56_別れ
その夜。
元は蔵だったらしい大部屋で、子供たちが毛布に
俺はその部屋の最奥で、エーファともう一人、年配の女性魔族と向き合っていた。
ミアは泣き疲れたのか、エーファの腕のなかで寝息を立てている。
「あらためて。遠くまで良くおいでくださいました、人間の方。私はこの養護院の院長でイルマと申します。それとこちらはエーファ」
「ご丁寧なご挨拶、痛み入ります。俺は──」
「人間の名前なんか興味ないわ」
エーファはすげなく切って捨てた。
それに対し、イルマと名乗った女性が穏やかに窘める。
「エーファさん。こちらの方は、森を越えてミアちゃんをここまで・・・」
「それは感謝してます。でも・・・」
「良いんだ。貴女の反応は正常だ」
この地で起きたことを思えば、俺を受け容れられる筈も無い。
むしろ、こうして向き合って話が出来るだけでも有難い。
「それで、貴女たちは二人で子供たちを匿っていたんですね。ずっと地下に?」
「・・・食料の備蓄はあったから。そろそろ尽きかけてるけど」
「ときどき外に出て水などを調達していましたが、またいつ王国軍が来るか分かりませんので」
「でも集落の遺体を葬ったのは貴女たちでしょう?」
「はい。私たちの習いで火葬にしました。何日もかかってしまいましたが、小さい集落ですし、私は魔法も使えましたので何とか・・・」
「あのままにはしておけなかったから・・・」
二人の声に悲しみが滲む。
集落中をまわり、家族や友人を
「俺は言えた立場にありませんが、こんなことになって残念です。エーファ、貴女の家族のことも・・・」
「ミアから聞いたわ。ハンナも亡くなったって・・・」
震える声でエーファが言う
ハンナとは、ミアのもう一人の姉だ。エーファの妹にあたる。
ミアと共に囚われ、収容所で命を落とした。
「父さんと母さん、それに兄さんの遺体を見つけて・・・。ハンナとミアは見つからなかったけど、生きてるわけが無いと思ってた」
この女性は、それほどの絶望に見舞われながらも、ここに居る子供たちを守り続けてきたのだ。
「仮に囚われて生きてたとしても・・・どの道もう会うことは絶対にムリだと思ってた。だからミアに生きて会えたことがまだ信じられないわ」
「戦争奴隷を王国から連れ出して、魔族領までやって来るなんて、前代未聞です。聞かせてくださいませんか? なぜこんなことを?」
「・・・俺はこの地での、王国側の軍事的判断に関わっています。つまりここで起きたことにも関係しているんです」
「それを後悔して、敵国の民間人を肉親の元に帰すために、ここまで来たと言うのですか?」
「・・・貴方、罪の意識に駆られたとでも言うの?」
「それは分からない。もしそうなら欺瞞でしかないことは理解している。だがとにかく、こうするべきだと思ったんだ」
「心の声に従ったのですね」
「心の声、ですか。そう信じたいが・・・そんな聞こえの良いものなのかどうか」
「いえ、貴方はきっと、正しい人間です」
イルマは優しい眼差しで俺を肯定してくれる。
懐深く、寛容な人であることが見て取れた。
俺が彼女と同じ立場だったとしたら、こんな表情が出来ただろうか。
「イルマ院長。俺に対して敵意は無いのですか?」
「申し上げましたとおり、戦争奴隷を帰すなど前代未聞です。それだけのことをしてくださった方をお恨み申し上げる理由は無いですよ。それはエーファも同じです」
「・・・人間だからという理由ですべてを憎んだりしない。それは愚かなことだって分かってるし、許したい。でも、私には時間が要るわ」
「そうか・・・」
俺は敗北感にも似た衝撃を受けた。
彼女は俺を許したいと言っている。
人間すべてを憎むのは愚かだと。
魔族すべてを憎むべき敵と定める人間とはまるで違う考え方だった。
「貴女たちは、これからどうされるのですか?」
「ヘンセンの町へ行きたいところですが、馬も居ませんし、幼い子供を大勢連れての移動は難しいのです」
ヘンセンまでは恐らく馬で一日ぐらいだ。
そう遠くは無いが、大勢の子供を連れて移動するとなるとたしかに厳しいだろう。
「せめてヘンセンが攻撃されるかもしれないと知らせに行きたいんですが、私たちはこの子らの傍を離れるわけにも行かず・・・」
「待ってください。何故そんなことをご存じなのですか?」
「あの襲撃の日、私は物陰に隠れて彼らの会話を聞いたのです。隊長格の男が、次はヘンセンだと言っていました」
あり得る話だ。
