53_夜の森で1

 俺はミアの集落へ向けて馬を走らせた。

 魔族の進軍ルートに使われているだけあり、この森は木々の間が広く、十分、馬で通ることが出来る。

 だがさすがに夜間は危険だ。

 日が暮れたのち、俺たちは野営に入った。


 二本の倒木にミアと向き合って座り、真ん中に火をおこす。

 そしてチーズと塩漬け肉を切ってミアに渡した。


「・・・ありがとうございます・・・」


 受け取っても、俺より先に口をつけようとしない。

 そのあたりは奴隷のというよりは元からの気質なのかもしれない。

 手早く俺の分も準備し、食事を始める。


「いただきます」


「・・・いただきます」


 チーズをかじりながら考える。

 ここまでは順調と言って良い。

 行程の八割ぐらいまで来ている筈だ。

 このまま行けば、明日の早い時間に着けるだろう。


「ミア、水も飲んでおけ」


 革袋を手渡したが、ミアは紐をほどこうとして難儀している。


「ああ、すまん。貸してみろ」


「あ・・・はい・・・」


 紐をほどいて、ミアに渡す。


「・・・ありがとう、ございます・・・・・・」


「どういたしまして。古くて紐がほどき難くなってるんだよ。この革袋、故郷に居た頃から、かれこれ十年以上使ってるからな」


「・・・大事に・・・使ってるんですね・・・」


「そうだな。とても大事なものだよ」


 こんな何でもない会話も出来るようになった。

 ミアの心は、ちゃんと修復されつつある。

 そのことに少しの安堵を感じながら、目の前で焚き火に顔を朱く照らされている少女を見やる。


「ミア、俺の勝手な考えで連れて来てしまったが、後悔してないか?」


 ミアはゆるゆると首を振って答えた。


「・・・ご主人さまのいうとおり・・・生死を、はっきりさせないと・・・辛いですから・・・」


 そうだな。

 自分の心のなかで決着をつけるためにも、姉の生死について事実を知るべきなんだ。

 たとえ認めたくない事実だったとしても。

 俺は黙って頷き、続けて言った。


「それとミア、この旅にはもうひとつ目的がある。隷属契約の破棄だ」


 俺とミアの間に魔法で施されている隷属契約。

 奴隷法に定められているものであり、王国では破棄できない。

 そこで魔族の魔導士に頼めないかと考えたのだ。


「隷属契約はそう強固な契約魔法じゃない。そこそこの魔導士なら破棄できる筈だ。心当たりは無いか?」


「・・・集落には、できそうな人もいました・・・。でも生きてないと思います・・・。ヘンセンの町なら・・・」


「ふむ」


 ヘンセンは、この地域の魔族たちの族長が居る、いわば首都のような場所だ。

 事前に周辺の地図は頭に入れてある。ミアの集落からは馬で丸一日といったところだろう。

 頭のなかで契約破棄の算段を考えていると、ミアがこちらを見つめていることに気づいた。


「・・・ご主人さまは・・・わたしが、いりませんか・・・?」


「ミア、俺は物分かりの良い友人を自認しているが、わけの分からないことを言われれば怒ることもある。ミアが要らないわけ無いだろう」


「・・・・・・・・・」


「要らないのはあくまで、隷属契約だ」


「・・・・・・はい・・・ごめんなさい・・・」


「許すとも。ミアも、俺がなにか考えの足りないことを言ったら怒るんだぞ」


「・・・・・・・・・」


「俺はコミュニケーションが不得手だ。特にミアのような女の子とはな。気づかないうちに不用意なことを言わないか、実のところ戦々恐々だよ」


「・・・だいじょうぶ・・・です・・・」


 何が大丈夫なのだろう。

 ちゃんと俺の発言を指摘すると請け負ってくれたのか、不用意なことなど言われてないと思ってくれているのか。

 それが分からない時点で、やはり俺はコミュニケーション能力に難ありだ。


「ただミア、はっきりさせておくが・・・もし姉君がご存命だったなら、ミアの居場所はもちろん姉君の傍だ」


「・・・・・・・・・」


 押し黙るミア。

 だがこの点に異論がある筈も無い。


「さあ、もう寝ると良い。夜明けとともに出発するぞ」


「・・・・・・はい・・・」


 ミアは、もそもそと毛布にくるまった。


 ◆


 ミアの寝顔を照らす焚き火が、ぱちり、ぱちりと爆ぜる。

 好きな音だ。

 宵闇に最も映える音ではないだろうか。


 旅程は順調だ。


 ミアを連れての旅路となる以上、入念にルートを決めている。

 結果、ここまでまったくトラブル無く進んできた。

 明日はいよいよ集落跡地だ。


「・・・・・・ん・・・」


 ミアが目を覚ました。

 そして体を起こして俺に視線を向ける。


「大丈夫だ。分かってる」


 ミアは、どうやら気配に敏感なようだ。

 魔法の適性によるものなのか、それとも人の気配に怯える日々を送った結果なのか・・・。

 いずれにせよ、彼女は獣の気配を感じ取ったのだ。


 つい今しがた、旅程は順調、などと考えたのがマズかったかもしれない。

