、銀の剣に込められた魔力は大きかった。

 ベルタの魔力が残り少ないこともあり、戦鎚を持つ手が大きく跳ね上げられてしまう。

 そこへ左からの剣が横薙ぎに来た。


「くっ!」


 それをすんでのところで躱し、バックステップで距離をとる。

 だがそこに、正面から三本目の剣が襲い掛かって来た。

 それを咄嗟に戦鎚で防ぐベルタ。

 だが銀の剣に込められた強力な魔力の波濤が、またも戦鎚のうえからベルタに叩きつけられる。


「がぁっ!」


 吹き飛ばされるベルタ。

 しかし、大きな体からは想像もつかない機敏な動きですぐさま立ち上がり、戦鎚を構え直す。

 そして二の太刀を狙って来る剣の下をダッキングの動作でかいくぐり、戦鎚で下から半円を描く。

 渾身の一撃が正面の王国兵の顎をとらえた。

 下顎を砕かれた王国兵は声にならない悲鳴を上げて昏倒する。


「こいつ!」


 王国兵の一人が怒りに顔を染めて剣を振り上げる。

 隙の大きい動作だった。

 ベルタは戦鎚を振り上げながらその王国兵に肉薄する。

 与えるプレッシャーで勝るベルタは王国兵の動きを鈍らせ、先に戦鎚を振り下ろした。

 王国兵はあっけなく頭蓋を叩き割られる。


「クソが!」


 それと同時に、左側から次の剣が襲い掛かる。

 それを戦鎚で払うベルタ。

 だが剣に込められた魔力を捌き切れず、腕を鈍痛が襲う。

 その一瞬の隙に合わせ、右から槍が突き込まれた。


「ぐぁぁっ!!」


 体をひねって躱そうとするが間に合わず、槍は右肩に刺さった。

 槍先から魔力を叩き込まれ、ベルタは悲鳴をあげる。


「いいぞ! そのまま押し込め!」


「・・・はん! この程度で調子に乗るんじゃないよ!」


 気勢を上げるエッベ隊員たちを、鬼気迫る笑顔で睨み返すベルタ。

 疲労は色濃く彼女の顔を覆っている。

 額に玉の汗が浮き、呼吸も荒い。

 だがそれでもなお、全身に帯びる迫力はそのままに、王国兵の前に立ちはだかる。


「ヤツは限界に近い! 休ませるな!」


「だれが・・・限界だって? まだ、始まったばかりじゃないかい!」


 エッベの指示を受け、隊員たちが次々に襲いかかって来る。

 それを迎え撃つベルタだが、銀の剣は徐々に彼女の体をえぐっていった。

 ベルタの全身に幾つもの傷が走る。

 そこから流れ出す血が、地面にぼたぼたと零れ落ちた。


「はぁっ・・・はぁっ・・・! ふん! こんなもんかい? あ、あたしはまだ、ピンピンしてるよ!」


 自らの血に染まる顔に白い歯を見せ、ニヤリと笑うベルタ。

 その得体の知れない気迫に、王国兵たちは恐怖を感じ始めた。

 何人かが後ずさるその姿に、エッベの怒声が飛ぶ。


「気圧されるな! その魔族はもう死に体だ! 攻め続けろ!」


 その声を受け、弾かれるように突き動かされた兵たちがベルタへ躍りかかる。

 ベルタは、失われつつある握力を生命力の燃焼で励起させる。

 そして戦鎚を握りしめ、王国兵を迎撃した。


「おおおぉぉ! かかってきなぁ!!」


 戦鎚を脳天から正中に振り下ろし、一人を地に叩き伏せる。

 次いで横合いから叩き込み、一人の肋骨を尽く打ち砕く。

 次いで袈裟掛けに捻じ込み、一人の鎖骨を肺もろとも潰す。


 そして四人目に向けて戦鎚を振り上げた時、槍がベルタの右胸をとらえた。


「ごっ・・・ふ・・・!」


 口から鮮血を吐き出すベルタ。

 槍を持つ王国兵は歓喜を乗せた声で叫ぶ。


「ひゃはははは! やったぞ!」


 それが彼の末期まつごの言葉だった。

 戦鎚に頭蓋を砕かれ、そのまま崩れ落ちたのだ。


「な・・・なに油断してんだい・・・? や、槍ひとつ刺したぐらいで・・・喜んでるんじゃないよ・・・!」


 ごぼごぼと血を吐きながら、なおも不敵に笑うベルタ。

 ひぃ、と王国兵の誰かが短い悲鳴を上げた。

 ベルタはそこへ踏み込み、横薙ぎの戦鎚を繰りだす。


「ぐぎゃ!」


「げはぁっ!」


 この期に及んでなお威力を増しているそれは、王国兵を二人まとめて吹き飛ばした。


「穢れた魔族がしつこく現世に居座ってるぞ! とどめを刺せ!」


 エッベが言うと、隊員たちは剣や槍を握りしめ、更に飛びかかって来た。

 恐怖を狂騒で塗りつぶしての特攻だった。


「こ、この死にぞこないがぁ!!」


