43_芽吹く絆

 砦の戦況が好転し、侵攻が止んでいたこともあり、このところ帰りが早かったが、今日は仕事が立て込み、夜更けの帰宅となった。


 家のドアを開けた俺は、一瞬驚いた。

 暗闇の中にミアが立っていたのだ。


「・・・おかえりなさいませ・・・・・・」


「ただいま。ミア、言わなかった俺が悪かった。そうやって俺の帰りを待たなくて良い」


 ミアは明かりの無い家のなかで、ただ俺を見ている。


「俺はあまり時間の自由が利かない仕事をしている。このところ、たまたま早く帰れていたが、今日のように遅くなる日もあるんだ。ミアは、自分の仕事が終わったら、俺を待たずに自室で休んでいてくれ」


「・・・はい」


 俺はランプに火を入れ、家中に明かりを灯した。

 自室に戻って良い。明かりを灯して良い。

 俺がそれらをミアに伝えていなかったから、ミアは暗い中ただ俺を待っていたのだ。


 そのぐらい考えて行動せよとは、とても言えない。

 ミアはすべての権利を奪われた子だ。

 許しを与えられなければ、自分から動くことは無い。


 誰もが持つ自由がミアにも当然あると理解してもらえるまで、俺がきちんと気にかけなければならないのだ。

 考えが足りなかった。


「ランプの点け方は後で教える。夕食は可能な限り共にしたいと思っているが、腹が減ったら先に食べてくれ。パンと塩漬け肉は常に置いておく」


「・・・・・・わかりました・・・」


「今日の夕食はすぐ作るからな。待っててくれ」


 そう言って、俺は夕食の準備を始めるのだった。


 ◆


 ミアと共に食卓につく。

 テーブルに置かれた夕食を、いつものように感情を宿さぬ目で見るミア。

 彼女が暗い家で何時間もただ俺を待っていたことを思うと、胸が潰れそうになる。

 同時に、自分に対する怒りが湧いてきた。


 気を使っているつもりで、肝心なことが何も出来ていない。

 人との関係性を築けなかったことこそ、あの追放の一因だったというのに、何も成長していないのだ。

 自分がイヤになる。


 ・・・・・・いかんいかん。


 後悔なんか非建設的なだけだ。

 行いを顧みて次に活かすことは大事だが、後悔は必要ない。

 俺は元より、ミアとの距離感を掴めずにいる臆病者なのだ。

 恥じずにこれから成長していくことこそ大事だろう。


「遅れて済まなかったな。じゃ、食べよう」


「・・・いただきます・・・・・・」


「いただきます」


 スプーンを皿に伸ばす。

 今日の夕食はレンズ豆を煮たものだ。


 豆は良い。

 体を作るのに大事だ。

 ミアの健康の一助になるだろう。

 レンズ豆は魔族もよく食べると聞く。


 向かいに目を向けると、ミアが固まっている。

 皿に目を落としたまま、瞬きもしない。


「・・・・・・レンズ豆・・・」


「ミア?」


 しばらく皿を見つめた後。

 ミアの両目から、ぼろりと涙が零れた。


「・・・うっ・・・うぐっ・・・・・・えうぅっ・・・!」


 嗚咽。

 ミアが初めて見せた感情だった。


 俺はこの期に及んで逡巡するほどには愚かじゃなかった。

 どうしてしまったんだろう。

 どんな言葉をかければ良いんだろう。

 そんな無意味な思案を始めたりはしなかった。


 立ち上がり、ミアの傍に行く。

 そして彼女の頭を抱き寄せ、胸にいだいた。


「うぅっ・・・うぇっ・・・うぅぅぅ・・・!」


 胸のなかで嗚咽を漏らし続けるミア。

 やがて両手を俺の背に回し、シャツを握りしめた。


「うえぇぇぇぇぇぇ! うっ・・・うわぁぁぁぁぁん!」


 嗚咽はやがて慟哭となって響いた。

 俺はミアの頭を胸に抱きしめる。

 強く抱いたら彼女が壊れはしないだろうか、などとはもう考えなかった。

 ただ力いっぱい抱きしめる。

 俺が味方であることが伝わるよう願い、両手に想いを込めて抱きしめる。


「うっ・・・うっ・・・うぅ・・・」


 ミアが泣きやむまで、俺は黙って腕のなかのミアを見守っていた。


 ◆


 深夜。

 自室でデスクに向かい、報告書に目を通す。

 仕事の一部を家に持ち帰ったのだ。


 だが、報告書の内容が頭に入ってこない。

 胸に去来するのは、先ほどのミアの姿だった。


