40_壊れる世界2

 少女が運ばれていった先は人間の国の領都だった。

 奴隷として下げ渡されるまで、枷をかけられて捕虜収容所の牢に閉じ込められるのだ。


 粗末ながら食事は与えられたが、食欲などあろう筈もない。

 だが食べなければ、待っているのは暴力による矯正だった。

 奴隷商からの売り上げは領主に入り、それに応じて兵らへの覚えも良くなる。

 そのため少女は命を奪われはしなかったが、代わりに背を鞭打たれた。


 少女が契約魔法を使えると分かった時、兵士らは激昂した。

 それは商品価値を大幅に下げる要素であったらしい。

 少女は腹を殴りつけられ、嘔吐しながら倒れ伏した。


 少女が食事をもどしたことに更に激昂した兵士らは、腿に松明を押し付けてきた。

 少女が泣き叫び、のたうち回る様を見て、ようやく溜飲が下がったのか、兵士たちは去って行った。

 少女は暗い牢でいつまでも泣きじゃくっていた。


 ただ、兵士には例外も居た。

 見回りに来る者の中に、少女に同情的な者が居たのだ。


「まあ、何だ。姉ちゃんも居ることだしよ。頑張れよ」


 そんなことを言って立ち去る。

 四十歳ぐらいの男だった。


 その男は姉の牢番もしているらしく、少女の方へ来る時は姉の様子も教えてくれた。

 姉もかなり憔悴しているが、食事は摂っているとのことだった。


 この収容所に連れられてきて、姉と引き離され、別の牢に入れられた時、少女にはもはや泣き声をあげる気力は無かったが、その双眸からはぼろぼろと涙が零れ落ちた。


 少女は、一日の大半、姉のことを考えていた。

 姉がこれからどうなるのか、心配で仕方がなかった。

 少女の家族たちが皆そうであったように、少女もまた、自分より家族を思いやる子だった。


 勝手に兵士に話しかけでもすれば、待っているのは暴力のみだったが、姉の牢番もしているというくだんの男は教えてくれるような気がした。

 少女はそう思って意を決し、姉の行く末を聞いた。


 果たして男は、静かに口を開いた。


「おまえと同じだよ。労働力として戦争奴隷にされる」


 それからしばらく押し黙ったあと、男は目を伏せて言った。


「俺の娘もとおの時分から貴族サマんところに奉公に出てんだよ。それから何年も会ってねえ。・・・元気にやってんのかねえ」


 言ったあと、男は立ち去るのだった。


 ◆


 何日か後、少女の売却先が決まったと告げられた。

 数日後に仲買の奴隷商に引き渡すとのことだった。


 それを告げられた日の夜、牢番は例の男だった。


「慰めになるか分かんねえけどよ」


 そう前置きして、男は言った。

 姉の売却先も、少女と同じとのことだった。


 少女は、暗闇の中に少しだけ光が灯るのを感じた。

 毎日痛くて辛くて悲しいけど、姉が居るから耐えられるし、生きていられる。

 自分にたったひとつ残った、最後のよすが

 絶対に失くしたくない、大切な大切な家族。


「おねえちゃん・・・おねえちゃん・・・」


 一緒に居られる喜びに、少女はいつもと違う涙を流した。


「・・・まあ、良かったよな」


 男は鉄格子ごしに、優しく笑うのだった。


 ◆


「おい、煤まみれアルガ! 出ろ!」


 捕まった時、かまどに隠れていて煤だらけだった少女には、煤まみれアルガという渾名がついていた。

 その蔑称を呼ばれ、少女は牢から出される。


 売却される日の朝だった。

 手と足を枷に繋がれ、ぼろきれを纏わされ、裸足で歩いていく。


 兵士たちに鎖を引かれ、収容所の通用口で、奴隷商を待った。

 少女はきょろきょろと辺りを見まわした。

 姉の姿が見えない。


 困惑していると、あの男の姿があった。

 目を合わせ、話しかける。


「あ・・・あの・・・」


「勝手に話すな!」


 鎖を引く兵士が怒声をあげる。


「ああ、良いんだよ。ほら、あの件」


「うん? ああ、あれか」


 男が言うと、鎖を引く兵士が得心したように頷いた。

 それから男は少女の方を向いて言った。


「お姉ちゃんの件だろ?」


「は、はい」


「あそこだよ」


 男が親指で指し示す。

 収容所の隅。

 穴が掘られ、そこに何かが投げ落とされようとしていた。


「あれ墓だよ。ダメになっちゃった捕虜はあそこに埋めるのさ」


 見間違えようも無かった。

 墓標など無いただの穴に、いま投げ落とされようとしているもの。

 それは死体。





 姉の死体だった。





「ちょっと埋葬が遅れたけど、割ととっくに死んだよ。肺炎で弱り切っちゃってさ、どうにもならなかったよ」


「・・・・・・え・・・・え・・・・」


 少女が震えている。


「どうした? 寒いの? ああ、俺が言ってたお姉ちゃんの話? 嘘だよ」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


