50_独白4

 ロルフが居なくなってからの数か月。

 それは私の今までの人生において最も空虚な日々だった。


 アールベック子爵家との婚約は、子爵家の不祥事により解消された。

 それは私にとって僥倖以外の何物でもなかったけど、喜びを伝えたい相手はもう居なかった。


 ただ、ささやかな変化があった。

 報告書を読むのが楽しみになったのだ。


 団長室の卓上に積み上げられた報告書の束には、今までならうんざりするばかりだった。

 各騎士団の団長には、王国内の多くの戦場の状況が共有される。

 特に魔族領と隣接する辺境の状況となれば、ほぼ全ての戦いについて報告が上がるのだ。

 これら報告書はたいへんな量で、見るだけで嫌になる。


 でもこの数か月は、楽しみにしている報告があった。

 ストレーム辺境伯領の状況を伝える報告だ。

 辺境伯領には、ロルフが司令官代理を務めるバラステア砦がある。


 ロルフは組織を改革し、戦術を見直して、戦いの尽くに大勝していた。

 以前のバラステア砦はまさに死地だった。

 だからこそ第五騎士団の幹部たちは、そこをロルフの追放先に推挙し、私は彼が前線に出ないよう司令官代理に就けたのだ。


 しかし幹部たちの思惑に反し、ロルフが着任して以降のバラステア砦の戦績は見事なものだった。

 報告書を読み返しては、ロルフの活躍を嬉しく感じる私だった。


 だけど同時に、納得できない自分が居る。

 第五騎士団に居る間にこれが出来ていれば、ロルフは騎士になれていたかもしれない。

 ロルフは確かに事を為す場を与えられず、不遇な状況にあったけど、それでも騎士団で頑張ってほしかった。


「・・・・・・」


 団長室のデスクで考え込む。

 場合によっては。

 そう、場合によっては、ロルフを呼び戻すことも可能なんじゃないだろうか。


 ロルフは、過誤を認めることが出来なかったから、騎士団を追放となった。

 でも、辺境で勝利を得るなかで一皮むければ、自分の過誤を認めることが出来る人間になれるのではないだろうか。

 自分の弱さと向き合うことの出来る人間になれるのではないだろうか。


 そして今度こそ、ロルフが心から反省してくれれば。

 そして真摯に謝罪することが出来れば。

 かつ、バラステア砦の戦況を大幅に改善したというこの実績があれば。

 ロルフを第五騎士団に戻すことが叶うかもしれない。

 今はまだ難しくても、いずれそういう可能性が出てくるかもしれない。


 アールベック子爵家との婚約が白紙になった以上、私はまだ当分騎士団に居る。

 ならばまた、ロルフに傍に居てほしい。


「ロルフ・・・」


 彼は変わってくれるだろうか。

 いや、かつての彼の姿に戻ってくれるだろうか。

 卑屈な心を捨て、力強い心を取り戻してくれるだろうか。


 遠い辺境の空を窓外に見上げながら、婚約者だった人を想うのだった。


 ◆


「エミリー、おめでとう! 大変なことだよこれは。僕も鼻が高い」


「あ、ありがとうイェルド」


陞爵しょうしゃくとは違うのか?」


「別物ですよラケルさん。エミリーさんは新しく封土を得たんです」


 梟鶴部隊の面々が私を祝福する。

 皆、常に無く興奮しているようだ。

 たしかに破格の事態だった。


「ヴァレニウス家、でしたよね」


「そう。なんか大仰な感じの名前で恥ずかしいんだけどね」


 発端はアールベック子爵家の不祥事だった。

 婚約解消と聞いた時は、貴族おきまりの横領か何かだと思った。

 だけどそんなレベルではなかったのだ。


 子爵とその長男は異常きわまる性倒錯者で、女性への暴力に情欲を感じる人間だった。

 女性を攫っては、筆舌にし難い暴虐の限りを尽くしていたのだ。


 子爵邸の地下室からは夥しい数の人骨が見つかった。

 そのなかには、事故死とされていた子爵の過去の妻たちも含まれていたそうだ。


 私も彼女たちの仲間入りをするところだった。

 婚約者だった長男ケネトは私に"懸想けそう"していたらしく、色々思い巡らせていたようだ。

 官憲が聞き出したそれを知らされた時、私は吐き気を抑えられなかった。


 これほどの事態では、歴史ある子爵家と言えどもさすがに存続を許されない。

 取り潰しだ。

 アールベック子爵領は領主を失うこととなった。


 そこを新たに封土として与えられたのが私だった。

 実家のメルネス家はそのままに、私が初代領主としてヴァレニウスという男爵家を興すことになったのだ。


 元々その地に嫁いで領地の運営に関わる筈だったこと。

 ゴドリカ鉱山の奪還を始め、これまでの実績をかなり高く評価されていたこと。

 それらが考慮された結果だと聞いた。


 だけど、どうやらそれ以外の思惑も働いている。

 第一騎士団団長、エステル・ティセリウス。

 王国の英雄たる彼女は中央と折り合いが悪いのだそうだ。

 険悪と言って良い状況にあるらしい。


 そのため中央は新たな英雄を欲しているのだ。

 誰か別の者に権勢を与えて、次の英雄を作ろうとしている。

 それで、実績があって民衆に好かれている私に白羽の矢が立ったというわけだ。


