42_公私に苦慮す
「・・・・・・・・・わたし・・・なにか、することは・・・・・・」
根気よくコミュニケーションを取り続けた結果。
正確には、コミュニケーションを取ろうと一方的に話し続けた結果。
五日目の朝、ミアがそんなことを聞いてきた。
何もせず、ただ家に居るのも確かに辛いだろう。
そろそろ仕事を与えても良いかもしれない。
多分だが、ミアという子は、元来自立心を持つ子だと思う。
ほとんど対話できていないためまったくの勘なのだが、彼女の中に芯のようなものを感じるのだ。
だから、ただ与えるだけではなく、何かをしてもらった方が良い。
彼女に価値があること、彼女が必要な者であることを教えるのだ。
ゆえに仕事をさせるのは有効だと思う。
何か、家の仕事をやってもらうことにしよう。
この官舎は只の一軒家で、家政婦が必要な程のものではないが、まあ仕事の内容は何でも良い。
俺はミアに、日中、家を掃除するよう頼んだ。
俺は朝、砦に出て、夜戻る。
その間、家のなかを掃除してもらうのだ。
もう少し対話が出来るようになったら、洗濯なども頼んでみるつもりだ。
「・・・・・・繋がないんですか・・・?」
そんなことを聞かれたが、繋ぐわけがない。
もっとも、日中ミアをひとりにしてしまうことに
孤独の時間が彼女にとって良かろう筈もない。
とはいえ、まさか砦に連れて行くわけにもいかなかったのだ。
ミアの昼食には、毎日パンや果物をあらかじめ用意したうえで出かけた。
人も魔族も、一日を二食で済ませる者が多いが、俺は三食派だ。騎士団も三食だった。
昼、ミアをひとりで食卓につかせるのはイヤだったが、心身を強くするには食べさせたほうが良いと思った。
そのかわり朝夕の食卓は可能な限りミアと共にするよう努めた。
そして食卓では毎日しつこく話しかけ続けた。
ただ、話しかけるだけでは限界があることも分かっていた。
だから俺は、時に彼女に触れた。
女性にみだりに触れて良い筈はないが、ミアの心を修復するためには、それが必要だと思ったのだ。
しかし、認めざるを得ない事実として俺は厳つい。ミアが威圧感を感じてしまうかもしれなかった。
だからそこに注意しつつ、優しい表情を心がけ、慎重に、ミアの肩や頬に振れた。何かを頼む時や感謝を伝える時、笑顔を見せながら彼女に触れたのだ。
「・・・・・・・・・」
それでもミアは無反応だったが、瞳を上げて俺と目を合わせてはくれた。
その瞳のなかには、ごく僅かながら感情の揺れが見て取れた。
それとハグも試みたが、これは出来なかった。
何か、彼女の恐ろしい記憶を想起させてしまうような気がしたのだ。
彼女のため。彼女を慮って。
そんな一見優しい考え方に逃げて、近づくことを恐れたりはしたくない。
思慮深い男のフリをして、距離が縮まらないことを正当化したりはしない。
そう考えていた。
俺は無能ゆえ辺境に流された男だが、卑怯者ではないつもりだった。
それなのに、ミアに近づいて抱きしめようとした時、それが硝子細工を粉々にしてしまうような錯覚を覚え、動くことが出来なかった。
俺の中にまだまだ課題が山積していることを再認識するのだった。
「・・・・・・おかえりなさいませ・・・」
十数日目、帰宅した俺にミアがそう言った。
一作法として、奴隷商から言い含められていた言葉だと思うが、それでも彼女が自発的に声をかけてくれたことには変わりない。
少しだけ心を開いてくれたのではないだろうか。
「ただいま、ミア」
そう言って俺は、右手で彼女の髪を梳いた。
その直後、しまったと思った。
指に触れたミアの髪は細くたおやかで、品があり、気安く触って良いものではないように感じられたのだ。
身体的なふれあいを心掛けていると言っても、やはり女性の髪は特別だ。
軽率だったかもしれない。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
ミアが俺を見上げている。
「・・・・・・あの・・・?」
「すまない。髪が絹糸のようだなって。ああ、これは褒め言葉で。すごく滑らかだったから。・・・あ、あと黒が艶やかで美しい」
口を突いて出た言葉は本音だった。
