30_享楽の貴族1
その後、マリアと共に書庫で貴族年鑑を調べた。
するとアールベック子爵が妻を五人も亡くしていることが分かった。
いずれも"事故死"だ。
どうやら父子の毒牙がエミリーに向く可能性は高い。
それでなくともアールベック家にエミリーを行かせること自体論外だが、やはり対処が必要ということだ。
だが彼女にすべてを伝えて婚約を取り消すのは悪手だ。
証拠もなく婚約解消を申し出れば、エミリーのメルネス家は貴族社会において回復不可能な痛手を負うことになる。
そうなれば家のために団長の責を全うし続けたエミリーの苦労が水泡に帰す。
「そうですね・・・私もそう思います」
マリアが俺の考えを首肯する。
方針は決まった。
確たる証拠を掴んで告発するしかない。
その告発自体、メルネス家とは無関係に行われなければならない。
だから俺は秘密裏に動く必要があるのだ。
エミリーの結婚が秒読みとなっている以上、果断即決だ。
ちょうど今日と明日、従卒の仕事は休みだし、訓練も休んでしまおう。
「マリア、俺は今夜のうちにアールベック領へ向かう」
「わかりました。私は今夜はここに泊まり、明日メルネス家へ戻ります」
「重ねて言うが、この件はエミリーには言うなよ」
「はいロルフ様。どうかお気をつけて」
マリアの声を背に、俺は発つのだった。
◆
アールベック子爵領は、第五騎士団本部のあるノルデン侯爵領に隣接している。
俺はそこを目指して馬を走らせた。
予想していたことではあるが、子爵領へ入る街道には関所があった。
本来関所を置くのは、伯爵以上のそれも一部だけだが、やはりアールベック家には秘匿したいことがあるのだ。
時間が惜しかったが、街道から外れて
幸い今夜は月が明るく、夜を徹して移動することができた。
その結果、翌日の昼ごろにはアールベック領に到着していた。
町で聞き込みをしたところ、子爵の屋敷は町から少し離れた場所にあることが分かった。
すぐにそこへ向かう。
しばらく行くと、少し先に大きな貴族屋敷が見えた。
あれが子爵の屋敷だろう。
丘の上に登り、屋敷を観察する。
やはり正門前には衛兵が居た。
屋敷に入ってアールベック父子の無体の証拠を掴むのが最も手っ取り早いが、どうやって侵入するかが問題だ。
裏側に回ってみるか?
思索しつつ周囲を見まわしていると、遠くから数台の馬車が来るのが見えた。
いずれも幌をかぶった荷台付きの馬車だ。子爵家への物資の納入だろうか。
あれを使おう。
馬を降り、高台から馬車の列に近づいた。
何かで彼らの気を引きたい。
陽動に使えそうなものが無いか周囲を探し、大きな倒木を見つけた。
これが良いだろう。
倒木を転がし、高台から街道を臨む地点に設置する。
そして彼らが下に差し掛かった時、その眼前に倒木を落とした。
馬車の護衛が声をあげる。
敵襲か罠かと騒いでいるようだ。
俺はその隙に反対側から高台を降り、素早く車列の背後に移動した。
護衛たちの注意は前方に向いている。
ちらりと馬車の一台に視線を向けて荷台を確認したが、載っているのは食品の類のようだ。
"通常の"納品だな。
ここで証拠を確保できるかもと思ったが、そうもいかないようだ。
だが、荷が重要なものではないためか護衛はさほど多くなく、彼らの注意が前方に向いている隙に、俺は簡単に馬車に近づくことが出来た。
荷の中に隠れたいところだが、荷台は屋敷に入る際にチェックされるだろう。
仕方ないので馬車の底部に潜り込んで車軸にしがみついた。
かなりキツイ体勢だが耐えるしかない。
その後、周囲に敵は無く、倒木が偶然だと判断した護衛たちは、再び前進を始めた。
俺は揺れる馬車の底でじっと車軸にしがみついていた。
◆
「よし、検品は完了だ。荷をいつものように運び入れろ」
「わかりました」
馬車は無事に子爵邸に到着した。
いまは隊商の人間が衛兵と会話している。
これから荷を搬入するようだ。
荷運びのなかで人の目が途切れるタイミングを計り、俺は馬車の底から這い出た。
そして近くの入り口から邸内に侵入する。
「さて・・・」
子爵父子の犯罪の証拠を挙げるためには、それが行われている場所を押さえたい。
