31_享楽の貴族2

 階段を昇った先では、縛り付けられたさっきの衛兵を、別の衛兵が見つけたところだった。交代要員だろう。


「し、侵入者か!?」


 衛兵は、俺を見るや否や、腰の剣を抜いた。

 同時に俺も階段を駆け上がり、自らの剣を抜く。


 ここは剣を振る空間に乏しい隠し部屋だ。

 衛兵は剣を振り上げるのに一瞬難儀した。

 その刹那、俺は狭い空間のぎりぎり一杯まで刃を走らせて剣を振り抜く。


 ────ひゅっ


 風切り音のあと、衛兵の親指が宙を舞い、握られていた剣が手から落ちた。


「へっ!?」


 間抜けな声をあげる衛兵の顔をつかみ、壁に叩きつける。

 衛兵はあっさり昏倒して倒れ伏した。


「えっ・・・なに今の? あんた、そんな剣をどこで・・・?」


「? ふつうの鉄剣だが」


「いや・・・そうじゃなくて。 あ、今はそれどころじゃないか」


 よく分からないことを言うフリーダに衛兵の剣を渡し、隠し部屋を出た。

 それから、入ってきたドアに近づいて外の様子を窺う。


「今度の女は・・・で・・・」


「・・・ケネト様が飽きたら・・・あの傭兵・・・」


 ドアの向こうから話し声が聞こえる。

 最低六人の声が聞こえるが、正確な人数は測れない。

 魔法を使ってくる奴が居たら厳しいし、アイナとカロラを連れて押し通るのはリスクが高そうだ。


「ここからは出られない。他の道を探そう」


「すまんが、あたしたちにも屋敷の構造は分からない。どうやってここを出る?」


「外から見る限り、屋敷の前面は衛兵の詰所があって敵だらけだった。側面から出るのが良いだろう。西側に馬留めと小さな門があったからそこを目指す。意見は?」


「それで良い。ただ一階を移動するのは危険だと思う。二階に上がって窓から西側に降りるべきだろうな」


「に、二階だと安全なんですか?」


「カロラ、安全というわけではないが、俺とフリーダが貴女たちを守る。子爵はたぶん上階に身分の低いものを立ち入らせたがらないタイプの貴族だ。二階の方が手薄ではあるだろう」


