26_坑道にて3

「オイ、なんか道ちがくねーか? この状況で迷ったらシャレになんねーぞ」


「落ち着けラケル。道は合ってる」


 巨牛の魔獣がいつ背後の闇から躍りかかってくるか分からない状況で、俺たちは足早に出口を目指す。

 ラケルが愚痴をこぼすのも仕方ない。坑道はかなり複雑な構造になっている。

 上下の階層移動が多く、俺たちは既に崖を下りる前、カトブレパスと会敵した地点より上の層に来ていた。


 そのうえ・・・。


「地図に無い道がいくつかあります。そのせいで道が違っているように見えるんでしょう」


「ロルフ、地図が間違ってるってこと?」


「はい。軍議でイェルド様も言っていましたが、四十年前の坑道展開は急激なもので、計画性を欠いていたのだと思います。そのため地図に反映されていない道があるんです」


 帰還した分隊からそういう報告は上がってなかったが、いずれも自分のルートの踏破に腐心したため、それ以外の道については注意を払わなかったのだろう。


「はぁ・・・。出口までの道のりは合ってるんですよね?」


「シーラ、そこは心配いらない。既に、帰還した第八分隊が辿ったルートに入ってるからな」


 そのイェルドの言葉を嘲笑うように、害意が魔獣の鳴き声という形をとって背後から訪れる。


「・・・ゴォアァァァァァァ・・・・・・!」


「ちっ! 追いついてきやがったか」


「エミリー姉さん、この先で開けた場所に出ます!」


「そこで迎え撃つしかないわね」


 俺たちは、覚悟を決めて広場に出た。


 ◆


 広場に陣取り、エミリーの指示で皆が隊列を組む。


 カトブレパスが出てくる出口の周りにエミリー、イェルド、フェリシアが待機し、三方から攻撃して怯ませる。

 そしてその隙をついて、シーラの支援魔法で強化されたラケルが戦鎚を叩き込むのだ。


「斬撃の効果が薄い以上、ラケルが頼りよ」


「まかせろ! ありったけの魔力をねじ込んでやる!」


 各自が配置につき、呼吸を整える。

 悔しいが俺にできることは無い。後方で待機だ。


 通路の先から、巨牛の吐息が聞こえる。

 皆の額を緊張の汗が伝う。


 エミリーが剣に雷を、イェルドが炎を纏わせる。

 シーラがラケルに筋力強化の支援魔法をかける。


 荒々しい吐息が近づいてきた。

 すぐそこまで来ている。

 フェリシアが杖をかまえ、ラケルが戦鎚を握りしめた。


 次の瞬間、カトブレパスが広場に姿を現した。

 焦って飛びかかるような愚を犯す者はここには居ない。

 奴の巨体が完全に広場に入るまで、十分に引き付ける。

 引き付けて、引き付けて、そしてカトブレパスが広場内に完全に侵入した瞬間、一斉に三人が飛びかかった。


『雷光閃』ジャンクチュアエッジ!」


『白炎剣』アニヒレイション!」


『氷礫』フロストグラベル!」


 エミリーとイェルドが、それぞれ左右の前脚に全力の斬撃を振るい、フェリシアが正面から氷のつぶてを降らせる。


「グゴォアッ!」


 第五騎士団の最高戦力に数えられる彼らの攻撃を一身に受け、さしものカトブレパスも怯む。

 その隙を見逃さず、ラケルが飛びかかった。


「うぉらあぁ!!」


 ────ごきん。


 およそ生物の体から鳴るとは思えない音が響いた。

 銀の戦鎚がカトブレパスの眉間に叩き込まれた音だ。


「グォッ・・・・・・!」


「おおおおぉぉおおおぉぉ!!」


 そしてそのまま、ラケルは何度も戦鎚を振り下ろす。

 どかどかと激しい音が鳴り響いた。


「ガッ・・・! ゴフォウッ・・・!」


 カトブレパスが蹲る。

 それを見て、とどめとばかりにラケルが戦鎚を振りかぶった。


 だが、次の瞬間、ヤツの目が爛々と輝いていることに皆が気づいた。

 蹲ったのではない。身を低くしたのだ。

 それは突進攻撃の予備動作だった。


「ラケル!」


 エミリーが切迫した声をあげる。

 それと同時に地を蹴るカトブレパス。

 そして巨体からは考えられない、矢のような速度で正面のラケルに襲いかかった。


「ちぃっ!」


「くっ!」


 ギリギリで躱すラケル。

 後ろにいたフェリシアも回避が間に合った。


「ガゴアアアァァァァ!!」


 そのまま俺の方へ突進してくるカトブレパス。


「っ!」


 横に跳んで躱すが、カトブレパスは方向転換して、また突進してくる。


『火球』ファイアボール!」


 フェリシアが放った魔法がカトブレパスに直撃した。

 だが、ヤツはそれを意に介さず執拗に俺を狙う。

 魔力の無い者から先に片付けようとでもいうのだろうか。


 ほんの数秒の攻防ののち、俺は追い詰められた。

 俺たちがこの広場へ入ってきた通路の反対側にあった下層への崖。

 そのきわへ立たされていたのだ。


「ロルフ!」


 エミリーが駆け寄ってくるが、当然カトブレパスの方が速い。

 恐ろしい圧力で俺に突進してくる。


「ぐぅっ!」


 すさまじい衝撃。

 角こそ躱したが、強烈な頭突きを見舞われた。

 ガードした腕ごとへし折りそうな威力のそれに、俺は崖へと投げ出される。

 そしてそのまま、カトブレパスもろとも下層へ落下した。


「兄さま!」