「いい加減にくたばれ!」


 ベルタは、襲い来る剣に左の掌を向ける。

 剣はベルタの中指を飛ばしながら、掌に食い込んで止まった。

 その剣を持った王国兵へ、血と脳漿に塗れた戦鎚が振り下ろされる。


「ぶげ!!」


 眼球を零して絶命する王国兵の隣で、槍を突き出す別の王国兵。

 槍がベルタの腹に突き刺さる。

 ベルタはその槍を掴み、槍先が腸を食い破るのにも構わず踏み込んでいき、戦鎚を振り下ろした。


「がぅっ・・・!」


「ふ、ふん。ど・・・どいつも、こいつも・・・も、脆すぎるんだよ」


 そう言ったベルタの脇腹に、剣が突き立てられる。

 ベルタの足元には、既に大きな血だまりが出来ていた。


「いいぞ! もう少しだ!」


 そう言って、剣を抜いたエッベが近づいてくる。

 勝利を確信し、自ら幕引きをしようというのだ。


「はぁ・・・はぁ・・・がはっ・・・!」


「く・・・!」


 だが、致命傷を負っている筈なのに倒れないベルタを前に、王国兵たちは後ずさる。

 体中を血に染め、血を吐き、それでも膝を着かないベルタの姿は、彼らを震え上がらせていた。


「はぁ・・・ぁ・・・・・・・・・」


 しかしベルタにも限界は来たらしく、いよいよ立ち止まった。

 だが死んではいない。

 大きな体は、まだ僅かに呼吸している。

 そして、俯いたまま、小さな声で何かを言っていた。


「・・・ごめん・・・ごめんよ・・・。もう、会いに行けそうもないよ・・・」


 ベルタの脳裏に浮かぶのは、ついさっき別れた子供たちの顔だった。

 あの子たちは泣くだろう。

 泣いてくれるだろう。

 それが悲しい。

 子供が悲しいと、ベルタも悲しい。


「・・・でも・・・でもね・・・。あたしが、あんたたちを守るから・・・」


「はっ! なにをブツブツ言っている!」


 エッベが近づいてくる。

 隊員たちが開けた道を、得々とした表情で歩いてくる。


「・・・守るから。あんたたちを。あんたたちの未来を・・・」


「死ね! 生き汚い魔族め!」


 エッベが剣を振り上げる。

 同時にベルタは、血と汗と涙に塗れた顔で叫んだ。


「あたしが!! 守るから!!」


 そして戦鎚を渾身の力で大地に振り下ろした。

 すさまじい炸裂音が響き渡る。


 残された魔力を、いや、すべての力を込めた一撃。

 命を対価にすることでのみ繰り出せる奥義であった。

 ベルタの生命力の最後の一滴までを振り絞ったそれは、まばゆい光を伴い、巨大な力の奔流となってエッベとその部下たちに襲いかかった。


「ぐあぁぁぁっ!?」


 莫大な熱と圧力が王国兵たちを襲う。

 そして彼らの命が、光の中に埋没していく。


「がぁっ!?」


 銀の鎧による魔法障壁を貫き、王国兵たちの体を大きな力が貫く。

 太陽のような光があたりを白く包んでいる。

 外連味けれんみなく全てを叩きつけるかのようなその光は、ベルタという人を良く表しているようでもあった。


 ────そして数秒ののち、光が収まった。


 そこには王国兵たちの骸の中心で、両膝を着くベルタの姿があった。


 ◆





 ────守ったよ。


 ────もう、会えないけど。


 ────あんたたちの、大人になった顔を見ることは出来ないけど。


 ────でも、守ったよ。


 ────あんたたちを、ちゃんと守ったよ。





「ベルタ! ベルタ!」


 血に塗れた視界の向こう、涙を流して叫ぶリーゼが居た。





 ────ありゃ、戻ってきちゃったのかい?


 ────泣かないでおくれよ。悲しまないでおくれ。


 ────ああ、でも。


 ────子供に看取られるのは、やっぱりちょっと嬉しいね。





「ベルタぁーー!!」





 ────リーゼ、あの子らを頼んだよ。


 ────あんた、お姉ちゃんなんだからね。








 ────・・・あたしは、ちゃんと・・・お母さんを、やれてたかい・・・?





 それは、産まれてくる筈だった我が子に向けた問いだったのだろう。


 そしてベルタは事切れた。

 その顔に穏やかな笑みを浮かべたまま。

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