29_訪問者

 ゴドリカ鉱山の奪還から二年。入団から五年が過ぎていた。

 俺は未だエミリーの従卒だった。

 エミリーは叙任の候補者に俺を入れてくれているようだが、ノルデン侯爵が認めないらしい。


 よって剣の訓練と従卒の仕事に精を出す俺の日々は変わらない。

 だが周囲は変わっていた。

 ゴドリカ鉱山の鉱床は予想より更に大きく、銀の装備は全騎士団員に行き渡ったのだ。従卒についても、俺以外の者には銀の装備が与えられている。


 したがって、騎士団に所属するすべての人間のうち、俺だけが銀を身に纏っていない。魔力の無い者に銀の装備を支給しても意味が無いからだ。

 他の全員が美しい装備に身を包んでいる状況では、俺のみすぼらしさが際立った。


「お、煤まみれアルガ。次の剣術訓練は俺とやろうぜ」


 そう言って剣を向けてくる騎士たち。

 そして毎回俺は完膚なきまでに叩きのめされるのだった。


「おい煤まみれアルガ、剣片付けとけよ」


煤まみれアルガさん、こっちの片付けもお願いします」


 ふたつめの台詞は一年目の従卒のものだ。

 以前は一般騎士相手なら剣術訓練では勝てていたが、全員が銀の装備を持つ現状では、俺はもう誰にも勝てない。


 以前暖炉を掃除した時についた"煤まみれアルガ"というあだ名もすっかり定着し、俺はもはや、従卒たちからも軽侮を向けられることになっていた。

 エミリーは団員間の差別意識を戒めようとし、異例なことに差別を禁じる下知すら出したが、効果は無かった。


 もっとも、騎士たちにも日々を謳歌する余裕は無かった。

 王国の軍拡が進むと同時に、戦場もより近くなり、騎士団はゴドリカ以前に比べ、ずっと多くの戦闘に参加していたのだ。


「ヴィクトルのやつ、一昨日の戦闘で右足を斬られたってよ」


「聞いたよ。膝から下をバッサリ持ってかれたってな」


「まあルーカスみたいに心臓をぶち抜かれるよりマシだ」


 そんな会話が食堂から聞こえてくる。

 軍拡によって騎士団は、より多くのより苛烈な戦場に駆り出されていた。

 皆の顔には、常に疲弊が貼りつくようになった。


 騎士団の予算が大幅に増え、入団者がかなり増加したため団員は減っていないが、各騎士団とも死傷者の数は鉱山奪還前に比べて大きく増していた。


 ゴドリカ鉱山で多くの戦死者を出した件を経て、第五騎士団内の編成計画も塩梅するよう中央から指示があったらしく、貴族の子女は特に危険な戦闘からは遠ざけられている。


 だがそれでも戦闘の数自体が多く、もはや第五騎士団も、貴族が安全にキャリアを作る場所ではなくなっていた。

 いや、渡河作戦のあたりから、すでに戦火の広がりはその兆しを見せていたのだ。

 今日では、一年を通して戦場に出ない時期は無かった。


 結果、騎士団員たちはその顔に、常に強い疲弊を貼りつかせることになったのだ。

 そしてその鬱憤を晴らすかのように、訓練で加護なしを叩きのめすのだった。


「戦えもしないお前が! 一番弱いお前が! なんでのうのうと生き残ってるんだよ! サムエルは死んだってのによ!」


 そう言って俺を打ち据える騎士。

 先の戦闘で友人をうしなったらしい。

 友を亡くした憤りを俺にぶつけることで精神の安定を図っているようだった。


「くそが!」


 そう叫び、倒れ伏す俺の背に蹴りを入れる。

 それと同時に、正午の鐘が鳴った。


「午前の訓練はこれまで。各自昼食とせよ」


 教官を務める騎兵部隊の総隊長の号令で、皆ぞろぞろと引き上げていく。


「おい煤まみれアルガ、弱いなりに訓練の役に立つぐらいのことはしろ。そうやってすぐに倒れていてはゴミほどの価値も無いぞ」


 そう言うと、教官も立ち去る。

 あとにはボロきれのように横臥する俺が残された。


 ◆


 ある日の午後、俺は意外な訪問者を迎えた。

