59_旧知

 薄闇が降りつつある夕方の町を歩く。

 人々は道端に座り込んでうつろな目を向けるのみだ。みな薄汚れている。

 ぼろぼろの木造家屋が立ち並び、洗濯物を干す紐が無秩序に張り巡らされている。


 典型的な貧民窟スラムだ。

 元よりヘンセンは古い木造家屋ばかりだが、この区画は何処かうらぶれていた。

 活力が感じられず、区画全体が沈んだ雰囲気に包まれている。


「ぐぁがああぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁぁ!!!!」


 突然、耳をつんざく悲鳴が聞こえた。路地の奥からだ。

 人々はそちらを向いて、ただ悲痛な表情を浮かべるのみで、動こうとはしない。

 動いたところで、出来ることは何もないと知っているかのようだった。


 それ以上に気になるのは、悲鳴が明らかに子供のものであったことだ。

 素通りもできず、俺は路地に入っていく。

 路地の奥、少し大きめの、だがひときわ崩れた木造家屋。


「あっ・・・・・あぐっ・・・・・あぐがああああぁぁぁぁ!!!!」


 悲鳴はこの家から聞こえてくる。

 入口にはドアがなく、垂れ布で遮られているのみだ。

 他人の家だが俺は足を踏み入れた。


「あっ・・・・あっがっ・・・・ぐうううぅぅぅ!!!!」


 絶望的な光景だった。

 そこには子供たちが居た。

 子供が悲鳴を上げ、子供が泣いている。


「ああぁぁぁぁぁ! うぐぅあああああああ!!!!」


 床に敷かれたマットの上に横たわる少年が目を剥いて悲鳴を上げる。

 周囲には五人の幼い男女がいて、みな泣きながら取り縋っている。

 ほか、少し年長の女性が一人いたが、彼女もまた年若い少女だ。

 十六から十八歳ぐらいに見える。


「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」


「テオちゃん! テオちゃん! しっかりして! お願いテオちゃん! しっかりしてぇ!」


「うえええぇぇぇぇん! お兄ちゃん! 死なないでえぇぇぇ! うえええぇぇぇぇぇん!」


 片腕に熊のぬいぐるみを抱いた少女は号泣しながら少年に呼び掛けている。

 ぬいぐるみはずたぼろで、ところどころ布で不格好な修繕が為されているが、目がひとつ無くなってしまっていた。


 俺はただ立ち尽くしている。

 カトブレパスに出くわした時も、自失して立ち尽くしたりなどしなかった。

 だが、いま俺は一歩も動けず、一言も発することが出来ない。


「ぐぅあっ・・・! あがっ・・・・・・!」


「お兄ちゃん! やだよう!! アルマたちをおいていかないでぇ!!」


「うわあぁぁぁぁぁん! うわあぁぁぁぁぁぁん!」


「テオ! 聞こえる!? テオ! 頑張るのよ!」


 年長の少女が、暴れる少年を必死で押さえつけながら呼び掛ける。

 不意に、少女が顔を上げてこちらを睨む。

 ついぞ見たことのない表情だ。

 その形相には、命への懇願と、世界への怨嗟が同居しているように思えた。


 少女の眼が、俺を金縛りから解き放った。

 そして俺は、吸い込まれるように部屋の中へ入っていく。


「どくんだ! 俺が足を押さえる!」


 叫びながら、横たわる少年の足元へ取り付く。

 そして、暴れまわっている両足を押さえつけた。


「うぐぅぁ・・・! ぐぁっ・・・!」


「何か噛ませるものを!」


「クルト! そこにある木の棒を頂戴! それからロミー! そっちの棚から青い箱を取って! 」


 俺の言葉を受け、少女が子供たちに指示を出す。子供たちは震えながら、そして落涙しながら指示に従った。


「あなたはこの子の口を開けてこの棒を咥えさせて!!」


 少女が、受け取った棒を俺に差し出す。

