57_蠢動する正義

 ストレーム辺境伯領 バラステア砦 副司令官 エッベは、司令官代理であるロルフ・バックマンを嫌っていた。

 戦えもしない加護なしの司令官代理など、軽侮の対象でしかない。

 にも関わらず、自らの無能を弁えもせず、エッベやその部下に指図するとは、愚か者もここに極まれりだ。


 だからロルフ・バックマンが休暇に入ったことを、エッベは喜んでいた。

 しばらくは自分がこの砦の責任者だ。

 無能な司令官代理が居ない間に、自分が成果を挙げてやろう。

 その算段は出来ている。

 それを思い、エッベはほくそ笑む。


 そのバラステア砦に予想外の来客があったのは、ロルフが休暇に入った日の午後だった。

 エッベは司令官室でその客と向かい合っている。


「騎士団の・・・総隊長どのですか? 魔導部隊の?」


「はい。徽章きしょうはこちらに」


「ふむ。第五騎士団ですか・・・」


「フェリシア・バックマンと申します」


 エッベは眉をひそめる。

 第五騎士団と言えば、ロルフ・バックマンを押し付けてきた騎士団だ。

 バラステア砦の前司令官は、病を得て長期療養に入っており、代わりが必要だった。

 その代わりは自分であろうとエッベは思っていた。

 副司令官である自分が司令官を務めるのが当然の帰結であろうと。


 ところが、騎士団から赴任してきた者が代理を務めることになった。

 しかもその男は、騎士団を追放された無能者だったのだ。

 苦戦を強いられている砦の司令官に、代理とは言え無能者をあてるというバカげた人事だった。


 エッベは失望し、大いに憤った。

 どこかで貴族のくだらない思惑が働いたのだろうと考えた。この王国では珍しくない。

 自身もストレーム辺境伯に目をかけられ、貴族の権威による恩恵に随分預かっているのだが、そのことは差し置いた。


 とにかくそんなわけで、ロルフ・バックマンを寄こしてきた第五騎士団に良い印象は無い。

 目の前の女は、その第五騎士団の人間であるようだ。

 しかも、バックマンと名乗った。


「司令官代理となにか関係が?」


「ロルフ・バックマンは私の兄です」


「・・・ほう。で、お兄様に会うため、はるばるこの辺境まで?」


 エッベの視線が剣呑さを増す。

 ロルフ・バックマンの関係者であるなら、エッベにとって招かれざる客でしかない。


ただしたいことがあるのです。彼は居ますか?」


 フェリシアは、坑道で命を救われ、兄を見直しかけたこともあった。

 だが、銀の装備が騎士団中に行き渡ってからは、兄は訓練で誰にも勝てず、無様を晒し続けるのみ。

 能力が無いなら無いで、やりようはあっただろうに、勝てる筈の無い相手に対して遮二無二剣を振るい続ける姿は、愚か者のそれでしか無かった。


 さらにあの追放劇だ。

 過誤を認めて謝罪することも出来ず、口を引き結ぶあの子供のような姿。

 敬愛の念などとうに無く、ただ呆れるばかりである。


 だが、それでも兄だ。

 完全に見捨てる気にはなれない。

 今回、エミリーの厚意をなぜ無下にしたのか、それとも厚意に気づくことすら出来なかったのか。

 それを質すために来たのだった。


「お兄様は休暇中ですよ。無能な加護なしが良いご身分で」


 エッベは敵意を隠そうとしなかった。

 騎士団の総隊長とは言え、目の前の女の不興を買うことに遠慮する気は無い。

 だがフェリシアの反応は、エッベの予想とは違っていた。


「砦を預かる者が堂々と休暇ですか。彼には戦う者の自覚が無いのですね」


「おや、お兄様に対して辛辣ですな。まあ、妹のアナタが総隊長で、兄が追放ではね。心中お察ししますよ」


「不出来な兄です。ここに来て少しは変わったのかと期待したのですが」


 フェリシアが嘆息する。

 そこへ兵士がひとり、入室して来た。


「副司令官。辺境伯が来られました」


「分かった」


「ストレーム辺境伯がこの砦へ?」


「ええ、フェリシアさん。良い機会ですので伯にご紹介しますよ」


 そう言ってエッベは立ち上がった。


 ◆


 魔族領側の正門を出た平野に、兵士たちが並んでいた。

 大軍である。

 それは辺境伯の有する領軍だった。

 その前で、ストレーム辺境伯はフェリシアと対面した。


「ふむ。第五騎士団の総隊長と。第五と言うことは貴族家の者か?」


「ええ。バックマン男爵家です」