 だから当面、私に領地運営は求められない。

 ヴァレニウス領には中央から執政官が派遣される。

 私は引き続き騎士団で役割を果たすことになるのだ。


「ふふ。今後も僕らを率いてくれよ、ヴァレニウス男爵夫人」


「やめてよもう・・・」


 意に反して祭り上げられること、そして、未婚のまま夫人と呼ばれることに抵抗を感じる私だった。


 貴族家当主でありながら騎士団長を務めるケースは史上初らしい。

 物語では、姫やら公爵やらが剣を取って戦うということは珍しくないが、それが現実のものになったと、騎士たちも民衆も、やたらと沸き立っている。


 元から人々には実像以上に好意的に捉えられていたが、更に人気が高まった形だ。

 もっとも、姫でも公爵でもなくて男爵だし、しかも実際は領主の仕事など殆どしておらず、執政官に丸投げだ。

 それなのに、戦う領主様として持ち上げられている。

 なんとも居心地が悪い。


「偉くなったんだから、色々ムチャも言えるだろ? 食堂が手狭だから増築を掛け合ってきてくれよ。あと屋外訓練場に屋根がほしいねえ」


 ラケルがバカなことを言って、皆で笑いとばす。

 でも、と。

 このとき気づいた。

 たしかに、不本意ながら権力は得た。

 かなりの発言力があり、時に無理を通せるのも事実ではある。


 たとえば、追放した者を呼び戻すこともだ。


 ◆


 団長室。

 デスクの上の報告書を読む。


 バラステア砦はなおも戦果を積み上げていた。

 深刻だった死傷者数が、ロルフ着任後は劇的に減っている。


 何度見ても見事だ。

 あの砦は、少し前まで紛うこと無き死地だったのだ。

 それが今では、死者が出る方が珍しいという状況になっている。

 これほどの実績があれば、ロルフの騎士団復帰はやはり現実的に思えてくる。


 でも、それにはちゃんとしたプランが必要だ。

 いくら私の発言力が増してるとは言っても、いちど追放してる以上、「戦果を挙げてるので戻します」で済むものじゃない。


 糸口を求め、他の報告書をぱらぱらとめくる。

 その時、そこに書かれた"参謀長"の単語が目についた。


 はたと気づく。

 参謀長。その線なら行けるかもしれない。


 ゴドリカ鉱山の奪還後、王国は大幅に軍拡し、戦火はより広がった。

 これを受け、各騎士団は体制を見直している。


 そのひとつが参謀長の存在だった。

 作戦が大規模になることが多くなったため、団長の傍にあって意思決定を手伝う者の必要性が指摘されているのだ。


 現在、第二騎士団が既に参謀長を置いている。

 想定どおりに機能してるという。

 第五騎士団に置くことへ異論は出ないだろう。


 そして外部にも門戸を開くかたちで、騎士団の内外から希望者を募る。

 第二でもそうしたのだ。

 ある程度の年数の騎士団在籍経験と、指揮の経験を条件にすれば良い。


 そうだ。"望めば前線に出るのも可"という一文も付けよう。

 募集するのは参謀長だが、ロルフは剣に執着している。

 以前、剣を捨てて軍略の道を志すよう勧めたが、断られたことがある。


 ただ、あの時ロルフは、軍略も騎士の本分だし、その方面でも役に立ちたいと言ってくれた。ただ剣を捨てたくないだけだと。

 だから、募集するのは参謀長ではあるが、自ら剣を取ることも許す、という形にしよう。


 そして最も重要な一文。

 "過去の賞罰は一切問わない"と明示する。

 つまり、追放されたという事実も問わない。


 ・・・でも、この一文を額面どおりに受け取ってしまうようではダメだ。

 団長として、上官として、どうしてもそこを譲るわけにはいかない。


 募集に応じて、ロルフはやって来るだろう。

 その時。現れた時の最初の言葉は、謝罪でなければならない。


 本当にすべてが免罪されたと思い込んでしまうようであれば。

 素知らぬ顔で、何事も無かったかのように現れるのであれば。


 その時こそ私はロルフを見放す。


 でも、大丈夫だ。

 私は信じてる。

 バラステア砦での活躍を見れば分かる。

 ロルフは、過誤を認められる強さを取り戻している。

 必ず彼は謝罪してくれる。


 あの審問会で、たったひとこと謝罪してくれていたら、今もロルフはここに居たのだ。

 もういちど。もういちどだけ、ロルフにチャンスをあげる。


 ロルフは、過ちを認める強さを見せる。

 私は、過ちをゆるす器を見せる。

 そうすることで私たちは進めるのだ。


 そしてロルフを追放した時とは、もう状況が違う。

 私はヴァレニウス家の当主だ。


 私の結婚相手については、たぶん中央の横やりが入るだろう。

 でも、そこに関しては、私は絶対に我を通す。

 どんなに邪魔が入ろうと、きっと何とかする。


 ────私はロルフを夫とし、ヴァレニウス家に迎える。


 いちど諦めた未来が、手の届くところまで近づいてきた。

 私は、心臓が早鐘を打つのを感じていた。

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