 運命を司る何かは総じて皮肉を好む。

 ああいうことを考えると、しばしばこうなるのだ。


「俺が対処する。火の傍から離れないように」


「・・・はい」


 立ち上がって身構える俺の前に、暗闇の中から体長一メートル程の獣が四体出てきた。

 モリオオカミだ。

 魔獣ではなく、ただの獣に分類される。

 だが非常に賢く、集団での狩りは時に人間も標的にする。

 今もそうしようとしているようだ。


 剣よりナイフの方が戦いやすいだろう。

 そう考えて、傍らに置いていたナイフを手に持ち、オオカミと相対する。

 じりじりと近づくオオカミから目を離さないまま、ナイフで毛布を切り裂き、それを左腕に巻き付けた。


 少しずつ、少しずつ距離を詰めてくるオオカミ。

 確実にベストの距離を作ろうとしてくる。

 やはり賢い。


 だが距離の差し合いは俺も得意だ。

 四頭が同時に飛び掛かれる距離をくれてやるつもりはない。

 斜め前に一歩を踏み出し、こちらから二頭の間合いへ無遠慮に踏み込む。


 二頭は、意にそぐわぬ形で戦端を開く形になった。

 必然、その二頭が飛びかかって来る。


 とにかく多対一の戦いの基本は分断だ。

 一度に相対する敵の数を可能な限り減らす。

 それが成功した瞬間だった。

 まずはこの二頭を処理する。


 俺は毛布を巻いた左腕を目の前に掲げた。

 一頭がその腕に食らいつく。

 俺の腕は痛みを訴えない。

 モリオオカミの牙は長く鋭いが、幾重にも巻いた毛布をすべて貫通することはなかった。


 すかさず、右手に握ったナイフを左腕の下から差し入れる。

 毛布に牙を食いこませたままのオオカミは、ナイフに喉を貫かれて絶命した。

 次いで、俺はすぐさま屈みこむ。


 俺の喉笛があった位置にオオカミが飛び込んできていた。

 喉を狙ってくることは分かっていた。

 俺と同じだ。


 地を走るオオカミをナイフで迎撃するのは骨が折れるが、跳んでいる最中は無防備になる。

 下からしっかりオオカミの姿を視認し、その喉へナイフを突き入れた。

 二秒足らずの間に二頭の狼が絶命した。


 だがナイフが喉に食い込んで抜けない。

 逡巡は命取りだ。

 俺はすぐにナイフの放棄を選択した。


 そして残りの二頭と向き合う。

 俺の右手からナイフが消えたことに気づいたのか、オオカミはすかさず飛びかかってきた。


 だが、俺も残りの二頭と同時に戦うことにならないよう、位置取りを済ませていた。

 もう一頭がまだ後ろに居ることを確認すると、飛びかかって来るオオカミに対し、今度は左腕をまっすぐ口の中へ差し入れる。


 オオカミが毛布に噛みつくのと同時に、俺はオオカミの舌を左手で掴んだ。

 強烈な咬合こうごう力を持つモリオオカミだが、舌の力などたかが知れている。俺の握力を上回ることは無い。

 オオカミは舌を掴まれたまま、口を閉じられなくなった。


 そのまま地に引き倒し、横合いから全体重をかけて首に膝を入れる。

 モリオオカミは下顎部分の毛皮と筋肉が薄い。

 そこからなら人間の力でも、頚椎を損傷せしめることが可能だ。

 思い切り膝をねじ込むと、オオカミの首からごきりと音が鳴った。


 三頭目が絶命した時、四頭目は既に飛びかかって来ていた。

 俺はギリギリで回避するが、オオカミはそのまま通り過ぎ、俺の背後へ向けて走った。


 その瞬間、理解した。

 このオオカミの群れは、過去に人間と遭遇したことがあるらしい。

 人間の荷物から食料を奪うことを憶えたオオカミなのだ。

 四頭目は俺の背後に置いてあったザックの方へ向かっていた。


「ミア! 荷物から離れろ!」


 俺が叫ぶより早く、どういうわけかミアはザックへ向けて駆け込んでいた。

 そしてザックから何かを手に持つとそのまま横へ転がる。

 そこへオオカミが飛び込んでいった。


 オオカミの牙がザックを食い破り、食料が散乱する。

 次の瞬間、俺はオオカミの背後から覆いかぶさり、その首に両腕を回した。

 そして両腕に全力を込めて気道を塞ぐ。


 そのまま暴れるオオカミの背に三分ほど居座り、気道を塞ぎ続けた。

 やがてオオカミは動かなくなり、絶命するに至った。


 俺はそれを確認すると、すぐさまミアに近づく。

 ケガは無いようだ。

 彼女はズタズタになったザックの横に座り込んでいた。


「ミア・・・」


「これ・・・これ・・・ご、ご主人さまの、だいじな・・・」


 ミアはその両腕に、俺の革袋を持っていた。

 オオカミが食い破ろうとしているザックから、俺が大事だと言ったそれを咄嗟に取り出し、守ったのだ。


 無茶をするなと言い含めるべきなのだろう。

 だが、まずは勇気に対する対価を支払わねばならない。

 俺は膝をつき、ミアと視線を合わせて言った。


「ミア、ありがとう」

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