その髪は滑らかで、最上の絹糸のようだった。
だがそれを伝えるにも、もっとスマートな言い方がある筈で、客観的に見て今の俺は気持ち悪いだろう。
「・・・・・・ありがとう、ございます・・・」
それでもミアはそう言ってくれた。
上手くいかないものだ。
◆
バラステア砦、司令官室。
編成表に目を落とす俺のもとにエッベがやってきた。
「代理どの、逆侵攻の件ですが」
「またその話か。却下した筈だぞ」
エッベが言うのは、砦の戦力で魔族領に侵攻をかける作戦についてだ。
このところ、バラステア砦の戦況はかなり良い。
魔族の攻撃の尽くを少ない損害ではね返していた。
これを受け、打って出るべしという主張が砦内で湧き上がっていた。
少し前まで苦境にあったことの反動もあるらしく、逆撃の機運が大きく高まっているのだ。
「事実、敵の攻勢はしばらく止んでいます。魔族どもの兵力が減っているのは間違いありません。この機を逃すんですか?」
兵力が減っているのは確かだろう。
しかし、だからと言って勝機とは言えない。
「エッベ、砦の兵は防衛戦力だ。砦があって、それに合わせた用兵があって初めて勝てるんだ。打って出て同じように勝てるものではない」
攻撃は領軍の役目で、砦の兵は防衛のために居るのだ。
戦況が好転しているからと言って、ディフェンスを担当する者たちが嬉々として攻め入って行くなど、愚策の手本でしかない。
「では我がエッベ隊だけで出ます。我が隊は、魔族領へ進撃した経験もありますので」
「敗走する敵を追撃するためだろう。攻め入るのとは違う。数も十分とは言えない」
「アナタは! 砦で防壁に守られていなければ戦えないのですか!」
「いいかエッベ。戦術的な勝利に浮かれ、調子に乗って攻め入り後悔するケースは戦史に珍しくない。その轍を踏むわけにはいかないんだよ。勝っている時こそ兜の緒を締めなければならないんだ」
「ちっ・・・! では、それは良いでしょう。ですがもうひとつ、水源の件、あれはどういうことですか?」
先日、哨戒部隊が魔族領側の森の中に大きな水場を見つけた。
どうやら魔族が水源として利用しているらしく、そこへ毒を流し込む作戦が具申されたのだ。
魔族がその水を汲んで、生活用水にしている形跡もあるらしく、そこへ毒を流せば彼らに甚大な被害を与えることが出来ると言うことだった。
俺はそれを却下したのだ。
「この策は、アナタが来る前にも一度成功した実績があります。我が方にリスクも無い。用いない理由は無い筈ですが」
エッベの目が剣呑な光を帯びる。
「まさか、また、非戦闘員に累を及ぼしてはならないなどと世迷言を言うのではないでしょうね?」
「・・・大地を汚すのは最後の手段だ。同じ大陸に住む以上、我々の大地でもある。勝てている時に
「では、必要とあらばそういう策も用いると?」
「・・・ああ」
「ふん。そういうことにしておきましょう。今はね」
吐き捨てるように言い、背を向けるエッベ。
「エッベ。くれぐれも言っておくが、俺が却下した策を勝手に実行することは決して許さない。次があれば処分の対象とするぞ」
俺は念のために釘を刺した。
以前、エッベは俺が許可しなかった追撃を勝手に実行したことがある。
その時は辺境伯の介入で有耶無耶にされてしまったが、あんなことは二度と許すわけにいかない。
「私も兵士ですので軍命を蔑ろになどしませんよ。しかし何事にも限度や例外はあります。たとえば司令官があまりに無能な場合などね」
「有能なお前は、また辺境伯に泣きつくか? 俺の赴任後、死傷者は激減している。伯もおいそれと俺を排することは出来ない状況だが」
「・・・加護なしが多少戦果を挙げたぐらいで良く言う。いずれ後悔しますよ」
「エッベ。重ねて言うが、逆侵攻も水源への毒も許可しない。分かったと言え」
「はいはい。分かりましたよ代理どの」
そう言ってエッベは立ち去っていった。
その背を見送り、俺は考え込む。
迷いながらでも、すべきと思うことをするしかないのだ。
すべきと信じたことを。
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