55_姉妹

 太陽が中天に達する前に、俺たちを乗せた馬は森を抜けた。

 いよいよ、目的地が近づいてくる。

 ミアの暮らしていた集落はすぐそこだ。


 生存者が居て欲しい。

 ミアを知る人が、誰か一人でも残っていて欲しい。

 そしてなにより、ミアの姉、エーファが生きていて欲しい。


 すでにこの世に居ないというなら、せめてその事実を知るべきだと、そう考えたが。

 ミアが心に決着をつけて進むために、生死を知るべきだと思ったが。


 やはり、生きていてほしい。

 切にそう願う。


 集落が近づくにつれ、どうにも息苦しくなっていく。

 前に座るミアも体が強張っているようで、緊張が見て取れた。


 そして俺たちは、拓けた地に到達する。

 塀と、幾つもの木造家屋。

 ミアの集落だった。


 俺たちは目的地に到達した。


 ◆


 集落は荒れ果てていた。

 家屋の多くは焼け落ちており、塀などの建造物は打ち壊されていた。

 人の気配はまったく無い。


 領軍の駐屯が無いことは分かっていた。

 また、この地を立て直すべく魔族が訪れた形跡も無い。

 ミアの集落は、完全に打ち棄てられていた。


「・・・・・・・・・」


 ミアは無言で佇み、変わり果てた故郷を見ている。

 その目には何が映っているのだろうか。


 だが、おかしい。

 魔族の遺体が見当たらない。


 領軍が埋葬するわけがない。

 別の地から魔族が訪れ、埋葬だけは行ったのだろうか。

 あるいは、この集落に生存者が居て、その者たちが埋葬したのか?

 だとしたら、少しだけ希望が灯るというものだ。


「ミア、姉君が向かったという養護院へ行こう。案内してくれ」


「・・・はい」


 ミアに先導され、養護院へ向かった。

 そこへ向かう道中も、遺体を見かけない。

 ミアに知り合いの遺体を見せずに済んだことに安堵した。

 そして、疑念が確信へと変わる。


 やはり誰かが埋葬したのだ。

 そうとしか思えない。

 そしてそれは、この集落の生存者かもしれない。


 そうであってほしい。

 そうであるべきだ。


 願いながら歩き、やがて養護院に着いた。

 その木造りの建物を正面から見上げると、変わった様式が見て取れる。

 王国には無い造りの建物だ。

 少し宗教的な意匠を含むようだった。


 ミアと顔を見合わせてから、ひとつ頷くと、正面のドアを開けた。

 そして深呼吸して息を整えてから、ゆっくりと足を踏み入れる。


 心臓が早鐘を打ち始めた。

 ミアの姉、エーファ。

 生きてくれているだろうか。

 建物の内部を進み、慎重に周囲を見まわす。


 だが、人の気配は無かった。

 割れた窓から差し込む日の光が、埃の中に帯を作るのみだ。


「・・・・・・・・・」


 押し黙るミアの表情には失望と落胆が浮かんでいた。

 俺はもう一度、周囲を見まわす。


 立派な木の柱や階段、そして壁に掛けられた薄い布。

 いずれも、神事に関するもののように見える。


「ミア、ここは元は養護院じゃなかったのか?」


「・・・おやしろだったって、ききました・・・。でも、わたしも、あまりよく知らないです・・・」


 やしろか。

 人間は殆どの国で女神ヨナを唯一神としているが、魔族は特定の神を持っていない。

 万物に精霊が宿るという考え方だ。

 魔族領には教会の類は無いが、精霊を奉ずる社があると聞く。


 ここがそうなんだろう。

 どうりで宗教的な意匠が見て取れると思った。

 宗教施設で児童養護を行うことがあるというのは、魔族にとっても同様のようだ。


 そうなると、だ。

 いよいよ、俺の首筋を緊張の汗が伝う。

 本当に生存者が居るかもしれない。

 ミアの姉が生きているかもしれない。


 魔族の社は、酒を造ったり、祭具をしまったりするために、地下に広い蔵を持っていることが多いのだ。

 だが、領軍のなかに、そんなことを知る者が居たとは思えない。

 敵方の文化を学んでおこうなどと考える者は皆無だ。


 本当に。

 本当に居るのか?

 生きているのか?


