60_黒い剣
淡い月明かりの下、俺とリーゼはここに居る理由について話した。
俺がバラステア砦の司令官代理で、ヘンセンでの民間人虐殺を止めるために来たことを話すと、彼女は驚いていた。
それからアルバンとの面会のことに話が至ると、彼女は得心したように頷いた。
「たぶん父さんは、あんたのことが気に入ったんでしょうね」
驚いたことに、リーゼはアルバン族長の娘だった。
この区画は、特に貧しい者に支援を与える区画だが、町並みを見る限り、その支援は十分ではない。
そこでリーゼがアルバンの命を受け、この区画の者たちの面倒を見ているとのことだった。
特に
「あの薬、かなり高価な筈だが」
「ええ。ヴィリ族もお金が無いし、厳しいんだけどね」
でもあの子を戦争の犠牲になんて出来ないから、と彼女は続けた。
俺も同感だった。
その先、眼下の広場に、不思議なものが見えた。
ごく小さな
何かを奉っているのだろうか。
「広場の中央にあるアレ、なんだ?」
「ああ、見てみる?」
信仰に類するものだろうか?
見知らぬ文化には興味があった。
頷き、リーゼに続いて階段を降りていく。
そして広場の中央にあるそれに近づいた。
小さな屋根の下、祭壇のようなものに縦に突き刺さっているのは剣だった。
剣を奉る文化は珍しくないが、これは特異だ。
剣自体が普通じゃない。
柄から刀身まで、すべて真っ黒だった。
剣のかたちに空間がくりぬかれて闇に繋がっているかのような、あまりに深い漆黒だ。
「これは・・・?」
「煤の剣よ」
煤か。
敵地深くまで来て、また煤に出会うとは、不思議な縁もあったものだ。
「見たことも無い黒だ。いったい何で出来てるんだ?」
「
「知ってる。北方でオオカミ鋼と呼ばれているものだな」
オオカミ鋼は極めて希少で、王国には存在を疑問視する者もいる。
だが僅かながら実物が確認されており、確かに実在するのだ。
世界で最も重くて硬い金属と言われている。
「だがオオカミ鋼は銀灰色だった筈だが」
「炭化してるの。これ」
炭化?
剣の形を保ったまま?
どうにも理解の追い付かない話だ。
「
古竜グウェイルオルは、魔法を本来の生命の営みとは別の
そのため、魔を
二柱の竜はこの地でも戦い、その時にこの剣が古竜の炎を浴びた、ということのようだ。
「・・・たしかに、グウェイルオルの伝説に "吐く炎は鋼を炭に変えた" というものがあるが、本当だったのか?」
この剣がそれなのか?
だとしたら何とも胸の躍る話だ。
太古の伝説を目の当たりにしているということになる。
「いやまあ、本当かどうかは知らないけどね。炭化してるのは確かみたいだけど、竜の炎云々はあくまで伝説」
「本当であってほしいものだ」
だが何となくだが、本当であるような気がする。
漆黒が、この剣を本物たらしめているように見えるのだ。
「それにしても、炭化オオカミ鋼か・・・。世界一硬いオオカミ鋼が、更に硬くなってるんじゃないのか?」
「かもね。凄い剣なのかも。でも誰も
「そんなことが?」
「これは間違いなく事実だよ。手袋ごしでもダメ。だから何処にも動かせないの」
また随分と気難しい剣だ。
だが何だろう。目が離せない。
この深い黒に魅入られてしまう。
魂が深淵に吸い込まれるかのようだ。
「あと、振ったら煤が舞い散ると言われてるわ。だからこの剣を持つ人は煤まみれになるんだって」
「まあ煤の剣だからな・・・」
黒い剣は何かを待っているかのようだった。
だとしたら、この貧者の町で何を待ち続けているのだろうか。
そんな思考に囚われていると、上の方、さっき俺たちが居た道の辺りから、誰かが見下ろしていることに気づいた。
その大きなシルエットには見覚えがある。
アルバンの屋敷であった将軍のひとり、ベルタだ。
「リーゼ! そこに居るのかい?」
「ベルタ? 来たのね!」
表情に喜色を浮かべ、足取り軽く階段を昇っていくリーゼ。
俺も後に続いた。
「ありゃ? あんた、どうしてここに?」
「アルバン殿は、この地の現状を俺に教えるためにここへ来させたようだ。リーゼに会ったのは偶然だが」
「おお、なるほどね」
「あなたたち、会ってたのね」
話しながら、さっきの子供たちの家に向かう。
ベルタもリーゼ同様、この区画を気にかけていたようだ。
特に子供だけのあの家を心配し、度々足を運んでいるとのことだった。
「テオの症状も最近はおとなしいし、このまま落ち着いてくれると良いねえ」
「・・・さっき、発作が出たわ」
「えっ!? そ、それで!?」
終始にこやかだった顔に、初めて大きな焦りを浮かべるベルタ。
あの子供たちを如何に大事に思っているかが分かる。
「薬が効いてくれたわ。今は眠ってる」
「そ、そうかい・・・」
ベルタは安堵の息を大きく吐き出した。
それから少し急いで家の中に入っていく。