 マリアという女の子で、彼女はエミリーの実家、メルネス家の侍女だ。

 俺は第五騎士団本部の食堂の隅で、彼女と向き合っていた。


「お久しゅうございます、ロルフ様」


 こんなふうに丁寧に話しかけられるのは久しぶりで、少しばかり調子が狂う。


「久しぶりだなマリア。幾つになった?」


「十四になりました」


 立ち振る舞いは大人のそれだが、顔には幼さが残る。

 彼女は幼い頃からエミリーに仕えているため、侍女になってそれなりの年月を過ごしているが、歳のうえではまだ子供だった。


 彼女を最後に見たのは、第五騎士団への出立の日だ。

 旅立つエミリーの手をとって別れを惜しむ姿を覚えている。

 彼女はエミリーを心から慕い、エミリーもまた彼女を大いに可愛がっていたのだ。


「今日はどうしたんだ?」


「メルネス家からの使者に付いてきました。使者はいまエミリー様と面会しています」


「そうか、婚約の件だな」


「・・・はい」


 ここ数日、エミリーの様子がおかしかった。

 口数が少なく、どこか塞ぎ込んでいるようだった。

 さらに私室にこもって一人で執務にあたりたいという理由で、俺は従卒の仕事を二日ばかり休むよう命じられていたのだ。


 そこへ実家からの使者とくれば、婚約の件であろうと予想はつく。

 婚約者のアールベック子爵家長男ケネトは、確か今年で十六歳だ。

 そろそろ時が来たということだろう。


 かつての婚約者が、ついに他の誰かに嫁ぐ。

 胸の奥がじくりと痛むのを感じた。


「エミリーを祝うため、わざわざ使者に付いてきたのか? マリアは相変わらず主人思いだな」


「恐れ入ります、ロルフ様。ですが私は、ロルフ様にお願いがあって参ったのです」


「俺に?」


 マリアはしばらく言い淀んだのち、意を決したように口を開いた。


「・・・エミリー様をアールベック子爵家に嫁がせてはなりません」


「どういうことだ?」


 突拍子の無いマリアの言葉に問い返す。

 だが彼女は下を向いて押し黙っていた。少し震えている。

 主人の婚姻に口を出すどころか、"嫁がせてはならない"とは尋常ではない。

 覚悟の要る台詞だっただろう。

 俺は無理に先を促さず、マリアが口を開くのを待った。


「・・・八年前」


「うん」


「私は、このノルデン侯爵領で暮らしていました。しかし両親を早くに亡くし、叔父の元に引き取られたのです」


「そうか・・・」


「叔父は毎日お酒を飲んでは、あちこちに借金を作っている人でした」


「・・・・・・」


「ある日、私たちの家に来客がありました。面体めんていの怖い人たちで、叔父と激しく口論していました」


「良くない筋の者たちだったのか?」


「はい。どうやら彼らは借金取りでした。そして"借金のカタにこいつをもらっていく"と言って、わ、私をかどわかしたのです。叔父はその時殺されました・・・」


 マリアの言葉が震える。

 彼女は今、思い出したくもない光景を思い出し、それを俺に伝えているのだ。


「私は窓の無い場所に監禁されました。昼夜が分かりませんでしたが、たぶん三日ぐらい閉じ込められていたと・・・思います。私のほかにもふたり・・・三十歳ぐらいと二十歳ぐらいの女性が・・・い、居ました」


 マリアの言葉に嗚咽が混じる。

 だが俺は、辛いことを話さなくて良いとは言わなかった。

 彼女は覚悟を持って俺に伝えるべきことを伝えに来たのだ。

 黙って聞くよりほかに無い。


「そ、それから・・・身なりの良い男がふたり、私たちのもとに現れました。おそらく三十代の男と・・・私より少し年上ぐらいの少年でした」


 少年とはな・・・。

 怖気をふるう話だ。


「か、彼らは・・・私たちを見て・・・い、言いました」


 ───おお、やはり歳が行ってるのは腰つきが良い。楽しめそうだ。


 ───じゃあパパ、向こうのふたりはボクにちょうだい?


