44_胸塞ぐ事実

 弱い雨が降る休日の朝。

 早朝の剣の稽古を終え、俺は雨に濡れた体を拭いていた。

 こちらに来てからも、休むことなく剣を振り続けている。


 それから俺は朝食の準備を始める。

 せっかくの休日なので、少し手の込んだものにするつもりだ。


 気が付くと、傍にミアが居た。

 食材を準備する俺の手元をじっと見ている。


「ミア、手伝ってくれるか?」


「・・・はい」


 そう返事をしてくれるミアに、ジャガイモとおろし金を差し出す。


「朝食はジャガイモのパンケーキにする。これをすりおろしてくれ。できるか?」


 こくりと頷き、ジャガイモを受け取るミア。

 そして調理台で、それをすりおろし始める。

 彼女の身長では、調理台が少し高かったようで、覗き込むように若干窮屈な姿勢になっている。今度、踏み台を用意するとしよう。


「・・・ん、しょ・・・ん、しょ・・・」


 自分の掌より大きいジャガイモをつかんで、一生懸命おろし金にこすりつけるミア。少々手つきが危なっかしい。


「ゆっくりで良いからな。自分の手をすりおろさないように」


「ん・・・はい」


 俺は玉ねぎを切り、フライパンと小麦粉を準備した。

 しとしとと雨音が聞こえるなか、ミアとふたりで朝食を作る。

 しばらくすると、ミアの努力の甲斐あって、じゃがいもは綺麗にすりおろされていた。


「上手く出来たじゃないか。よし、そっちの棚から塩を取ってくれるか?」


「えっと・・・はい」


 ジャガイモに玉ねぎと小麦粉を混ぜ、塩を入れてよく混ぜる。

 そしてそれを熱したフライパンに落とした。

 じゅうじゅうと旨そうな音が聞こえてくる。

 ミアが興味深げにフライパンを見ている。


「火加減がポイントだ。強めに焼いて、カリッとした食感を出す。少し焦がすつもりで大胆に行かなきゃダメなんだ」


 俺を見上げて、こくりと頷くミア。

 次は彼女に火を使わせても良いだろう。


「よし、出来たぞ。皿を出してくれ」


 焼きあがったジャガイモのパンケーキを食卓に並べ、ミアと向かい合って座る。

 そしてコップにたっぷりのミルクを注いだ。


 ミルクは地方によっては薬扱いで、あまり食卓に並ばないが、俺の故郷では比較的よく飲まれていた。

 俺も好んでよく飲んだ。


 俺の身体がデカいのは、ミルクによる部分が大きいと踏んでいる。

 ミルクは丈夫な体を作るのに役立つ。

 幸いこのストレーム辺境伯領でも簡単に手に入るので、ミアには毎日飲ませている。


「いただきます」


「・・・いただきます」


 いつもの挨拶をして、ジャガイモのパンケーキを口に運ぶ。

 旨い。

 表面がカリッと香ばしく、中はほっくりとして滑らかだ。


「・・・おいしいです」


「中身の食感が滑らかだろう? これはミアがしっかりとジャガイモをすりおろしたからだ。良い仕事をしたな」


「・・・こんどは・・・やくのも、やります」


「向上心があるな。良いことだ」


「・・・・・・ごめんなさい・・・お料理、わたしのしごとなのに・・・」


「ミアは毎日掃除と洗濯をしてくれてるだろう? そんなにすぐ何でも出来るようにはならないさ」


「・・・お料理も、おぼえます」


「期待してるよ。ああミア、ミルクもちゃんと飲むんだぞ」


「あ・・・はい」


 満足のいく朝食だった。

 朝食のあとは、ミアは掃除と洗濯を、俺は自室で持ち帰った仕事を片付ける。


 昼の少し前、ミアが紅茶を持ってきてくれた。

 最近、淹れ方を覚えたのだ。


「お、ありがとう。・・・うん、旨い」


 紅茶を飲みながら窓を見やると、朝から降っていた雨がやみ、晴れ間が覗いていた。


「ミア、少し出かけよう」


 ◆


 たしか、雨上がりの晴れた街並みを歌にした劇作家が居た。

 気持ちは分かる。雨上がりの街は実に美しい。

 水たまりや、店の軒先から落ちる雨滴に陽光が射して、とても綺麗だ。


 そんな中をミアと歩く。

 俺たちは街の中央にある市場へ来ていた。


 ミアには自由に外出して良いと伝えてあるが、実際、彼女がひとりで出歩くのは難しい。

 正規の奴隷とは言え魔族がひとりで歩き回って面倒に遭遇しないとも限らないし、そもそも彼女には人間に対する怖さがあるのだ。


 だから俺が帯同できる機会を出来るだけ作り、外に連れ出してやらなければならないと思っていた。

 ようやく今日、そのタイミングが作れたのだ。


「あとは腸詰めと、キャベツも買っておくか。酢漬けにしよう」


「・・・・・・わたしが、もちます」


「すまん。じゃあこれを頼む」


 大玉のキャベツはミアには重いので、干しアンズの入った袋を渡した。

 それを受け取り、大事そうに持つミア。

 ふと、その視線が一点で止まった。

 そこにはいくつかの屋台が並んでいた。


「ああいうのを見るのは初めてか?」