「あーっ! ベルタおばちゃん!」
「ベルタおばちゃんだー!」
「あはは。あまり騒ぐとテオが起きるよ。ほら、おいで」
子供たちがベルタにまとわりついていく。
皆、満面に笑みを浮かべていた。
この婦人はたいへんな人気者のようだ。
「今日ね! 今日ね! 私とノーラだけでお使いに行ったんだよ!」
「そいつは凄いね。迷子にならなかったかい?」
「うん! 大丈夫だった!」
「ベルタおばちゃん! 肩たたいてあげる! リーゼお姉ちゃんが、僕は上手だって!」
「ほう。それじゃお願いしようかねえ」
むくりと、マットに横たわっていた少年が起きる。
それから部屋を見まわし、ベルタを見ると破顔した。
「ベルタおばさん!」
「ああテオ、ごめんね。起こしてしまったね。具合はどうだい?」
「もうぜんぜん大丈夫です!」
その時、子供のひとりが俺を見つけた。
珍しいものを見たかのように目を輝かせる。
「あ! さっきのお兄ちゃん!」
「えっ? 人間のひとですか? 初めて見ます」
「私の友達よ」
「リーゼお姉ちゃんの?」
「俺はロルフという。よろしく」
「よろしくね!」
子供たちは、笑顔で挨拶を返してくる。
大人は、人間が恐ろしい敵であると教えていないようだ。
フォルカーが言っていたな。信じるに際して種族は関係ないと。
「ベルタおばちゃん! 今日は泊まっていく?」
「そうだね。そうしようかねえ」
「やったー!」
子供たちは飛び上がって喜んでいる。
そしてベルタにまとわりつく。
ベルタの大きな体は、五人の子供が抱き着いてもびくともしなかった。
彼女は優しい表情で子供たちの話を聞いている。
そしてその光景を見るリーゼも微笑みを浮かべていた。
◆
夜も更け、子供たちも寝静まった。
皆、大喜びでベルタと話し続け、そして疲れてしまったようだ。
「大人気だな、貴女は」
「昔はリーゼも甘えてくれたもんだけどねえ」
「わ、私はもう大人だから。あんな風にまとわりついたりしないわ」
「あはは。そいつは寂しいねえ」
言葉とは裏腹に、とても嬉しそうに笑うベルタ。
子供の成長は、彼女を喜ばせるものに他ならないのだろう。
「昔から親を亡くした子供たちの世話を?」
「ああ。あたしは子供の出来ない体でねえ。それで戦士としての人生を選んだけど、子供たちに何か出来るなら、やってやりたいからさ」
「そうか・・・」
こんな血みどろの世でも、尊敬すべき人はちゃんと居るものだ。
それが嬉しい。
弱い者を守ることは当然であると、疑いなく信じる者たちが居るのだ。
集落で会ったイルマとエーファもそうだし、リーゼだってそうだ。
それから俺たちは色々なことを話した。
戦争中の敵同士がこうして膝を交えて話すことに感慨を感じる。
リーゼもベルタも気持ちの良い人物だった。
俺たちは、この地方の気候の話から、人と魔族の歴史の話など、尽きぬ話題に花を咲かせた。
話は、俺に魔力が無いということにも及んだ。
エルベルデで交戦した時、俺の剣がリーゼに届かなかったことを彼女が不思議に思っており、そこを説明したのだ。
自らの弱点を伝えることになるが、別に
「へえ、そうなんだ」
「そりゃ苦労しただろうねぇ」
彼女たちは特に嫌悪感を示すことは無かった。
魔族は女神ヨナを信奉しているわけではないので、当然の反応なのだろうが、俺は嬉しかった。
そんな思いに耽っている俺にベルタが言う。
「そうだ。あんたが言った西側からの住民の避難、始めたよ」
「え? ずいぶん早いな」
俺がアルバンに民間人の避難を呼びかけたのは、今日の昼ごろだ。
まさかそんなに早く動くとは。
「族長は果断即決だし、あんたの言うことは理に適ってたからね。西門に近い区域から避難を始めてる。明日には、この区域も避難対象になるよ」
「今日はそれを言いに来たのね?」
「そう。でも色々話しているうちに皆、寝ちゃったよ。ま、今日はあたしが泊まって、明日は朝から避難を主導するから」
「それじゃ、私も泊まるわ」
笑顔で言うリーゼ。
俺はそろそろお
窓の向こう、西の空にイヤなものを見た。
ぞくりと背筋が凍る。
そして、幸せそうに眠る子供たちの顔を見まわす。
「どうしたの?」
リーゼの声を背に、俺は弾かれたように立ち上がり、家の外に出た。
そして西門の方角を見上げる。
見間違いではなかった。夜空に赤い光が立ちのぼっている。
町が燃えているのだ。
そして遠くから僅かに聞こえてくるのは、怒号と蹄の音だった。
隣にリーゼとベルタが立っていた。
二人とも、目を見開いて言葉を失っている。
こんなに早く始まるとは。
どうやら、俺がバラステア砦を発ったその日に出兵したようだ。
王国が攻めてきたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます