45_踏まれた花が示す道
ミアと出かけた日の夜。
彼女は俺のベッドで寝ていた。
以前、夕食のレンズ豆を見てミアが泣き崩れたことがあった。
あとから聞いた話では、父親の好物のレンズ豆を彼と一緒に食べる筈だったが、結局彼は帰って来ず、その機会は永遠に失われたらしい。
あの日はそのことを思い出して泣いていたのだ。
その夜、情緒が危うくなっていたミアは俺と同じベッドで寝た。
それ以来、何日かに一度、同じく心が平静を保てず眠れない日、ミアは俺の部屋を訪れている。
今日は市場に出かけた際、彼女の過去を語ってもらった。
少しでもミアが抱える悲しみを緩和するために語ってもらったのだが、どうしても精神の疲弊はあっただろう。
結果、彼女は今、俺の隣で眠っている。
寝息は穏やかだ。
平穏な睡眠を得ることが出来ているらしい。
だが俺の心中は穏やかとは言えない。
ミアが捕われ、戦争奴隷となったのは俺がこの地に着任してからのことだったのだ。
その可能性について考えてはいた。
だが、その事実を突きつけられることを、俺はどこかで恐れていたと思う。
ミアの集落が襲撃を受けたのは智竜の月の初旬だと言う。
俺がバラステア砦に着任して間もない頃になる。
良く憶えている。
俺はあの時、砦で辺境伯と激しく口論したのだ。
辺境伯は領軍に掠奪行為をさせようとしていた。
金品を奪い、非戦闘員の捕虜すら得ようとしていた。
俺はそれを詰問し、翻意を促したが、取りあってはもらえなかった。
人間の常識から外れたことを言っているのは俺だった。
「・・・・・・・・・」
ミアが捕われたのが、せめて俺の与り知らぬ時の出来事であれば良かったなどとバカなことは考えない。
ただ、どうにも息苦しさを拭えないのだ。
胸中に重石を押し込まれ、それが肺を圧迫しているかのようだった。
なぜってあの時。
伯との口論の数日後に領軍が帰還し、砦を通って領都へ戻っていった時。
俺の居る砦を領軍が通っていく時。
領軍が俺の傍らを通っていく時。
その馬車のなかに、ミアとその姉が居たということになる。
家族を殺されて、心を壊されて、闇へ連れ込まれたのだ。
俺の、俺のすぐ横を通って。
「・・・・・・・・・」
欺瞞なのだろう。
魔族相手なら非戦闘員でも捕虜とし、奴隷とする。
その人類国家の常識を、俺は知っていた。
あの馬車に捕虜が乗せられている可能性にも気づいていた。
ミアという実例を目の当たりにして、初めて現実を認識したのだ。
それまでは、自分の戦いがもたらすものについて、本当の意味での理解を得ていなかった。
それともうひとつ。
ミアは戦死した父親についてこう言っていた。
────集落でおとうさんだけが・・・でっかい斧をもって、戦いにでかけてました・・・
領軍が魔族領に攻め入る前日。
砦から敗走する魔族軍への追撃をエッベ隊が主張し、俺がそれを退けた。
だがエッベ隊は独断で追撃をかけていた。
あの時、エッベ隊のカールが酒場で言っていた台詞を思い出す。
────そんで俺は、逃げる魔族をぶった斬ってやったわけよ!
────大斧担いだ一番デカいヤツを殺ってやったぜ! 仲間を逃がそうとしてやがったからよ! 背中からバッサリだぜ!
カールが殺したのはミアの父だろう。
俺が部下をコントロールできなかった結果、その者たちが独断におよび、ミアの父を殺した。
「・・・・・・・・・」
人間と魔族は戦争をしている。
戦争である以上、悲劇は生まれる。
人間の側でも、大勢が死んでいる。
だからこそ人は剣を取って戦う。
剣は、殺すためだけの道具ではないからだ。
それを振るえば守れる。自分たちの国を。自分たちの仲間を。
そして、戦う者が責任を負うのは、あくまで自国に対してだ。
敵方の者たちを慮って自国を蔑ろにするのは利敵行為だ。
守るべきはいつだって自分の隣人たちなのだ。
それらはきっと間違っていない。
それらはきっと事実だ。
だが・・・。
「・・・・・・・・・」
ミアの寝顔を見やる。
罪なき子供の寝顔を。
俺は・・・。
◆
翌日。
バラステア砦、司令官室。
俺は四か月前の記録を確認していた。
砦では、領軍の戦闘記録も提示してもらっている。
領軍の司令官は渋ったが、砦の防衛戦略上、この地の戦闘はすべて把握したいという俺の主張を受け容れざるを得なかったのだ。
あの日領軍が攻め入ったのは、森を北西側に抜けた先にある集落だった。
戦争奴隷に出来ない者はすべて殺し、それ以外を捕えて連れ帰ったとある。
金品ほかの資産を接収した後は、その地を用なしとして放置。
現在、集落だった場所には誰も、何も残っていない。
俺は、俺の認識と、ミアの語った内容を整合させる。
ミアの父親は、集落が襲撃される数日前、砦攻めに参加していた。
この時、エッベ隊の追撃によって戦死したのだ。