「ふぅ・・・」


 紙束を置いて天井を見上げた。

 そして泣き濡れる少女を想う。





 ────こん、こん





 聞き漏らしてしまいそうに微かな音でドアがノックされた。

 近づいてドアを開けると、ミアがそこに居た。


「どうした?」


「・・・・・・あの・・・」


 寝間着に身を包んだミアが、俺を見上げている。


「・・・わたし・・・その・・・・・・ごめんなさい・・・」


 そう言って背を向け、立ち去ろうとするミア。

 俺はその小さな背中に声をかける。


「ミア」


「・・・・・・」


「眠れないんだろう?」


「・・・・・・・・・わたし・・・」


「悲しいことを思い出してしまって、それで、ひとりで居ると何かに呑まれてしまいそうで、怖くて眠れない。そうだろう?」


「・・・・・・っ」


 はっとした表情で振り返るミア。

 俺は敵地や暗い坑道で自分より強い相手と戦ってきた。

 恐怖については人並み以上に知っている。


「いいんだ、ミア。おいで」


 そう声をかけるも、ミアは動かない。

 だから俺から近づく。

 ゆっくりと、彼女との間にようやく架かった細い橋を渡る。


 琥珀色アンバーの瞳が俺を見上げていた。

 何かに縋るように。

 貴方に縋って良いのかと問うように。


 答える代わりに、俺は彼女を抱き上げた。


「・・・えっ・・・・・・」


 そのまま部屋に入り、そっとベッドに下ろす。


「・・・・・・あ・・・」


 当然だが、バカな気を起こしたりはしない。

 同衾するのみ。

 婉曲的な意味ではなく、本当に同衾だ。


 ランプの灯を消し、俺もベッドに入る。

 このベッドは元から官舎にあったもので、シングルサイズだ。

 体の大きな俺とでは狭くて密着することになるが、我慢してもらうしかない。


 ただ枕が無い。

 俺の枕を使わせれば良いのだが、そうするとミアが申し訳なく思ってしまうかもしれない。

 いまの感情が戻りつつあるミアなら、たぶんそうなる。


 だからミアの頭を少し持ち上げ、そこに俺の右腕を差し込んだ。


「・・・あの・・・・・・?」


「すまんが枕がひとつしか無いから代わりにこれで」


「・・・ぁ・・・はい・・・」


 ミアがおずおずと俺に体を預ける。

 上腕にミアの頭の重みを感じた。


「・・・ほし・・・・・・」


「ん、ああ。星が見えるんだ、ここ」


 この部屋はちょうどベッドの上に天窓があり、空が見える。

 今夜は晴れていて、星々が良く瞬いている。


「・・・・・・シュテア」


「ああ、あれはシュテア座だ。魔族に伝わる古代の美姫びきだな」


「え・・・?」


 ミアが目をこちらに向ける。

 表情からは分からないが、驚いているようだ。


「知ってるよ。魔族の風習に関する本で読んだ」


「・・・・・・本が好きって・・・言ってました・・・」


「憶えていてくれたのか? そう、俺は本が好きだ」


「・・・・・・人間の国では・・・あれは、何座なんですか・・・?」


「何座でもないよ。人間は星に名を付けない」


「・・・そうなんですか・・・・・・」


「だが夜空に思いを馳せるのは良い。星を、愛する何かの名で呼ぶのは詩的だ」


「・・・シュテア、すきです・・・・・・」


 初めて、ミアの好きなものを知ることが出来た。

 誰かのことを知りたいと思って、それを本人の口から知る。

 とても光栄で幸せなことだ。


「北方の美姫シュテア。数千の魔族の民を連れて豊穣の地へ辿り着いた逸話は心を震わせるものがある。騎士アウレールとの物語も感動的だ」


「・・・はい・・・あこがれます・・・」


「俺はシュテア座の横のグウェイルオル座も好きだな。吐く炎は鋼を炭に変えたとまで言われる古竜だ」


「・・・おとこのひとは・・・竜とか、すきです・・・」


「カッコいいからな」


 そんなことを言いながら、横目でミアの顔を見る。

 星海を映す琥珀色の瞳が美しく煌めいていた。


 その夜、ミアを睡魔が襲うまで、俺たちは取り留めのない話を続けたのだった。

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