 呼吸が浅くなるのを自覚しながら、奥へ向かう。

 たしか、多くは祭壇の裏に地下への入り口が設けられている筈だ。


 人間の教会と同程度の広さを持つこの社のなかを、ゆっくりと進む。

 そして最奥、祭壇と思しきものに近づき、その裏側に回った。


 その床の一部に、四角い線がうっすらと見える。

 ここで床板が切れていることが分かった。


 床板に手をかけ、慎重に引き上げる。

 それはやはり蓋だった。

 思ったとおり、その下に階段が現れた。


「え・・・・・・」


 ミアも驚いている。

 彼女も知らなかったようだ。


「ミア、見てくるからここで待っててくれ」


「は、はい・・・」


 ミアを待たせ、俺は階段を降りた。

 階段は三十段ほどあった。思ったより深い。


 地下に降り立って、驚いた。

 かなり広い。

 通路が前方に二十メートルほど伸び、左右に幾つかの部屋がある。

 そして通路の突き当りには、ひときわ大きな両開きの扉があった。


 俺は通路を慎重に歩き、その扉の前に立った。

 そして、扉に手をあてて、ゆっくりと押し開く。


「・・・・・・あぁ」


 安堵か、歓喜か。

 そういうものを孕んだ空気が肺から吐き出され、俺は間抜けな声を出していた。

 ここが蔵なのだろう。扉の先は広い空間になっていた。

 そしてそこには、魔族たちが居た。

 子供が十五人ほどと大人が二人だ。


 生きていた。

 生存者が居たのだ。


 言葉が出てこない。

 俺はただ立ち尽くしていた。


 そんな俺に、魔族が。

 二人いる大人のうちの一人が向かってくる。

 その手には槍を持っていた。


 喜びに水を差されてしまったが、それは当然そうなる。

 俺が不用意だったのだ。

 槍の切っ先が、俺の心臓があった空間に突きこまれる。


 俺は通路を跳び退すさり、手を前に出して言った。


「待て! 俺は・・・!」


「うああぁぁぁぁーー!!!」


 その魔族は若い女だった。

 鬼気迫る形相で再び槍を突きこんでくる。

 まさに決死の気迫だ。


「おおおああぁぁぁぁぁーー!!」


「くっ!」


 槍さばきは素人のそれだ。

 だが、その切っ先にはすべての生命力が乗せられている。

 今この時を、自分の命の使いどころと定めているのだ。


「よせ! 話を・・・!」


「殺させない! お前らにはもう! お前らにはもう! 絶対に!!」


 通路を更に踏み込み、槍を繰り出してくる。

 すべてを焼き尽くすほどの怒りが、すべてを凍てつかせるほどの悲しみが、女の双眸そうぼうに溢れかえっている。


 そして女の後ろには、抱き合い、怯える魔族の子供たち。

 子供たちを守るため、女は自らの命を叩きつけるかの如く、立ち向かってくる。


「たのむ! 聞いてくれ!」


「これ以上! ひとりだって殺させない! 奪わせない!!」


「つっ!」


 槍が俺の肩先をかすめた。

 当たる筈の無い、素人の槍。

 だが躱しきれない。

 女は、自らの生命の燃焼を武器に立ち向かっている。

 その見えざる炎を前に、俺は気圧されていた。


「私が守る! 絶対に! 絶対に守る!」


 女は戦士ではない。

 魔族が持つ生来の魔力も、槍先に込められてはいない。

 もしそうだったら俺はとうに吹き飛ばされていただろう。

 だがそれでも、女は間違いなく、俺が今までに戦ってきたどんな相手よりも強い。

 気が付けば、通路の終端、階段の手前まで追い詰められていた。


「絶対・・・! 絶対に!!」


 魂すべてで立ち向かってくる。

 まさに死兵だった。


 だが彼女は決して死んではならない。

 女の眼を見てそう思った。

 その特徴的な琥珀色アンバーの瞳を見て。


「エーファ!! 聞け!!」


「!?」


 俺は全霊を込めて呼び掛けた。

 女の体がびくりと震え、そして動きが止まる。


「どうして・・・」


「・・・・・・」


「どうして私の名前を知っている・・・!!」


 ああ、やっと。

 やっとミアを、待つ人の元へ連れて来ることが出来た。


 生きててくれてありがとう。

 希望は、残っていたのだ。


「ミアに聞いた。そして貴女を捜しに来た」


「なにを・・・? なにを言っている・・・?」


 槍を持つエーファの手が、かたかたと震える。

 俺は階段の上に向けて声を張り上げた。


「ミア! 降りて来てくれ!」


 その声を受け、ミアが階段を降りて来る。

 恐る恐る、こちらへ向かってくる。

 そして地下に降り立つと、俺に目を向ける。

 次にその目を、通路の先に向け、そこに居る人に気づく。


「え・・・・・・・・・」


 ミアは短く声をあげ、それと同時に、両目から涙を溢れさせる。

 そしてそれは、エーファも同じだった。


「ミ・・・ア・・・? ミアなの・・・?」


「おねえ・・・ちゃん・・・」


 エーファは槍を手から落とし、駆けだした。

 ミアも同時に駆け寄る。

 そして姉妹は固く抱擁した。


「ミア! ミアぁっ!」


「おねえちゃん! おねえちゃん! おねえちゃぁん!」


 互いを呼ぶ声が地下に響く。


「ミアぁぁぁっ!!」


「うえぇぇぇぇぇん!! おねえ・・・ちゃ・・・! うわぁぁぁぁぁぁん!!」


 二人とも号泣していた。

 涙が、後から後から零れ落ちていた。

 そしていつまでも抱き合っていた。

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