まさか帳簿の類があるはずも無いしな。
現在囚われている者が居るなら、救出して証言してもらいたいところだ。
そう思って注意深く行動を開始したが、違和感に気づいた。
いま俺が居るのは館の東端の部屋だが、さっき丘の上から見た館の外観と内部が違う。
外から見る限り、建物はこの先にまだ三メートルほど続いていたが、内部はここで壁になっている。
壁を良く調べると、小さなくぼみがあった。
「くぼみと言うか、これは取っ手だな」
取っ手に手をかけ、横に引っ張る。
壁は引き戸のように開き、その先に空間があった。
「ん? もう交代か?」
「ちがう」
そこに居た衛兵が顔を上げながら寝ぼけたことを言ったので、顎先を横から殴りつけた。
激しく脳を揺さぶられ、かくんと膝を折って倒れる衛兵。
俺は彼のベルトを奪って素早く縛り付け、猿轡を噛ませた。
「・・・! ・・・!」
そして声を上げられない彼から鍵束を奪い、その先にあった扉を開錠する。
扉の先には地下への階段が続いていた。
「ちっ」
降りた先の光景は酸鼻を極めるものだった。
これを探しに来たのに、実際に見つけると舌打ちしてしまう。
血痕の散らばる石造りの床に置かれた様々な拷問具。
棚には数々の刃物や針、それに鞭。
壁の一面は鉄格子になっており、その向こうには裸の女たちがいた。
「ひっ・・・!」
俺が鉄格子に近づくと、女たちは短い悲鳴をあげて後ずさる。
女は三人。皆、身体中に痛ましい傷を負っていた。
「落ち着いてくれ。助けに来たんだ」
そう言って、鉄格子の鍵を開ける。
「あっ・・・! あぁっ!」
だが、女たちは出ようとしない。
仕方なく中に入って彼女らに近づく。
「あぁぁ! や、やめ、いやぁ!」
女は悲鳴をあげて暴れ出した。
滅茶苦茶に振り回す腕が俺の顔を打つ。
「たのむ。落ち着いてくれ。俺は
「ああぁぁぁ!」
言葉をかけるが彼女には通じない。
一刻も早く彼女たちを連れ出したいが、無理に手を引けばきっと彼女を壊してしまう。
俺は顔を打たれるまま、彼女の目を見つめ、再度言葉をかけた。
「俺はロルフという。貴女たちをここに閉じ込めているアールベック子爵の犯罪を暴くために来た。だが貴女たちを助けるのはそのためだけじゃない。貴女たちに、待つ人たちの元へ帰ってほしいからだ」
「あ・・・あ・・・ 」
「家族は居るか? 友人や、他に誰か待っている人は? 少なくとも俺は、貴女たちに生きて帰ってほしい」
「・・・・・・」
「アイナ、落ち着きな。そいつは子爵の兵じゃないよ。格好が全然ちがうだろ?」
牢の隅にいた女が歩み出てくる。
肩までかかる橙色の髪を持った女性だ。
美しく大きな瞳と、しなやかな細身の体は猫を思わせた。
「なかなか堂々とハダカを凝視してくるね」
「すまない。立ち振る舞いが特徴的だったんでな。貴女は剣を振る職業の人だろう?」
「ああ。あたしはフリーダ。傭兵だよ。官憲の依頼で子爵の犯罪の証拠を探しに来たんだけど、逆に捕まってこのザマでね。ロルフと言ったね? あんたを信用するよ」
「ありがとう。官憲が動いてるなら話は早い。脱出しよう。そちらはアイナと・・・」
「カ、カロラです。アイナ、この人は子爵の仲間じゃないよ。落ち着いて?」
もうひとりの女、カロラが、暴れていたアイナに声をかける。
「あ・・・う、うん。私・・・ご、ごめんなさい」
「貴女には謝るべきことなんか何も無い。さあ、ここを出よう。悪いけど俺に回復魔法の心得は無い。傷の具合はどうだ? 歩けるか?」
「あたしは大丈夫」
「私も歩けます。アイナは?」
「だ、大丈夫です」
三人とも身体中に傷があって衰弱もしているが、歩くには問題ないようだ。
俺は頷いて牢を出た。
階段を上る時、牢とは反対側の壁にある大きな棚に、夥しい数の頭骨が並んでいるのが目についた。
「子爵親子の犠牲者たちだよ」
フリーダが悔しそうに言う。
居並ぶ頭骨の眼孔が、無念さを伝えてくるようだ。
俺は歯噛みして階段に向かった。
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