 ───いや、小さいのは俺がもらう。


 ───ん、まあいいか。どうせ小さいのはすぐ死んじゃうし。


 ───そっちのもすぐに殺すんじゃないぞ?


 ───でも切るのは楽しいからなあ・・・。


 ───切り刻むのは最後にしろと言ってるだろう。大事に使えば一年はもつぞ。


 マリアは細かい状況を鮮明に説明した。

 恐怖とともに刷り込まれた記憶は薄れることが無かったのだろう。

 父子の下卑た笑い声が聞こえてくるようだった。


「私たちは繋がれたまま馬車に乗せられました。私はずっと震えていました・・・」


「・・・・・・」


「その馬車が、山道でドロールハウンドの群れに襲撃されたんです。そして慌てた男たちは、私をドロールハウンドに向けて放り投げました。"餌だ"と言って。私を囮にして逃げたんです」


 努めて冷静に聞いていたつもりだが、気が付けば俺は両手を握りしめていた。


「遠ざかる馬車を見ながら、私はドロールハウンドに食べられて終わるのだと思いました。でもそうはなりませんでした。突然ヒュージボアが現れ、ドロールハウンドたちに襲いかかったんです。逆に捕食対象になったドロールハウンドたちは、ヒュージボアに追われて逃げ去りました」


「・・・・・・」


「そのあと、私は通りかかった隊商に助けられました。でも、その後の捜査でも、その父子や、他の女性たちの所在は分かりませんでした」


 分からなかったのか、どうすることも出来なかったのか。

 許し難いが、後者である気がする。

 その身なりの良い顧客は、それだけのムチャができる身分なのだから。


「その後、遺児に貴族家や商家の職を与えるという保護政策で、私はメルネス家の侍女になったのです」


「そうか・・・」


「エミリー様は私に優しくしてくださいました。私は姉のように思っています。そして先日、そのエミリー様の婚約相手が、父である子爵とともにメルネス家を訪れた時、私は息が止まるかと思いました」


「そのふたりなんだな・・・? 間違いなく」


「はい。アールベック子爵と、その長男であり、エミリー様の婚約者であるケネトは、間違いなくあの父子でした」


 悪夢のような話だ。

 いや、マリアは悪夢より酷薄な現実に見舞われている。

 悪夢という言葉で表しきれるものじゃない。


「それを誰かに言ったか? メルネス男爵には?」


「いえ、誰にも言っておりません。この婚姻を絶対に破談にできない旦那様・・・メルネス男爵は、八年前の私の記憶を元にした訴えなど、聞き入れてはくださらないでしょう」


「それに、当時六歳だった者の記憶をもとに子爵を告発することなど、そもそも不可能、か」


「はい。おっしゃる通りです。ロルフ様は、そんな頼りない記憶を信じてくださいますか?」


「ああ」


「そ、そうですか・・・ありがとうございます」


 即答する俺に面食らうマリア。

 きょう初めて見せる子供らしい表情だった。


「マリア、今の話は誰にもするな。主人への隠し事を強いることになって済まないが、エミリーにも言ってはダメだ。俺に預けろ」


「分かりました。私を信じてくださったロルフ様を、私も信じます」


 信じます、か。

 嬉しい言葉だ。

 蔑まれる日々を送ることになって初めて、人から与えられる信頼がいかに貴重なものなのかが分かった。


 この信頼に必ず答える。

 俺はそう決意するのだった。

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