第二部
35_追放
追放と言っても、放り出しておしまいというわけではない。
国軍たる騎士団だ。
団員を追い出すにも、踏襲するべきルールや手順がある。
俺は騎士団から籍を失い、従卒でもなくなるが、王国の兵のひとりではあるのだ。
追放されていく先は戦場になる。
そして騎士が身分を失って追放されて行く先は、慣例上、辺境と決まっている。
俺は騎士ではないが、やはり遠く辺境へ向かわされるだろう。
どこの辺境かは分からない。
俺を追放する先は、いま検討されているのだ。
その間、俺は十日間の謹慎を言い渡されていた。
謹慎と言っても自室など無いので、書庫で一日を過ごした。
本部棟の外には出ないよう命じられていたが、早朝と夜の素振りは休みたくなかったので、その時は棟外に出た。
追放処分となって気が大きくなったのか、俺は遠慮なくルールを破っていた。
だが幸い誰にも見咎められることは無く、俺も結構運が良いな、などと思うのだった。
「いや、冤罪で追放される時点で運が良い筈もないか」
そんなことを
ストレーム辺境伯領のバラステア砦とのことだった。
有名な砦だ。
死傷者が極めて多い激戦区として知られている。
最も危険な戦場のひとつと言えた。
バラステア砦は、ストレーム辺境伯が中央の支援を受け、領兵で運用している。
騎士団は居ない。
騎士団で見てきたものとは、まったく違う文化があることだろう。
新しい環境へ向けて、身が引き締まる思いだった。
正直なところ、この十日間のあいだ、胸が苦しかった。
エミリーとの別離は、自分が思ったよりも更に濃い影を俺の心に落としていたのだ。
決断を後悔はしないが、苦しいものは苦しい。
物心がついた時から共にあった人であり、本来俺が幸せにしなければならなかった
簡単に割り切れるほど、心ってやつはシンプルに出来ていないらしい。
だが進むしかないのだ。
誰にも曲げられない厳然たる事実として、人間には現在と未来しか無い。
具体的な行き先が決まったことだし、気持ちを切り替えなければ。
赴く先は死地なのだ。
下を向いたままではいられない。
◆
追放処分が執行される日の朝。
空は見事なまでの晴天だった。
まるで俺の旅立ちを祝福するかのようだ。
だとすれば、天候を司る神はたぶん頭が悪い。
追放される者の門出を祝っても仕方ないからな。
第五騎士団本部の正門前に俺は居た。
目の前には幹部がふたり。
面倒そうな顔をしているが、処分の執行には幹部が立ち会わなければならないのだ。
五年前、この門を入ってきた時は、こういうかたちで出ていくことになるとは思わなかった。
人生なにがあるか分からない。
驚きのある人生を送れていることに感謝しておこう、とは強がり過ぎか?
「バラステア砦との調整は済んでいる。行って書状を渡せ」
「向こうでまた追放されぬよう、今度はまともに働けよ。まあ、加護なしではそうもいかんだろうが」
そう言ってさっさと俺を追い出そうとする幹部たち。
当然、俺には馬など与えられない。
徒歩で街まで行き、そこから乗り合い馬車を使うのだ。
まあ、さして問題ない。荷物も殆ど無いしな。
腰の剣と少しの食料、あとは昔から使ってる飲み水用の革袋ぐらいだ。
そこに蹄の音。
馬に乗ったエミリーが、何人かの幹部を伴って現れた。
追放が決まったあの日以来、十日ぶりに見るエミリーの姿だった。
「団長、わざわざ加護なしの処分を確認しに?」
「・・・ええ、まあね」
幹部の問いに答え、馬上から俺を見下ろすエミリー。
数秒、目を合わせ、そして俺は背を向けた。
「それでは」
「・・・・・・」
ごく簡潔にそう言って、俺は門を出る。
エミリーからの言葉は無かった。
こうして俺は、第五騎士団を追放された。
◆
ストレーム辺境伯領は遠かった。
そりゃそうだ。辺境だからな。
乗合馬車を何台も乗りつぎ、辺境伯領に入った時は、第五騎士団を出てから七日が過ぎていた。
さらにそこから丸一日歩き、ようやく俺は目的地に辿り着く。
バラステア砦。
魔族領に隣接する辺境に建てられた砦。
騎士団本部のような豪華な石造りではなく、木造だ。
そこかしこが破損しており、激戦の様子が窺える。
砦の外、魔族領側には険しい山と森が広がっている。
この地方では、その地形上の制約で、魔族領から王国領に攻め入ることが出来る地点は一か所しかない。逆も然りだ。
バラステア砦は、その地点に建てられている。