 ミアはこくりと頷いた。

 たしか魔族の文化圏にも露天商のようなものはあると聞くが、食べ物の屋台はあまり無いらしい。

 ちょうど良い。何事も経験だ。


「じゃあ昼食はあれにしよう」


 そう言って屋台に近づき、豚の串焼き肉を二本買った。

 そして近くのベンチに、ミアと並んで腰を下ろす。


「はい、どうぞ」


「・・・ありがとうごさいます・・・・・・」


 ミアは覚束ない手つきで串焼き肉を受け取った。


「いただきます」


「・・・いただきます」


 ミアと並んで串焼き肉を食べる。

 なかなか旨い。

 領都アーベルは海が遠いぶん畜産が盛んで、豚は大体ハズレが無いのだ。

 ミアも気に入ったようで、ほどなく食べきってしまった。


 少し足りないし、バランスも悪いな。

 そう思った俺は、棒付きパンなど買い求めるかと思って屋台を見まわす。

 ふと隣を見ると、ミアの視線が目の前に固定されていた。


 そこでは幸せそうな家族連れが歩いていた。

 四人家族だ。

 男の子は父に肩車をされ、女の子は母と手を繋いでいる。

 陽光の中、四人とも笑顔を浮かべていた。


「・・・・・・・・・」


 ミアが目を伏せて俯く。

 その横顔を濃い陰が覆っていた。

 俺は、ミアの頭に手を置いて話しかける。


「大丈夫か?」


「・・・・・・はい」


「知ってるかミア。悲しいことは、友人に伝えることで少しだけ悲しくなくなる」


「・・・・・・・・・」


「友人が悲しみの一部を受け持ってくれるんだ。そしてここが重要だが、俺はミアの友人だ」


 俯いていたミアが、ゆるゆるとこちらを向いた。


「・・・ご主人さまは、わたしのともだちなんですか・・・?」


「そうだよ」


「・・・ご主人さまなのに・・・?」


「俺は別に主人じゃないよ。契約上そうなってるというだけで、それは精神的な繋がりとは別の話だ」


「・・・・・・・・・」


「無理強いはしないが・・・出来れば俺に話してくれないか? ミアがどうしてここにいるのか」


「・・・・・・・・・」


 しばらくの間、ミアは俺を見つめていた。

 以前の、何も宿していない目とは違う。

 そこには感情があった。


 そして彼女の感情の殆どは悲しみだ。

 それを少しでも取り除いてやることが出来れば、その下から、本来ミアが持っていた感情が現れるのではないかと思った。


 そうやって少しの間、見つめ合ったのち。

 ミアは静かに口を開いた。


「・・・・・・・・・・・・ご主人さま・・・わたしは・・・・・・」


 それから、ぽつりぽつりと、ミアの道程が語られる。

 家族がミア含め六人居たこと。

 父が木こりとして家族を養いつつ、兵士も務めていたこと。


「・・・おとうさんは、いちばん力持ちでした。・・・集落でおとうさんだけが・・・でっかい斧をもって、戦いにでかけてました・・・」


「戦斧か。たしかに力自慢でなければ扱えないな」


「・・・でも、あの日・・・おとうさんは帰ってきませんでした・・・」


 そして集落が王国の兵に襲撃されたのだと、ミアは言った。

 続けて、時おり声を震わせながら語る。


 父は戦死しており、自宅に押し入った兵士によって兄も斬り殺されたこと。

 母も捕縛されたのち殺されたこと。

 姉のひとりは行方不明、いまひとりはミアと共に囚われ、のちに死んだこと。


 ミアは家族を襲った悲劇についてはつぶさに語ったが、自身が捕われたのちにどう扱われたかについては詳しく語らなかった。

 彼女にとって自分より家族こそが大切だったことの証左だろう。

 だが、ミア自身も想像を絶する無体に晒されたことは間違いない。


「辛いな・・・ミア」


「・・・はい・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


「・・・・・・・・・」


「・・・ミア。誰にも過去を変えることは出来ない。悲しい出来事は、もう無かったことにはならない。・・・でも、いいかミア。良く聞いてくれ。未来は俺が請け負うからな」


「・・・・・・・・・」


「ミアの未来を、悲しい思いをしないで済む未来にする。約束だ」


「・・・ご主人さま・・・・・・」


 ミアを胸に抱き寄せる。

 しばらくの間、彼女は泣いていた。


「ミア、もうひとつ教えてくれ。集落が襲撃を受けたのはいつのことだ?」


「・・・四か月前・・・智竜の月の七日です・・・」


「・・・そうか」


 ここ最近、その可能性について考えてはいた。

 だが、心のどこかでそれを聞くことを先延ばしにしていた。


 ミアが捕われたのは、いや、ミアを捕えたのは、俺が砦の司令官代理としてこの地に着任した後のことだった。

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