61_水底に落つ
所々から煙が上がっている。
領軍は片っ端から火をつけているようだ。
西門の防備を固めるのは間に合わなかったらしい。
もう突破されている。
領軍は町の中心へ向けて進軍していくだろう。
「ベルタ、避難の状況は?」
「西門付近はもう終わってる筈だよ! あんたが言った私財の残置もやってる!」
なら多少は時間が稼げる筈だ。
領軍は必ず掠奪に及ぶ。
各所に残された民の私財を回収しながら町を燃やし、進軍してくるだろう。
「避難が済んでる西門付近で食い止めないとマズいぞ」
「これは・・・。敵さん、こっちにも来るね・・・!」
さすがに将軍だ。ベルタは素早く領軍の進軍ルートを予測した。
領軍は整然と町の中心部を目指しているわけではない。
たいした統率も無く、部隊ごとにバラけて進軍している。
散発的に火が上がっていることからそれが分かるのだ。
つまり、避難の済んでいないこちらの区画にも、幾つかの部隊が入り込んでくるだろう。
この区画へ兵を割き、人々を守りながら逃がさなければならない。
「私、父さんの所へ行って、こっちにも兵を回すよう伝えるわ!」
そう言ってリーゼが駆けだす。
西門付近で領軍が掠奪に及んでいる間に、人々を避難させなければ。
「足の早いフォルカーの部隊が、もう西門に向かってる筈さ。あたしは部下の合流を待って、この区画を守るよ」
「それが良い。俺は西門に向かう」
「直接
ベルタの言いたいことは分かる。
同じ王国の兵と相対して、その後俺はどうするのか。
そいつらを斬り殺すのか。
いや、魔力が無いうえ丸腰の俺に彼らを斬る術は無いが、それでも覚悟は問われる。
「そのつもりだ。だが先ずは、とにかくフォルカーと合流する」
「気をつけるんだよ!」
ベルタの声を背に受けて駆け出す。
今夜が運命の分岐点であることを、俺は理解していた。
◆
西門付近では、家々が激しく燃え盛っていた。
ヘンセンに石造りの建造物は殆ど無い。
木造の町は、瞬く間に火に呑まれてゆく。
「敵左翼の魔導部隊を止めろ! これ以上、火をつけさせるな!」
馬上の指揮官が指示を出している。
フォルカーだ。
ベルタの言ったとおり、こちらへ来ていた。
「フォルカー!」
喧噪のなかでも聞こえるよう、俺は声を張り上げて呼びかけた。
人間が現れたことに兵士たちが気色ばむが、フォルカーがそれを手で制する。
「ロルフ。お前の言った通り西門を固めようとしたが、間に合わなかった」
「こんなに早く攻めて来るとは俺も思わなかった! だが避難は済んでるんだよな!?」
「ああ、この区域はな。それがどうした」
フォルカーの中には、まだ俺への不信感が見て取れる。
だが今は協力しなければならない。
「このまま火をつけさせて良い!」
「なに?」
「領軍は火の回りの早さが計算できていない! 木造家屋が密集する町での戦いなど知らないんだ!」
火の粉と喧噪が乱れ飛ぶ戦場で、俺は大声で説明する。
フォルカーは、黙って俺の話に耳を傾けていた。
「燃える町が、逆に領軍の行動を制限することになる! こちらは退きながら
俺の言葉を受け、フォルカーは顎に手をあてて考える。
そして数秒ののち、部下に指示を出した。
「作戦を変更! 敵魔導部隊は放置で良い! 中央で縦深陣を組むぞ!」
理解と判断が早い。
フォルカーは優れた指揮官だ。
そして
「逃がすか魔族どもめ!」
「ははははは! 潔く死ねぇ!」
領軍の兵が、哄笑を蹄の音に交えて突撃してくる。
だが、掠奪しながら、火を放ちながらの進軍は彼らの足並みを乱していた。
そこへフォルカー隊が深く縦深陣を敷いたため、領軍は幾つかの小隊が離れて突出する形になる。
そしてフォルカー隊は、その小隊を各個撃破していった。
「がっ・・・!」
「ぐっ!?」
その光景を見て、怒りに顔を染める領軍の兵たち。