「余興だよ余興。牢番なんてヒマだからさ。たまに仲間内の遊びでこんなんもやるの」


「はっはっは! いつもながらひでーなオイ!」


「いやしかし素晴らしい演技だったわ。娘のくだりとか、本当に娘が居るみたいだったぜ」


「独身なのにな俺」


「あはははははははははは!」


 兵士たちの笑い声を遠くに聞きながら、少女は姉だったものを見つめる。

 その身体にもう生命が宿っていないことは一目で分かった。

 薄い褐色だった肌はただ黒ずんでおり、体のところどころがぐにゃりと力なく曲がっている。


 姉はいつも優しい笑顔を浮かべていた。

 いつも一緒に遊んでくれた。

 少女の話を、にこにこしながらいつまでも聞いてくれた。

 それが物言わぬ姿になっており、そして。


 暗い穴に投げ入れられた。





「・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・」





 世界が暗転し、少女の心は壊れた。


 ◆


 少女は、仲買の奴隷商に下げ渡された。


 奴隷商には、契約魔法持ちの売却先にあてなど無かった。

 だが彼は商人として力の無い男で、領軍からの強引な下げ渡しを拒否できなかったのだ。

 奴隷商は、契約魔法持ちという不良在庫に頭を抱えることとなった。


「おい、煤まみれアルガ。・・・くそっ、何とか言ったらどうだ」


 ほとんど反応を示さない少女に業を煮やした奴隷商は、少女に度々辛くあたった。

 だがそれは少女にとってどうでも良いことだった。


 下げ渡されて数日ののち、少女は奴隷商に連れられて路地を歩いていた。

 枷に繋がる鎖がじゃらじゃらと音を立てるなか、無言で歩く。


 不意に、一緒に歩いていた犯罪奴隷の男が、枷を外して奴隷商に飛びかかった。


「貴様!」


 奴隷商は短刀を抜いた。

 そしてもみ合いの末、犯罪奴隷の男は腹を刺されて死んだ。


「・・・くそっ!」


 商品を失った奴隷商は苛立ちに地面を蹴る。

 そこへもうひとり男が現れた。

 大きな体をした若い男だった。


 ◆


 男は奴隷商から少女を買った。

 翌日、少女は男の家に居た。


 少女に恐れは無かった。

 これからどれほどの暴力にさらされるのか、どれほど心を嬲られるのか。

 分からないが、どうでも良い。

 もう何も痛まない。


 だが、男は少女に「傷つけない」と言った。

 なにを言っているのだろう。自分は傷つけられるためにここに居るのに。

 少女はそう思った。


 次に男がとった行動は、少女にとって更に理解出来ないものだった。

 男は少女の頬に触れ、ただ待ったのだ。


 世界に少しの興味も無い少女は、当然その男にも興味が無い。

 だから路地裏からここまで、男の顔を見もしなかった。


 だが、何故そうしようと思ったのか自分でも分らなかったが、少女はそろそろと目を上げて男の顔を見た。

 すると男は笑顔を見せ、こちらを見つめ返してきた。


 ややあって、男は部屋を出て行った。

 食べ物と服を買いに行ったらしい。

 なぜ突然食べ物や服が必要になったのか。男には明日着る服が無かったのか。少女にはよく分からなかったが、それもやはりどうでも良かった。


 男はどういうわけか、奴隷である少女を繋ぎもせず出て行った。

 目の前には湯桶があり、清拭をするように言っていた。

 命令であるようだ。


 命令には従うよう、収容所では暴力と共に教え込まれた。

 心は壊れていたが、それは体に刻まれている。

 少女はぼろきれのような服を脱いだ。

 そして男が置いていった手拭いを持ち、のろのろと湯桶に浸けた。

 それで体を拭く。


「・・・・・・」


 湯は暖かかった。

 三か月ぶりの感覚だった。


 暖かい、と言えば。

 男の掌も暖かかったような気がする。

 少女は、さっきまで男がれていた頬を、そっと指で撫でた。


 ◆


 帰宅した男は、少女に無地の白いワンピースと肌着を渡して、後ろを向いた。

 それを着るよう言われたので、少女はもそもそとその服を着た。


 それから男は振り返って、似合うと言った。

 少女には、男が言っていることの意味が良く分からなかった。


 ただ、男の目を見ているうち、少女はいま言うべき言葉を思い出した。

 少女のなかで何が繋がったのか分からないが、伝えるべきことがあると理解したのだ。



「・・・・・・・・・ミア・・・・・・です」



 あまりにもか細く、消え入りそうな声だった。

 それなのに男は訊き返さなかった。

 ただ少女の目を見て、はっきりと言った。


「よろしく、ミア」


 男は、ミアの故郷を襲った人間たちと同じような格好をしていた。

 つまり、戦いを生業とする者だった。


 男がこの先、誰のために何と戦うことになるのか。

 ミアには知る由も無かった。

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