41_薄氷

 食料と服を買って官舎に戻ると、少女は清拭を終えていた。

 扉を開けると少女は裸だったが、俺は努めて冷静に服と肌着を渡した。


「これを着てくれ」


 少女に服を着るよう言って、背を向けた。

 そして衣擦れの音が止んでから振り返る。


 少女が着ているのは無地の白いワンピースだ。

 俺には女物の服の良し悪しなど分からないので、無難なものにした。

 だがこの判断は間違っていなかったらしく、魔族特有の薄い褐色の肌に、白が良く映えた。


「似合う」


 簡潔に感想を述べる。

 少女から特に反応は無かった。

 だが、目を合わせてくれた。


 改めて向き合って気づいたが、少女は幼いながら非常に整った顔立ちをしている。薄汚れていた時は分からなかった。


 何とか意志の疎通を図りたく、その目の奥にある感情を探ろうとしていると、少女がゆっくりと口を開いた。


「・・・・・・・・・ミア・・・・・・です」


 彼女の名前だった。

 ミア。

 良い響きの名だ。

 俺は名前を聞けたことと、初めて声を聞けたことを喜びつつ、挨拶をした。


「よろしく、ミア」


 そしてこうなると、俺も名乗るのが当然の礼儀だ。


「ミア、きみは契約魔法を使えると聞いた。だからきみに名を教えてはならないと。だが俺は俺の名を知ってほしいのだが」


 そう言うと、ミアはゆるゆると首を振った。


「・・・ご主人さまの・・・なまえは・・・言わないでください・・・」


 "ご主人さま"か。

 やはり名前で呼んでほしいところだ。


 だが契約魔法を持つ奴隷が主人の名前を知ってしまったら、その奴隷は処分の対象になる。

 王国の奴隷法でそう定められているのだ。

 俺の名を知ることは、ミアのリスクになってしまう。


「まあ、そのへんはおいおい考えていくか」


 とにかく、目を合わせてもらえるし、名前も聞けた。

 前進している。焦らずにいこう。


「それじゃあ夕食にしよう。そこに座って待っててくれ」


 俺が食卓の椅子を指し示すと、ミアはその椅子をしばらく見つめた後、ゆっくりと近づいて座った。

 それを見て満足した俺は、キッチンに向かう。


 ミアの健康状態は万全とは言えない。

 これまでまともな扱いを受けてはいなかっただろう。

 だから今日は胃腸に優しい粥にする。


 市場で良いカボチャを見つけたのだ。

 毎日買っているミルクもある。

 カボチャのミルク粥にしよう。

 こいつはバターたっぷりで作ると実に旨い。


 俺は鍋を出し、調理にとりかかるのだった。


 ◆


 食卓にミルク粥が並ぶ。

 それをミアが感情の無い瞳で見ている。


「ミア、夕食だ」


 俺も座り、ミアに声をかけたが、彼女は動かない。


「ミア。元気をつけるためにも、食事を摂るんだ」


 元気をつけろとは勝手な物言いだっただろうか。

 そんな簡単な話ではないに違いない。

 だが、食べなければ始まらないのだ。

 食べるよう勧めると、ミアがゆっくりとこちらを見て言った。


「・・・夕食・・・。 いまはご主人さまの夕食です・・・」


「俺とミアの夕食だ」


「・・・・・・どうして・・・同じテーブルに・・・?」


 主人と奴隷が同じ食卓についていることに疑問を呈するミア。

 彼女にとっては理に適わない状況であるようだ。

 自分に善意が向けられるわけは無いと信じている。


 だが"どうして"という言葉が出たのは良い傾向だ。

 何かを知りたいと思えるということは、世界への興味が残っているということ。

 つまり、まだ生きる気力がある筈。

 ミアの胸の奥底でほんの僅かに燻っているそれを、慎重に探りだして彼女に自覚させなければならない。


「同じテーブルについているのは、俺たちが友人だからだ」


「・・・わたしは・・・奴隷です・・・」


「俺は廃嫡された貴族家の長男で、近くの砦に務める兵士だ。信じるものは剣。好きなものは書物だな。ミアの好きなものは何だ?」


「・・・・・・・・・・・・」


「いずれ教えてもらうとしよう。さ、食事だ。食べてくれ」


「・・・これ・・・ちゃんとしたごはんです・・・。食べて良いんですか・・・?」


「ああ。熱いから気をつけてな」


 ややあって、ミアはゆっくりとスプーンを手に取り、ミルク粥を口に運んだ。

 そして少しずつ、少しずつ粥を食べる。


 その様子を眺めながら、俺は自問していた。

 俺はなぜ彼女を買ったのか。


 彼女は戦争奴隷だ。

 人間と魔族の戦いの結果、奴隷となった。