「そういうこと」


 俺たちは頷きあい、廊下の様子を窺ってから部屋の外へ出る。

 そして東端の階段から二階へ上がった。

 俺が先頭でフリーダが殿しんがりだ。


 二階へ上がって最初の曲がり角を覗き込むと、向こうから衛兵がひとり歩いて来ていた。

 後続の三人に止まるよう合図し、壁に背をつけて衛兵が近づくのを待つ。


 アイナとカロラの表情が緊張と恐怖に強張っている。

 その二人の肩を順に優しく叩き、静かに微笑んで頷くフリーダ。

 大丈夫だよ、と表情で伝えている。

 彼女自身も恐ろしい目にあっただろうに、たいした女性だ。


 衛兵が曲がり角に差し掛かったところで胸ぐらを掴み、角に引き込む。

 そして遠心力を効かせて壁に頭部を叩きつけた。


「がっ・・・!?」


 その一撃で気を失う衛兵。


「鮮やかだね」


「運が良かった。ところで二階に居たのはやはり高位の衛兵だったな」


「ああ、こいつ生意気にマントとケープなんかしてるね」


 これが一番必要だったんだ。

 その辺の部屋に入ってカーテンなんか取ってたら、外にバレる可能性があったからな。


 俺は衛兵からマントとケープを奪い、それぞれアイナとカロラに渡した。


「あ、ありがとうございます」


「ありがとう・・・ロルフさん」


 二人がそれを裸体に巻く。

 剣を使わずに衛兵を倒せて良かった。

 恐怖の記憶が色濃いこの二人に、血に濡れた布を纏わせるわけにはいかない。


「よし、進むぞ。静かにな」


 衛兵を縛って物陰に押し込んだあと、再び慎重に廊下を進んでいく。

 目論見どおり、二階は警備が手薄だ。さっきの男以外に衛兵を見かけない。

 俺たちは、そのまま首尾よく西端の部屋の前に辿り着くことが出来た。


 だが最後まで都合よくいくものではない。

 部屋の中には人が居た。

 薄く開いた扉から話し声が聞こえてくる。


「それでパパ、メルネス家の使者は第五騎士団の本部に行ってるんだよね?」


「昨日着いてるはずだ。結婚式の日取りも本人に伝わってるよ」


 振り向いて、フリーダたちを見る。

 アイナとカロラの表情は恐怖に青ざめており、フリーダはただ頷いた。

 声の主はアールベック子爵と、その長男ケネトで間違いない。


「楽しみだなあ。騎士団長だよ? ちょっとやそっとじゃ死なないよね?」


「エミリー・メルネスと言えば、ティセリウスに次ぐとさえ評される騎士だからな。ゴドリカ鉱山の奪還で名望を得たが、強さの方も本物だ。雷光のごとき魔法剣は有名だぞ」


「そんな女が! ふくくっ・・・! ボクの所有物に!」


「妻なんだからな。壊すなとは言わんが、長持ちさせなきゃいかんぞ」


「ふふ。パパに言われたくないけどね。でも両手足を切るのは譲れないな。肘と膝から下で切って、犬にするんだ。牢じゃなくて犬小屋で飼おうと思ってね」


「ふむ、悪くないな」


 怒りに湧く血が、頭に昇っていくのを感じる。

 いけない。ここは戦場だ。冷静さを失えば負ける。


 深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 そして心を落ち着かせ、扉の隙間から慎重に部屋を覗きこむ。


 執務卓に子爵が座っており、手前にケネトが居る。

 部屋にはその二人のみ。衛兵は居ない。


 ならば避ける理由も無い。

 踏み込んで身柄を確保してしまうべきだろう。


 フリーダにも部屋を確認させ、頷きあう。

 意志はしっかりと疎通できていた。

 俺が奥の子爵を、フリーダがケネトをやる。

 ハンドサインでそれを伝えると、フリーダは再びしっかりと頷いた。


 二人で扉の両サイドにつき、剣を握りしめる。

 目線で最後の意思確認を行った後、俺が扉を思い切り開ける。


「むっ?」


 子爵が短い声を上げた時、俺はすでにケネトの横を通り過ぎ、執務卓のうえに蹴り上がっていた。

 そして剣の柄を子爵の顔面に叩きつける。


「がっ!?」


 椅子ごと仰向けに倒れる子爵。

 その横に降り立ち、剣の切っ先を喉元に突き付ける。


 同時に、フリーダの剣がケネトの左腕を捉えていた。


「ぎゃあっ!?」


 捕縛を目的とした斬撃は手加減されたものだったが、その鋭さには目を見張るものがあった。

 腕を数センチ切られただけのケネトは悲鳴を上げてたたらを踏む。


 フリーダは剣の勢いのまま、体を滑らせるようにケネトへ肉薄した。

 細身で体重が軽いことを活かした、見事な体捌たいさばきだ。

 そしてケネトの膝へ踵を蹴り入れる。


「ひぐぁぁっ!!」


 たぶん膝蓋骨しつがいこつが割れただろう。

 ケネトは情けない声をあげ、尻もちをつく。

 そしてその鼻先に、フリーダの剣が突き付けられた。


「ひ・・・お前ら、なん、なんだよお! どうしてここに! おもちゃのくせに! ボクのおもちゃのくせに!」


 フリーダの顔に憤激の朱が差す。

 この期に及んでケネトから発せられる尊厳を解さぬ言葉が、フリーダの心を怒りに染めたのだ。

 それは隙以外の何物でもなかった。

 フリーダは一瞬、たしかに判断力を失ってしまった。


 ケネトは、それを狙ったわけではなかったのだろう。

 泣き叫んで自分を楽しませるだけのおもちゃが抵抗するなんて、理に適わない。

 そういうバカげた感情からの言葉が口をついて出たに過ぎなかった。


 ケネトが右手で懐から出した短刀も、戦うためのものなどではない。

 抵抗しないおもちゃを切り刻むためだけのものだ。


 だが、両目を涙で満たし、情けない悲鳴を上げながら振り上げた短刀は、たまたま出来たフリーダの一瞬の隙を、たまたま突いたのだった。


 凶刃がフリーダの脇腹へと吸い込まれていく。


 ────どん


 音が響いた。

 短刀がフリーダに突き刺さる直前、扉から踊りこんだアイナとカロラが、二人がかりでケネトに体当たりをしたのだ。


 その音で我に返ったフリーダは、再度剣を振るう。


「うわぎゃぁぁぁぁぁ!!」


 ケネトの片耳が宙を舞った。

 そして泣き叫ぶケネトに改めて剣を突き付け、静かに言うフリーダ。


「だまれ」


「ひっ・・・ひっ・・・」


 扉を開けて十秒ほど。

 攻防は終わり、父子の制圧は完了した。

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