38_諦めた少女

 赴任してきてから三か月が経過した。

 この三か月で死傷者は大幅に減り、バラステア砦はもう、国内有数の死地ではなくなっていた。


 そういった死傷者などの状況は、定期的にストレーム辺境伯へ報告している。

 この日も俺は、報告のため、領都アーベルにある辺境伯の屋敷を訪れていた。


「・・・状況は分かった。引き続き励め」


「心得ました」


 報告はごく短時間で終わり、俺は屋敷を後にする。

 辺境伯は、俺に会う時はいつも表情に不快感を滲ませていた。


 だが砦での戦果は上がっており、被害の減少によって辺境伯の出費も減っている。

 そのため、俺を排除するようなことはなかった。


 中央にせよ辺境伯にせよ、俺を司令官代理に就けることには苛立ちがあった筈だ。

 恐らく、すぐにボロを出すとも思っていたのだろう。

 だが、今のところそうはなっていない。


 気に食わないが便利であるうちは置いておく。そんな方針のようだ。


 まあ、辺境伯とは事務的なやりとりだけで済んでいるからありがたい。

 他の砦の司令官は、その地を治める領主の宴席に招かれたりするらしいが、それもなかなか面倒な話だからな。


 そんなことを考えながら、俺は帰途につく。

 俺の住む官舎も、この領都アーベルにあるのだ。


 官舎と言っても共同住居ではなく、小ぶりな一軒家だ。

 代々の司令官用の官舎であるらしい。

 休職中の司令官が実家に戻っているため、その官舎は俺に宛がわれたのだ。


 かなり古い家だが、第五騎士団では大部屋住まいだったので、それよりだいぶ環境が良くなっている。

 追放されて暮らし向きが上がるというのも妙な話だ。


 だがこの日、その家への帰路となる大通りが封鎖されていた。

 なんでも火事があって、消火活動のために交通を制限しているらしい。


 だから、普段は使わない路地に入ったのは、まったくの偶然だった。


 ◆


 その道を少し歩くと、短刀を持った中年の男に出くわした。

 短刀は血で濡れている。

 そしてその男の足元では、若い男が血の海に倒れていた。

 倒れた男の足首には入れ墨が入っている。


「・・・その男は犯罪奴隷か?」


「ああ。見てのとおりだよ。枷を外して、俺の武器を奪おうとしたんだ。仕方なかった。俺も大損害だよ」


 短刀を拭いて鞘に納めながら、中年の男は答えた。

 どうやら奴隷商のようだ。


「・・・なんだ? こいつは二人も殺してるんだ。極悪人だぞ」


 奴隷商がそう言った。

 俺の表情が非難がましいものになっていたのかもしれない。


 王国は労働力としての奴隷を認めている。

 だが認められるのは犯罪奴隷と戦争奴隷だけだ。


 犯罪奴隷とは、重罪を犯したが死罪にはならなかった者が堕ちる先。

 奴隷商が言うとおり、この死んでいる男は悪人だったのだろう。


「別に非難しちゃいない。ただ・・・そっちのも極悪人なのか?」


 奴隷商はもうひとり奴隷を連れていた。

 俺はその奴隷を指さして訊いてみた。


「見りゃわかるだろ。戦争奴隷だぞ。悪の極み、いや、善悪以前の問題じゃないか」


 戦争奴隷とは、戦争によって捕えた魔族を奴隷としたものだ。

 俺が指さす先で枷に繋がれているのは魔族だった。

 戦場以外で目にするのは初めてだ。


 それは少女だった。


 砦での辺境伯との口論を思い出す。

 俺は認めることが出来ないが、人類国家の常識として、魔族は非戦闘員であっても攻撃の対象であり、捕虜にも出来る。


 そしてこの少女はまさにそれで、どう見ても戦闘員ではない。

 十歳から十二歳ぐらいではないだろうか。


 ただただ地面を見つめており、その琥珀色アンバーの瞳は、まるで何も映していないかのようだった。

 薄い褐色の肌に、ぼろきれのような服を一枚だけ纏っており、長い黒髪は薄汚れている。


 少女は、すべてを諦めたように佇んでいた。


「随分と幼いようだが」


「・・・? だからなんだ? 魔族だぞ?」


「・・・・・・ああ、そうだな」


 もう一度少女を見やる。

 彼女は何も反応しない。

 枷をかけられた裸足で石畳に立ち、ただ黙って俯いているだけだった。


「陰気なもんだろ? 買い手がつきそうもないぜ。煤まみれアルガは」


煤まみれアルガ?」


「こいつのあだ名だよ。捕えた時、かまどに隠れてて全身煤だらけだったんだと」


 煤まみれアルガか・・・。

 不思議な因縁を感じる話だ。





「彼女を買う」





 自分でも想像していなかった言葉が、口をついて出た。

 奴隷を買うことなど考えたことも無かったのだが。


「え、本当か?」


「ああ」


 俺は何故こんなことを言っているのだろうか。

 同情や憐みだろうか?

 理不尽に対する反抗だろうか?


 それとも、自分と同じように皆から蔑まれる者への同調だろうか?