 そして俺は魔族と戦う人間だ。

 彼女の境遇に対して、俺に責任の一端があると言える。


 俺は罪滅ぼしをしているつもりなんだろうか。

 戦いを生業とする以上、ミアのような境遇の者たちをどこかに作っていることは分かっていた筈だ。

 実際に目にして初めて、その重さを耐え難く感じていると言うのだろうか。

 だとしたら、俺の正体は覚悟を知らぬ子供でしかない。


 或いは。

 ひょっとして俺は、俺を拒絶した世界を恨んでいて、同じく害意だけを向けられる彼女を救うことで、それを世界への意趣返しにしようとしているのではないだろうか。

 もしそうなら、ミアは俺にとって只の手段ということになる。

 我ながら度し難い話だが、否定しきれるものではなかった。


 緩慢な動作で粥を口に運ぶミアの姿を見ながら、自らに心のうちを問う俺だった。


 ◆


 この家は小ぶりながらも司令官用の官舎だ。

 使ったことは一度もないが、客間もある。

 そこをミアの部屋とした。


「この部屋を使ってくれ」


「・・・・・・・・・?」


 俺の言葉が理解できない様子のミア。

 もう一度伝えてみる。


「ここがミアの部屋だ。寝る時はそのベッドを使うと良い」


「・・・部屋? ・・・部屋は要りません・・・。ベッドも・・・・・・」


「いや、要る」


「・・・・・・でも・・・」


「使ってない部屋だから気にするな。それに誰であれ寝床は必要だ」


「・・・寝床は・・・物置で良いです・・・。外でも・・・」


「俺もだ。野原でも岩場でも眠れる。だが部屋とベッドがあるならそれを使う。ミアもそうしてくれ」


「・・・・・・・・・」


 この沈黙を肯定と受け取って良いのかどうか。

 自分のコミュニケーション能力の無さが今更ながらに悔やまれる。


「どんな職業の者であれ、体を休めるのも仕事のうちだ。寝る時はベッドを使うようにな。それじゃ、何かあったら呼んでくれ」


 そう言って部屋を出る。

 俺は扉を閉め、深く息を吐いた。


 ◆


 翌朝。


「おはよう、ミア」


「・・・おはようございます・・・・・・」


 挨拶を返してくれることに安堵しながら、朝食の準備をする。


「すぐスープが出来るから座ってくれ」


 おとなしく食卓につくミアの前に朝食を並べる。

 パンとスープにイチジク、それとたっぷりのミルクだ。

 そしてミアの向かいに座って言った。


「さあ食べよう。朝食は大事だ」


「・・・・・・・・・」


 ややあって、ミアが口を開く。


「・・・・・・いただきます・・・」


 いまのは、確か魔族特有の習慣だ。

 彼らは、食事の前と後に挨拶をするらしい。

 食材や、それを生産した者への感謝を表しているそうだ。


 王国ではそれを愚かな習慣と評している。

 食材へ感謝していったい何になるというのか、と。

 正直、これまでは俺にも理解の及ばないものだった。


 だが、こうして耳にすれば分かる。

 いまの言葉には、静謐な美しさがあった。

 食材への感謝。良いじゃないか。


「いただきます」


 彼女を真似て言ってみる。

 軽々けいけい余所よその文化を真似るのは下品か?

 でも良い言葉だと思ったのだ。


 向かいで、ミアが不思議そうな顔をしていた。


 それから彼女と共に朝食を摂る。

 会話は無かった。

 俺は沈黙を苦にしないたちだが、どうも座りの悪さを感じる。

 会話で空間を埋めなければならないような焦燥に駆られる。


「・・・朝の果物は素晴らしく体に良い。知ってたか?」


「・・・・・・・・・」


「もっとも、いま食べてるこれは、正確には果実じゃないけどな。イチジクのこの赤い部分は花だ」


「・・・・・・・・・」


「イチジクは房の内側に花弁の無い花を咲かせる。変わったヤツだよ」


「・・・・・・・・・」


 ミアから反応は無い。

 やはり俺の引き出しの無さは深刻だ。

 どんな話ならミアの興味を引けるのか、まるで分からない。


「・・・おかあさんも」


「うん?」


「・・・おかあさんも・・・それ、言ってました。イチジクの花のはなし・・・」


「そうか。会心の豆知識のつもりだったが、母君に先を越されていたか」


 母君は今どこに?

 そう訊く勇気は無かった。

 彼女の家族について訊ける日は来るのだろうか。


 だが、それでも今、半歩だけ。

 半歩だけミアとの距離が縮まった気がした。

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