この地の戦力的均衡は既に崩れており、王国に勢いがある。
領軍が、いよいよ族長の居るヘンセンへ攻め入ってもおかしくない。
ヘンセンは、王国側から森を北東に抜けた先にある。北西側にあるこの集落とは逆だ。
そちら側は魔族軍の展開が厚く、領軍も攻め込んではいなかったが、魔族の兵力が減っている現状では、たしかにヘンセンも攻撃対象になり得る。
そして俺では領軍が攻め入るのを止めることは出来ない。
ヘンセンでも、この集落と同じことが繰り返されようとしている。
ここと違ってまともな防衛戦力はあるだろうが・・・。
結局、バラステア砦があって、その砦によって守られる辺境伯領に領軍が居る限り、この地の魔族に安息は訪れないのだ。
そのことで暗い気持ちになった俺は、ミアの寝顔を見やる。
それで、この旅のもう一つの目的を思い出した。
「イルマ院長。先ほど魔法が使えると仰いましたが」
「ええ。多少ですけど」
「
「はい。出来ますとも」
そう言って、院長は右の掌を俺に、左の掌を眠っているミアに向けた。
「たしかに契約が結ばれていますね。では、この契約を破棄しますね」
「たのみます」
イルマの両掌から、淡い魔力光が発せられる。
それが収束され、俺とミアに吸い込まれる。
「
────きん、と鎖が切れるような音が聞こえた。
「はい、成功です。もう貴方とミアちゃんの間に、隷属契約はありませんよ」
「ありがとうございます」
ミアは何事も無かったかのように眠っている。
これで彼女は奴隷ではなくなった。
「この集落で契約を破棄できなかったらヘンセンに行こうと思っていました。王国では、法により隷属契約を破棄出来ないのです」
「そうでしたか」
「ですが、いま貴女がたと話していて決めました。俺はどのみち、ヘンセンに行くべきだ」
「ヘンセンへの攻撃を伝えるために、ですか?」
「はい」
イルマは表情に困惑を浮かべた。
「先ほどはたしかにヘンセンに知らせたいと申しましたが、あくまで可能性です。それに、そもそもヘンセンでもその可能性は考えているかと」
「しかし、民間人の避難などには踏み切れていないでしょう。ミアのような境遇の子をこれ以上生まないためにも行かなければ」
「・・・ねえ、そこまでいけば完全に利敵行為よね? 私たちから見れば正しい行いだけど、別の面から見れば只の裏切りよ?」
「ミアに聞いたが、家族で年一回、ヘンセンに旅行していたらしいな。彼女にとって、とても大事な想い出のようだ」
「私にとってもそうよ。それがどうしたの?」
「ヘンセンはレモネードが旨いらしい。家族みんな、それがとても好きだったとか」
「そうよ! だから何なのよ!?」
「つまり・・・心の声に従うよ」
そう言って立ち上がった。
イルマが一瞬、驚いた顔をした後、穏やかに微笑んだ。
ここからヘンセンの間は、馬車も行きかう平野部だ。
月も出ているし、夜でも十分馬を走らせることが出来るだろう。
「ミアちゃんには、伝えずに行くんですね・・・?」
「別れは苦手です。言えば辛くなりますから」
「まるで、もう会えなくなるような口ぶりね」
「不義理をするようだが、貴女が生きていたら、ミアの居場所はその傍だと言ってある。俺は戦いを生業とする人間。共に居れば、きっと彼女にイヤなことを思い出させてしまう。あとは貴女に任せるよ」
「・・・・・・そう」
それに、ミアは鋭い。
人の心を見透かすような目を持っている。
彼女と話せば、きっと俺の覚悟が伝わってしまうだろう。
俺はこれから身命を賭すつもりだ。
それは、無辜の民を守るためであると同時に、ミアの未来を守るという約束のためでもある。
俺の態度から、ミアはそれを察してしまう。
そうなれば、また彼女は心に傷を負いかねない。
だから俺は、黙って立ち去ることにする。
大丈夫だ。エーファは強いうえに思慮に富んだ人。そして心からミアを愛している。いま話して、それを確信できた。
俺は安心して行くことができる。
エーファの腕のなかで安らかな寝息をたてるミア。
俺は、その頭をそっと撫でた。
「ん・・・・・・」
俺を救ってくれてありがとう。
そう胸のなかで告げた。
そして歩き出す。
「どうか、お気をつけて」
「・・・まあ、死なないようにすることね」
イルマとエーファの声を背に受け、俺は地下を後にした。
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