 俺は少年の両足を自身の両足で押さえ、その棒を手にする。

 少年は凄い力で暴れていた。

 俺が体重をかけることでどうにか押さえ込めている。


 この幼い少年のどこにこんな力があるのだろうか。きっと命を消費して力を絞り出しているのだ。

 俺は少年の顎に手をかけて口を開けさせ、棒を押し付けた。


「うぅぅーーーー! うむぅぅぅーーーーー!!」


「テオ! それを咥えておくのよ!!」


 棒を咥え、なお暴れる少年に声をかけつつ、少女は青い箱を受け取る。


「そのまま押さえつけてて! クルトもテオを押さえて! 暴れさせないで!!」


 少女は箱から小瓶を取り出す。


「うっぐ! ふぐむぅぅぅぅぅーーーーーー!!!」


「お兄ちゃん!! お兄ちゃん! お願いだよ!! 死なないでぇ!」


「テオ!! テオ!!」


「いやだよう! お兄ちゃん!! お兄ちゃああん!」


「うえぇぇぇぇん! うえぇぇぇぇん!」


 子供たちは皆、泣いている。滂沱ぼうだの涙を零している。

 俺は呼吸の仕方が分からなくなり、喘ぐように息を吐く。

 いつのまにか全身が汗まみれだった。

 得体の知れない感情が次から次へと沸き出してくる。

 それをまったく処理できないまま、必死で少年を押さえつける。


「テオ! 頑張るのよ!! あなた、木の棒を外して!」


 少女の指示に合わせ、少年の顎をつかんで木の棒を取り去る。

 と同時に、少女が少年の口に小瓶の中身を流し込む。

 そして俺はすかさず、木の棒を再び少年の口に押し込んだ。


「ぐむうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーー!!!!」


 みしっと音がして木の棒にひびが入る。

 棒のおかげで舌を噛まずに済んだようだ。


「ぐっ・・・ぐむっ・・・・・・ふぐっ・・・・・・」


 少年の激しい動きが徐々に治まっていく。

 だが目は見開いたままだ。そして、びくりびくりと痙攣している。

 俺は必死で少年を押さえ続ける。


「ぐ・・・・・・う・・・・・・・・」


 少年が瞼を薄く閉じて静かになっていく。

 少女が口から木の棒を取ってやると、浅い息のまま少年は眠りに就いた。

 俺はやっと少年から手を放し、肺の中の息をすべて吐き出す。

 絶叫と悲鳴が消え、子供たちのすすり泣きだけが残った。


 ◆


 町にはすっかり夜のとばりが下りていた。

 今夜は曇っており、明かりの無いこの区画はとても暗い。

 俺は子供たちの家を出て、道に佇んでいる。

 道には手すりがあり、眼下に広場が見えた。


「で、なんで人間がこんなところに居るの?」


 傍らに先ほどの少女が居る。

 子供たちを落ち着かせ、俺を連れて外に出てきたのだ。


「俺はロルフと言う。族長に用があって来たんだ」


「そう。まあいいわ。私はリーゼよ。さっきはありがとう」


 リーゼと名乗った少女には、人間を前にしても感情を乱す様子は無かった。

 それどころか、さっき少年の治療を手伝ったことに礼を言っている。


「あれは白壊はっかい病か?」


 少年の症状は、人間と魔族に共通する白壊病という病のものだ。

 原因も想像がつく。


「そうよ。去年、毒にやられたの」


「・・・森の水源に毒を流されて、か」


「そうね。王国の仕業。貴方も関わってる?」


 リーゼが横目で俺を見上げながら問う。

 目の奥にちらりと炎が見えた。


 以前エッベが、森の水源に毒を流す作戦を主張し、俺はそれを退けた。

 だがあの時、エッベはこう言っていた。


 ────この策は、アナタが来る前にも一度成功した実績があります


 去年、少年が毒を受けたのは、その時のことだろう。

 俺は歯噛みした。

 また、戦いとは関係の無いところで無辜の人が苦しんでいる。