彼らは戦うというより蹂躙するために来たのだ。
明らかに勝る兵数で敵の本拠地にまで攻め入った彼らは、圧倒的な戦略的優位を得ていた。
そして燃え盛る炎は彼らを大いに鼓舞した。
もう彼らは勝利を信じ切っている。
にもかかわらず、魔族は不遜にも反撃し、人間を殺した。
彼らはそのことに我を忘れ、馬上で剣を振り上げながら駆け込んでくる。
そしてそれをフォルカー隊が落ち着いて処理していった。
「ぐはぁっ!」
一部の愚か者の死をもって、領軍も
彼らが放った炎が、彼らの退路を制限しているのだ。
「隊長! 右翼後方、退路がとれません!」
「くそっ!」
泡を食って隊列を乱す領軍。
だがそれでも彼らは軍隊だ。
指揮官のもと、すぐに隊列を整理し始める。
少しの時があれば、隊を立て直すことは出来ただろう。
だがフォルカーは優秀だった。
領軍が最も隙を作った瞬間に合わせて指示を出す。
「敵正面から右翼へ風魔法を三連斉射! 次いで騎馬隊、突撃!」
場所もタイミングも完璧だった。
正面から右翼方向にかけて領軍の隊列が最も薄くなった瞬間、そこを魔族軍の魔法が切り裂いた。
そして隊列が分断されたポイントに魔族軍の騎馬隊が殺到する。
「退け! 退けぇ!」
討ち減らされながら、
「追うな! 陣を組み直すぞ!」
フォルカーは深追いせず、縦深陣の組み直しを選択した。
賢明だ。
未だ兵の数では領軍が上回っている。
魔族軍としては、燃える家々が戦域を限定する状況を最大限利用し、領軍の進軍方向に縦深陣を敷くのが最適解だろう。
炎に行動を制限されていては、大兵力も足枷になる。
領軍に数的有利を作らせないよう、慎重に戦域を設定しながら戦うのだ。
とは言え、これには魔族軍も緊張を強いられるだろう。
数に勝る相手を戦術の妙で跳ね返すと言えば聞こえは良いが、寡兵で大軍に
まして西側を抜けられたら、この先は民間人の避難が済んでいない区域なのだ。
「フォルカー。あんたの部下たちはかなり頑張ってるが、数が足りない」
「俺も今そう思っていた。だが援軍がこちらに向かっている。耐えれば勝機はある」
朗報だった。
この状況で数的劣勢を緩和できれば、領軍を押し切れる可能性は高い。
俺は援軍が来るであろう方角を見やる。
その時、横合いの少し離れた家の前に、魔族が倒れ伏しているのが見えた。
民間人だ。逃げ遅れたらしい。
俺はフォルカー隊から離れて走り出した。
◆
幾つかの柵と道を越え、俺は倒れた魔族に駆け寄って抱き起こした。
その魔族は老年の男だった。
「くそ・・・」
男は事切れていた。
喉を切り裂かれている。
「おっとぉ・・・。これは驚いた」
そう言って、家の中から兵士たちが出てくる。
その五人の兵士は、皆、銀の装備を身に着けていた。
全員見覚えがある。エッベ隊だ。
エッベの姿は見えないが。
彼らは手に首飾りや、
この家で掠奪に及んだのだろう。
死んでいた男が、この家の住人のようだ。
そして彼らの真ん中で、最も年若い男がニヤついていた。
「司令官じゃないですか? 何してんですかこんなところで?」
その男、カールが、顔に貼りついたニヤ付きを消そうともせずに問いかけてくる。
俺はその問いを無視し、彼を睨みつけた。
「何故お前らがここに居る?」
エッベ隊は領軍とは関係ない。バラステア砦に所属する部隊だ。
そして勝手に出兵することを、俺はかたく禁じていた。
「いやいや、それはこっちのセリフですよ。何故こんなところに居るんです? ロルフ・バックマン司令官代理」
「答える義務は無い。俺の質問に答えろ」
俺がそう言うと、カールは芝居がかった仕草で大きく溜め息を吐いた。
「あんた、人間に相手にされないからって、ついに魔族どもに魂を売ったんですか?」
「魂という概念を知っているなら、何故奪う? 瑪瑙の櫛は、魔族の風習で、五十年連れ添った妻に夫が贈るものだ。贈ったのはあの男だろう」