 二十メートルほどだろうか。

 崖の壁面を転がりながら、俺は下層へ落ちていった。


「ぐぁっ!」


 壁面から、下層の地面に転がり落ちる。

 そのまま何かにぶつかって止まった。


「はっ・・・はっ・・・!」


 呼吸がままならない。

 だがすぐに立ち上がらなければならない。


 壁面に手をつきながら何とか立ち上がり、あたりを見回した。

 俺が転がり落ちた場所の横には、更に下層へ繋がる穴が開いていた。

 その穴の向こうから、カトブレパスが俺を睨みつけている。

 ヤツは、ここより更に下層へ落ちたのだ。


「フゥッ・・・! フゥッ・・・!」


 カトブレパスは、下層から爛々とした目でしばらく俺を見上げたのち、その場を後にした。

 俺が居るこの場所へ向かったのだろう。


「ロルフ! ロルフー!」


 崖の上から、エミリーが叫ぶ声が聞こえる。

 返事をしようとしたが、まだ呼吸がままならず、声が出ない。


「はっ・・・かはっ・・・」


 もうすぐカトブレパスが、下層から上がってここに来る。

 ヤツは、一度敵と定めたものには執念深く付きまとうようだ。


 それまでに対策を練らなければならない。

 どうにか精神を落ち着かせ、あたりを見回す。


 傍らにトロッコがあった。

 さっき落ちてきた時にぶつかったのはこれだったのだ。


「がはっ! はっ・・・はぁっ・・・」


 呼吸がままならない。

 全身のいたるところがずきずきと痛む。

 胸をおさえ、どうにか呼吸を整えようと試みる。


 ヤツはどうやら坑道を熟知している。

 頭の良い獣だ。迷わずここへ来るだろう。

 それまでどれぐらいかかる?


 分からないが、とにかく急いで策を考えなければならない。

 このトロッコに乗って逃げるか?

 いや、どこにだよ?

 ダメだ、思考が定まらない。


「はぁっ・・・! はぁっ・・・!」


 全身の痛みを無視して無理やり大きく呼吸し、脳に酸素を送る。

 そして周囲を見まわす。


 何か使えそうなものは無いか?

 利用できそうな地形は無いか?

 何か考えなければ、次こそ角に突き刺されて死ぬ。


 改めて見回すと、ここがひらけた場所であることが分かった。

 少し離れた場所に、騎士の遺体が何体か横たわっている。

 どうやらここは南側の第三区画だ。

 あの、ひとり帰還した男がカトブレパスと交戦した場所だった。


 見たところ、この広場からの出口は三つある。

 地図では、この区画に伸びる通路は二本しか無かったが、実際は三本のようだ。

 一番左の通路が、地図に無かった。

 その通路の前に、長さ八十センチほどの木でできた直方体が落ちている。

 あれは・・・吹子ふいごだ。


「はぁ・・・はぁ・・・」


 脳は、体から送られてくる痛みという信号を処理するのに忙しかった。

 だから意識から痛みを追い出す。

 そして状況を打開するための思考に脳のリソースをすべて投入するのだ。


 足元を見て周囲を把握する。

 俺が居る地点は高台になっており、緩やかな坂が広場に繋がっていた。

 トロッコのレールはその坂に敷かれている。

 どうやら高台から鉱石を下ろすためのトロッコのようだ。


 トロッコは坂の上部に配置され、レールのレバーで留められている。

 レバーを引けば、トロッコは坂を下りてすぐに走り出すようだ。

 四十年分の錆びが車輪を止めなければだが。


 さらに、レールが痛んでいる箇所がある。

 走らせたところで脱輪するだろう。


「はぁ・・・はぁ・・・」


 もう一度、呼吸を整える。

 俺はカトブレパスの体当たりを喰らったうえ、二十メートルの高さから崖を転がり落ちた。だが生きている。

 浅くない負傷を負ったようだが、体は動く。

 まだツキはあるってことだ。


 注意を新たに周囲を見まわすと、銀鉱石が散らばっていることに気づいた。

 ひとつを手に取る。


 こうして見ると、綺麗なものだ。

 銀は華美なばかりであまり美しくないと思っていたが、鉱石の中からちらりと覗く銀には得も言われぬ美しさがある。


 鉱物に好事家が多いのも頷ける。


「ひとつ、貰っておくか・・・。別に構わないだろう」


 これなんか尖っててカッコいい。

 銀鉱石をひとつ拝借し、懐に入れた。


 どうやら思考が落ち着いてきた。

 いや、落ち着き過ぎか?

 こんなことをしてる場合じゃないな。


 気を取り直し、銀鉱石を片っ端からトロッコに放り込む。

 トロッコには既に中ほどまで銀鉱石が積まれていたため、すぐに満杯になった。


「ふぅ・・・。よし、こんなものだろう」


「ゴハァッ、ゴハァッ」


 俺の言葉に呼応するように、カトブレパスの吐息が聞こえた。

 すぐそこまで来ている。

 俺はレールのレバーに手をかける。


「さあ・・・来いよ」


 掌がじっとりと汗に濡れる。

 緊張に鼓動が高まる。


 そしてカトブレパスが現れ、その視線に俺を捕えた瞬間。

 俺はレバーを引いた。


 銀鉱石を満載したトロッコが坂を下りて走り出した。

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