「バックマン?」


「辺境伯様。彼女は加護なしの妹御いもうとごです」


「ははは! なんと! さぞかし苦労しているであろうな!」


 フェリシアにとって、兄のせいで笑われるのは珍しいことでは無かった。

 彼女には、才にも努力にも十分な自負がある。

 それなのに、才無き兄への嘲笑が、しばしば彼女に向けられるのだ。


 歯噛みしつつ、ストレームに問う。


「辺境伯様。この兵は何でしょうか」


「知れたこと。彼らはこれより出兵するのだ」


 今から攻め入る、彼はそう言っている。

 魔族領側に軍を展開しているのだから、そういうことになるだろう。

 だがそれは重大な判断だ。

 十分な検討と準備を重ねたうえでの決断なのだろうか?


「砦の司令官代理が不在のようですが、彼は何と言っているのですか?」


「加護なしの意見など求めてない。そもそも領軍はバラステア砦とは別組織だ」


「まあ、万に一つの心配もいりませんよ。今回は最精鋭たる私の部隊も同行しますしね」


 エッベがそう言った。

 見ると、銀の装備に身を包んだ三十人あまりの騎士が騎乗して並んでいる。

 一番年若い騎士がフェリシアを見てニヤニヤと笑っていた。

 それを無視し、フェリシアは問う。


「エッベ副司令官の部隊は、砦の所属ではないのですか? それこそ司令官代理の許可なく出兵など出来ない筈では・・・」


「かまわん。私が許可した」


 ストレームが事も無げに言う。

 これほどの出兵、当然かなり以前から決まっていただろう。

 エッベ隊の同行について、エッベ当人も勿論聞いていた筈。

 それは本人の態度からも見て取れる。

 これらのことを、司令官代理である兄に伝えないまま行動しているのだろうか。


「しかし・・・」


「フェリシア総隊長。きみもあの加護なしと同様に、魔族が相手であっても民間人には累を及ぼすな等と言うつもりか?」


「あの人はそんなことを? いえ、私はそのようなことは。ただ、この規模の出兵を砦の司令官代理の不在中に行う理由が分からなかったので」


「加護なしが居ようと居まいとどうでも良いが、まあ、居れば何かと煩わしいからな。居ない日の方が都合が良いと言えば良いのだ」


 そう言ってストレームは笑みを浮かべる。

 自らの正義を心から信じる、自信に満ちた笑顔だ。


「今回、いよいよこの地の魔族の本拠であるヘンセンを攻める。女神ヨナの名のもとに邪悪な魔族を誅するのだ。むろん、財と奴隷は持ち帰り、王国の糧とする故、心配するな」


「そうですか・・・」


 フェリシアが聞く限り、ストレームの行動原理は正当だ。

 こうして自ら出兵の見送りに来ていることからも、ある程度フェアな人間であることが分かる。

 だが、砦に所属するエッベ隊の出兵を含め、司令官代理であるロルフの不在中にすべてが行われてしまうことに、少々の驚きを感じたのだ。


 兄は、こんな重要な軍事行動からも蚊帳の外とされ、呑気に休暇中であると言う。

 兄に対する失望は深まるばかりであった。


「フェリシアさん、そういうわけで私はこれで失礼しますよ。この神聖な戦いに参加すら出来ずにいるお兄様によろしく」


「・・・ええ」


 エッベの挑発的な物言いに反論出来ないフェリシア。

 たしかに、この出兵にきちんと関われていないことについて、兄を問い詰めなければならない。


 だがそれよりも先ず、エミリーが差し伸べた手を取らなかった件だ。

 この期に及んでいじけている兄に、取るべき行動を教えてやらなければならないだろう。

 まだ手遅れではない筈だ。

 フェリシアは、領都の官舎に兄を訪ねることを決めた。


 そしてその横で、ストレームが部隊長らしき男に声をかける。


「さあ、出撃だ。たのむぞ」


 その言葉を受け、部隊長は剣をかざし、声を張り上げた。


「ゆくぞ! 森を北に抜け、西側からヘンセンを突く! この戦いで、この地の魔族を本来居るべき地獄へ送り返すのだ! 出撃!」


「おおおおおおぉぉぉぉぉ!!」


「勝利を!」


「女神の祝福を!」


 兵士たちが口々にあげる声が、晴れた空をつんざいた。

 そして辺境伯が見守るなか、領軍はゆっくりと動き出す。

 この地の勝利を決定づけるため、兵たちはヘンセンへ向けて進発した。

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