 子供が苦しんでいる。


「水源に毒が流されたのは俺がこの地に来る前のことだ。だが俺は王国の兵だから、広義では関わっている。毒のことも知っていた」


「ふーん。まあ直接関わったわけじゃないなら良いわ」


「・・・そう思うか?」


「そうじゃないって言って欲しいの?」


 突き放すように言うリーゼ。

 女々しい男の勝手な自戒にかかずらってなどいられない、そう言っているようだった。


「いや・・・」


「まあ、直接関わってたら、このまま帰しはしなかったと思うよ」


 リーゼはそう告げた。脅しではない。

 彼女は戦う術を知る者だ。恐らく人間を殺したこともある。

 立ち振る舞いからそれが分かるのだ。


 俺は感情を探るべくリーゼの顔を見る。

 その時、雲間から月光が射しこんできた。


 月明かりが少女を照らす。

 魔族特有の薄い褐色の肌。

 鼻筋の通った顔に、桃色の唇。そして長い金髪。

 かなりの美人だが、驚くべきはそこでは無かった。


 三年前、エルベルデ河で行われた渡河作戦。

 俺は敵の駐屯地で一人の魔族と交戦した。

 その魔族は、当時十七歳の俺より更に年若い少女だったが、力は本物で、両手に持った短剣を高速かつ巧みに操っていた。


 魔力の無い俺には荷の勝ちすぎる相手だった。

 胸を真一文字に斬り裂かれ、いよいよヤバいと言う時に銅鑼の音が響いたのだ。


 ────これ、撤退の合図だろ?


 ────そうね


 ────じゃあ行ってくれないかな


 ────また会えるかしら?


 ────さあ、どうだろうな


 そして少女は消えた。

 恐ろしい敵手だった。


「・・・私、あんたを知ってるわ」


 目の前の少女が、記憶にあるそれと同じ声で言う。

 彼女もいま気づいたようだ。

 この年頃の三年間は大きく、顔かたちはだいぶ変わっているが、間違いなくあの少女だった。


「俺も知ってる。久しぶりだな」


 リーゼが目を細めて俺を見る。

 ここへ来てようやく警戒心を働かせたようだ。


「私に勝った人間」


「・・・? 俺の記憶と違う。追い込まれていたのは俺の方だ」


「はあ? なに言ってんのよ」


「いや、確かだ。見ろ」


 そう言って、シャツの前を開き、リーゼに斬られた傷を見せようとする。


「ちょ・・・? なんで脱いでんのよ!」


「これだ。君に斬られた傷だよ」


「どれよ! 傷だらけじゃないあんた!」


「これだよ。いちばん目立つ真一文字の・・・」


「いいから! もう分かったから着なさい!」


 赤面して声を張りあげる少女。

 さすがに脱ぎだすのは失礼だったか。

 戦士同士なら問題ないかと思ってしまった。


「すまない。俺が言いたかったのは、君がすごい強敵だったということだ」


「ふん・・・。私の渾身の初撃に剣を合わせてくるような達人が何を言ってるのよ」


 あの初撃か。思い出すだけで身震いする。

 あのとき俺は、突如激しい獣性が向かってくるのを感じたのだ。

 そして反射的に剣を振ったら、そこに少女が現れた。

 剣を振るのが僅かにでも遅れていたら、俺は死んでいただろう。


「今でも信じられない。あの時、どうして私の攻撃に反応できたの?」


「激しい獣性を感じて」


「しつれー極まりない!!」


 怒らせてしまった。


「すまん。褒めたつもりなんだが・・・」


「"激しい獣性"のどのへんが女子に対する褒め言葉なのよ!」


「いや、しかし君は戦士なんだろう?」


「だから何よ!」


 どうにも話が噛み合わない。

 だが何にせよ、全力で剣技をぶつけ合った相手との再会だ。

 俺は奇妙な偶然を喜ぶのだった。

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