襲撃の当日、領軍が来る数時間前に、ミアの母親が自宅から出かけた。
次いで上の姉が、自身が手伝う養護院の様子を見に出かけた。
その後、領軍が襲撃するにおよび、兄は自宅に押し入った兵たちと戦って殺された。
彼は妹たちを守るため、三人を相手に斬り結んだらしい。
・・・会ってみたかったものだ。
ミアは下の姉と共に広場に連行された。
そこで父親の遺体と対面し、さらに母親も殺された。
それから下の姉と共に領都へ連行されたのだ。
そして領都の収容所で、その下の姉も命を落とす。
「・・・・・・・・・」
ミアは、よくこの話をしてくれたと思う。
だがそのおかげで、ひとつの事実が浮上した。
ミアの上の姉については、その死は確認されていない。
領軍の記録には、その地には誰も残っていないとある。
普通に考えるなら、上の姉が居た養護院も襲撃されているだろう。
この件を再度確認しても、絶望を上塗りするだけに終わる可能性は高い。
だが可能性が少しでもある以上、姉の生死を確かめるべきではないだろうか。
◆
「・・・そうは言ってもな」
官舎への帰路で俺は考え込む。
ミアの姉の生死を確かめるには、その地へ行くしかない。
いや、行ったとして何も分からない可能性は高い。
そして俺だけが行ってもミアの姉の顔は分からない。
そもそも何日もミアをひとりには出来ない。
連れて行くしかないだろう。
だが森には魔獣も出る。当然危険だ。
第一、人間である俺が部隊も伴わずに魔族領へ出かけていくのは自殺行為だ。
言うまでもなく、そこは敵地なのだから。
そのうえ俺は、この地の砦の司令官代理だ。
ミアに対して責任があると同時に、部下たちに対しても責任がある。
それを忘れ、弱い少女を守ることに酔ってはいないだろうか。
俺がナイトシンドロームとは笑えない。
思い悩んでいるうちに官舎に着いた。
ドアを開けると、ミアが迎えてくれる。
「・・・おかえりなさいませ」
「ただいま、ミア」
ミアの顔を見て考える。
肝心の彼女はどう考えているだろうか。
家族について語る時、姉の生存を信じるような口ぶりではなかった。
だが、そもそも彼女は世界を諦めていたのだ。
最近、多少なりとも感情を取り戻しつつあるが、何かを信じる心を持つには至っていない。
それにミアは、故郷の地を踏むことは二度と叶わないと思っている。
人間の国から出ることはもう出来ないと。
だからミアにとって姉のことを考えるのは、ただでさえ憔悴しきった心を無為に疲弊させることでしか無いのだ。
しかし心の奥底では、姉の生存を信じたいのではないだろうか。
故郷の地にまだ肉親が居るという可能性を、胸から追いやることは出来ないのではないだろうか。
どうするべきか。
ミアの姉が生きている可能性はかなり低い。
ゼロじゃないというだけだ。
確かめた結果、ただ傷つくだけに終わる公算は高い。
「・・・・・・ふぅ・・・」
肺から重い空気を吐き出す。
ミアの家族の話を聞いてから、俺は悩んでばかりだ。
ロルフ・バックマン。
体ばかりデカくて、いつまでも女々しい男。
その夜も、俺はとるべき行動について結論を出せずにいた。
◆
翌朝。
俺はいつもどおり砦へ向かう。
「・・・いってらっしゃいませ」
「ああ、いってくるよ」
ミアは、最近では家の外まで出て送り出してくれる。
信頼関係は着実に出来つつあると思う。
と、その時。
一頭立ての軽装馬車が目の前の道を走って行った。
「・・・あ・・・・・・」
ミアが小さく声を上げる。
その視線の先では、花が潰されていた。
鈴蘭の花だ。
普通は群生しているものだが、道端に一株だけ咲くのは珍しい。
だが、いま走って行った馬車に潰されてしまったようだ。
白い花が
「・・・・・・おはな・・・・・・・・・」
ミアが、とても悲しそうな顔をしていた。
花の死を
自らがこれ以上なく悲しい境遇にあるのに、花を可哀想に思っている。
ミアはひしゃげた鈴蘭に近づいて、その花に手をやる。
そして優しく手を添えて茎を伸ばそうとするが、それは叶わない。
鈴蘭は轍のなかで潰れたままだ。
「・・・しろいおはな・・・・・・・・・」
魔族。
悪辣な怨敵。
滅ぼすべき邪悪。
誰が言ったんだ、そんなこと。
女神の手先か?
だったら俺がそいつとカタをつけてやる。
俺は約束した。
ミアと約束したんだ。
────いいかミア。良く聞いてくれ。未来は俺が請け負うからな。
────ミアの未来を、悲しい思いをしないで済む未来にする。約束だ。
俺に約束を守らせないつもりか?
そうはさせるか。
そうはさせるものかよ。
俺はミアの傍らに膝をつき、その肩に手を置いた。
「ミア、話がある」
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