「ああ、それであのバアさん泣き叫んでたのか。魔族が結婚の記念品とか・・・気色わりぃ」
「・・・・・・」
老女が家のなかで死体になっていることは明白だ。
俺は拳を握りしめる。
対してカールが口角を吊り上げている。
他のエッベ隊の面々も愉快そうに笑っている。
「もうダメだなぁこの人。たぶん、人間として生まれてきたのが間違いだったんだよ」
そう言って、カールは自身の剣を俺の前に投げ捨てる。
「何のマネだ?」
「どうぞ拾ってください。俺は人々のために邪悪な魔族と戦う、誇り高き戦士です。いくらあんたが無価値な加護なしであろうとも、俺は丸腰の相手とは戦えません」
ひゅう、とエッベ隊の者が口笛を吹いた。
カールは、自信に満ちた笑みを浮かべている。
正義を執行する自らの美しさに酔っている顔だ。
その顔に吐き気を覚えながら、俺は剣を取り、そしてカールの足元へ投げ返した。
「俺には魔力が無い。剣を持ったところで、銀の装備を着込んだお前に触れることは出来ない。それが分かっていながら剣を与えて戦士気どりか?」
「・・・そうだった。あんた、なにも出来ないように見えて、人を苛立たせることだけは出来るんだったな」
そう言ってカールは俺に近づき、殴りつけてくる。
俺は腕でガードするが、その上から魔力の奔流が叩きつけられる。
彼らの装備は、手甲にも銀が使われているのだ。
結果、魔力を込められた拳に吹き飛ばされ、俺は地面を転がる。
「がっ・・・はっ・・・!」
「あのさあ・・・。俺には本当に理解出来ないんだけど、そのザマでなんで偉そうなの? 戦えもしないアンタがさあ」
カールは大股で俺に近づき、髪を掴んで持ち上げる。
そして今度は腹に拳を突き入れた。
「ぐぁっ!!」
魔力が体の奥深くにねじ込まれ、暴れ狂う。
臓器を攪拌されているかのような常軌を逸した痛みが俺を襲った。
「ぐ・・・ぅ・・・」
「なあ、剣、振ったことある? 俺らは毎週のように訓練してるぜ? 剣を振り続けるのがどれだけ大変か知ってるか?」
カールは俺の顎をめがけ、下から拳を振り抜いた。
「あがっ・・・!」
俺は吹き飛ばされ、後頭部から仰向けに地面へ落ちた。
脳が揺さぶられ、視界が明滅する。
その視界へカールの手が伸び、再び髪を掴んで俺を立たせた。
「ザコの分際で俺たちの戦い方に口を出す! 砦のルールを勝手に変える! 出撃すら制限して戦う機会を奪う! あまつさえ、敵地に現れて魔族を擁護する!」
髪を掴んだまま、カールは拳を何度も俺の顔面に打ち付けた。
頭蓋が、がつりがつりと不穏な音を立てる。
流し込まれる魔力の波が荒れ狂いながら脳を通り、後頭部へ抜けていく。
もはや俺は前後不覚に陥り、呼吸もおぼつかない。
「か・・・ふひゅ・・・」
「もうさ、あんた、王国にとって、いや、人間にとって害悪にしかならねえよ。
そう言ってカールは、エッベ隊の仲間たちを振り返る。
彼らは得心したように頷いた。
カールも頷き返す。
そしてカールは、家の横にあった井戸の傍まで俺を引きずって行った。
それから髪を掴んだまま俺を持ち上げ、逆の手で俺の顎を掴んだ。
目を覗き込み、事も無げに言う。
「じゃあな。もう生まれてくんなよ」
そして俺を井戸のなかへ投げ入れた。
────水音が響く。
俺は井戸の底へ沈んでいく。
次いで、井戸に吊られていた桶が落ち、水面でばしゃりと音を立てた。
上で、つるべに繋がる綱が切られたのだ。
上ってこれないようにと言うことだろう。
客観的に見て、俺にそんな力は残っていない。
だが念には念を入れたのだ。
もう、女神に棄てられた異物が地上に
そして俺は昏い水底へ落ちて行った。
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