ここを抜かれれば、この領の執政機能を有する領都アーベルがすぐそこなのだ。
辺境伯も領都アーベルに居る。
当然、領都にも防壁や防衛戦力はあるが、それでもこの砦は絶対落とされてはならない。
だから魔族の攻撃も激しく、この砦は数年前から激戦区として知られていた。
領都から出る辺境伯の軍が時々砦を通過して魔族領に攻め入るが、それとは違って砦に駐留する戦力は、あくまで砦の防衛を任務としている。その身を盾にして砦を死守するのだ。
そんな砦が俺の新たな任地だった。
「ここに赴任するロルフ・バックマンだ。副司令官に取り次いでほしい」
「ああ、聞いてます。どうぞこちらへ」
門の前にいた兵士に話しかけると、砦の内部へ導き入れてくれた。
彼についていった先では、男がひとり待っていた。
「副司令官のエッベです。長旅ご苦労さまでした」
彼はそう名乗った。
三十歳ぐらいの、痩せぎすの男だ。
「ロルフ・バックマンだ。よろしく頼む」
「どうも司令官どの。まあ、せいぜい頑張ってくださいよ」
エッベはいかにも迷惑そうに言った。
「正確には司令官代理だ」
俺はこの砦の司令官代理に任じられていたのだ。
ここに居るのは領兵で、騎士団と直接的には関係ない。
だが、砦は事実上、騎士団の下部組織だ。
中央と密接に繋がっている騎士団に対し、砦の兵力は、あくまでその砦がある領地の兵士だ。
そして王国の軍事の中心である騎士団は、中央を通して各地の砦の運営に口出しできる。人事権も持っているのだ。
この砦の司令官が持病で休職中だったということもあり、エミリーは俺を司令官代理にしたのだった。
意図するところは分かる。
この激戦区で、俺が戦場に出ればたちまち死ぬと思ったのだろう。
砦に居る兵士は皆、平民だ。
騎士団に所属していた貴族ということであれば、司令官代理に就けるのも可能だったというわけだ。
騎士団に居たと言っても終始従卒だったし、貴族と言っても廃嫡済みだが。
しかしそれでも、騎士団から来た貴族であることは間違いなかった。
エミリーは、その一事をもって俺をこのポストに就かせたのだ。
追放された先で要職の代理に就くというのも妙な話だった。
またエミリーが幹部たちの反発を買っていなければ良いが、まあこれで最後だ。
もう彼女が、俺の扱いに私心ありと疑われることは無い。
だがエミリーは、これで中央に借りを作ってしまっただろうな。
俺のために。
ともあれ、要衝の司令官代理に新参を、それも追放されてきた者を宛がわれたのでは、副司令官エッベの態度が刺々しいのも当然だった。
「エッベ、司令官の体調は?」
「いまだ復調の兆し無し。良かったですね。それより代理どの、お聞きしても良いですか?」
「ああ」
「どうして騎士団を追放されたんですか?」
エッベはニヤニヤと笑っていた。
「知っているんだろう?」
「いやあ、馬を逃がして追放なんて、にわかには信じられなくて。横領やら背信やらではなく、馬って。馬に逃げられて追放って。・・・くくく。そんな人ほかに居ます?」
「さあな」
楽しそうに笑うエッベ。
口角が大きく吊りあがっている。
「代理どのは騎士団では従卒だったそうですね」
「そうだ」
「騎士団にはどれぐらい居たんですか? 半年ぐらいですか?」
「五年だ」
「ん? 五年? 五年と仰いました?」
「俺の経歴は伝わっている筈だろう」
「いやあ、しかし、五年。五年って。五年も従卒を? いったい何でです?」
エッベは顔中に愉悦の笑みを浮かべている。
感情が表情に出やすい男のようだ。
「それも知ってのとおりだ」
「アナタの口から教えてくださいよ。ねえ、ほら。ほんと、教えてくださいって」
くつくつと笑うエッベ。
「お願いですよ。五年も従卒をやれる秘訣を知りたいんです。このとおり! 頼みます! 代理どの!」
エッベは芝居がかったしぐさで両手を胸の前で合わせ、祈るポーズを見せた。
顔はずっと笑っていたが。
「エッベ、俺への軽侮は別に良い。だが仕事はきちんとしてもらうぞ」
「ははははは! 面白い! "仕事はきちんとしてもらうぞ"!」
エッベはげらげらと笑いだす。
「大丈夫ですよ代理どの! 世の中、貴方より仕事のできる人間ばかりですから!」
そう言って、エッベはいつまでも笑っていた。
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