 あるいは、戦いに携わる者のひとりとして、戦争奴隷の存在に責任を感じているのだろうか。


「百二十万ルゴル。出せるか?」


「出せる」


 そのぐらいなら大丈夫だ。

 騎士団では、薄給とは言え金をまるで使わない生活をしていたし、こっちに赴任してからも給金は殆ど貯めこむばかりだったからな。


「あー・・・だがな。売る前に言っておかないとならない事があるんだ。こいつには名前を教えるな」


「なぜだ?」


「こいつ、契約魔法を使えるんだよ。攻撃魔法を持ってるヤツは奴隷に出来ないが、契約魔法はその限りじゃないからな。でも危ないことには変わりないぜ」


 そういうことか。

 奴隷を買い上げるには、魔法による隷属契約を結ばなければならない。

 王国の奴隷法でそう定められている。


 だが、契約魔法を持つ者は、契約相手の名前さえ分かれば、その契約の内容を書き換えることが出来るのだ。

 したがって名を知られたら、逆に契約で縛られてしまうかもしれない、ということになる。


「それでも良いか?」


「ああ、かまわない」


 奴隷商の顔がぱあっと明るくなった。


「いやあ、あっちのに死なれて大損害と思ってたが、契約魔法持ちがあっさり売れるなんてツイてる。ものごと帳尻が合うように出来てんなあ」


 そう言って、奴隷商は少女に目を向けた。


「おい煤まみれアルガ、お前売れたぞ。良かったな」


「・・・・・・」


「ちっ、最後までだんまりかよ」


「それで彼女の名前は?」


「わからん。煤まみれアルガとしか呼んでなかったからな。あんたもそれで不便しないと思うが、他の名前が良ければ適当に付けなよ」


 奴隷商がそんなことを言う間も、少女はまったく動かなかった。


 ◆


 翌日、俺は支払いや魔法による隷属契約等の手続きを済ませた。

 隷属契約の魔法は奴隷商が施した。

 契約を割愛できないか聞いてみたが、奴隷法により不可とのことだった。


 そして今、俺は官舎で少女と向かい合っている。

 椅子を差し出したが座ろうとせず、少女はただ無言で立ち尽くしている。

 だから俺は正面に膝をついて目の高さを合わせ、名を訊いてみた。


「名前は?」


「・・・・・・」


 少女は答えない。

 ただ、諦めた目で床を見つめている。


「名前はあとにしよう。まずは体を綺麗にするか」


 俺はそう言い、湯を沸かした。

 そしてそれを湯桶に満たし、少女の前に置く。

 それから少女の前に再度膝をついて話しかけた。


「こっちに手拭いを置いておく。清拭してくれ。分かるな?」


「・・・・・・」


「俺はきみを傷つけない。奴隷を買う男がそんなことを言っても信じられないかもしれないが、本当だ」


「・・・・・・」


 意思の疎通を図るが、やはり少女は応えない。

 感情を失った目で床を見つめるのみだ。

 もう一度語り掛ける。


「・・・傷つけない。本当だよ」


 俺は同じ内容のセリフを繰り返していた。

 自分の語彙の貧弱さに呆れる。

 どんな言葉なら少女の心に届くのか、皆目見当がつかなかった。


 我ながら無力だ。

 どうすれば良いのだろう。

 戦場ならただ行動するのみだったが、今は言葉が必要なのだ。


 いや、そうか。行動か。

 行動で意思を示してみるべきだろうか?

 どうせ気の利いた言葉など吐けぬ無骨者だ。


 俺は心を決め、慎重に、細心の注意を払って、ゆっくりと手を伸ばした。

 触れたら粉々に壊れてしまいそうにも見える少女の姿。

 だが触れ合うのを恐れていたら、相手を理解できる日は来ないだろう。


 そっと・・・掌で少女の頬に触れた。

 一瞬、少女の瞳が揺れた気がした。


 生命を放棄したかのように見えた少女だが、その頬はたしかに暖かかった。

 そのまま言葉を捨て、ただ待つ。

 俺たちの息遣いだけが聞こえる。


 どれほどそうしていただろうか。

 少女の目が、ゆっくりと、本当にゆっくりとこちらを向いた。

 やっと目を合わせてくれた。


 俺はそのまま無言で少女の目を見つめる。

 少し口角を上げて笑って見せるが、上手く出来ているか自信が無い。

 笑顔は苦手だ。


 琥珀色アンバーの眼が俺を見ている。

 大きくて美しい、だが未来を映していない悲しい眼。

 その眼をじっと見て、自分の視線に思いを込める。

 俺はきみを傷つけはしない、と。

 伝わってほしいと願いながら。


 しばらくそうしていた。

 それからゆっくりと手を放す。


「食べ物と服を買ってくる。きみは清拭しててくれ」


 そう言って、俺は部屋を出るのだった。


 ◆


 店への道すがら、考えていた。

 何かに突き動かされるように彼女を買ってしまったが、俺は一体どうしたいのだろうか。

 あの少女に何かしてやれると、本気で思ったのだろうか。


 人に未来を与えることが、この俺に出来るのか?

 剣しか能の無いこの俺に。


「・・・とは言え、まあ、やってみるしかないか」


 あの時、あの路地で、すべてを捨てているように見える少女に会った時。

 立ち去るという選択肢は俺には無かった。


 辛い身の上にある戦争奴隷は、他にもごまんといるだろう。

 彼女だけを救って何が変わるわけでもない。

 この行動は、きっと欺瞞以外の何物でもない。


 だが、こうするべきだと思ったのだ。

 こうしたかったのだ。


「先行きが分からない者同士、仲良く出来れば良いんだが」


 俺はそんなあやふやな希望を乗せた声を、空に溶かすのだった。

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