27_坑道にて4

 たしか銀の比重は一立方センチあたり十グラムちょいだ。

 トロッコの幅が目算で百センチ、長さが百五十センチ、高さが八十センチで、容積百二十万立方センチ。

 そこに銀鉱石を詰め込んだ。


 鉱石への銀の含有率は見たところ三割ほどだった。

 他の鉱山に比べたら相当に高い含有率だ。

 あとは詰め込んだ銀鉱石の隙間や、鉱石自体の重さも考えて・・・。


「三トンってところか?」


 十分だろう。

 運動エネルギーというものは計算できるものではないと聞いたことがあるが、トロッコはかなり高速になっている。

 衝突の加重は十トンを超えるはずだ。


 がらがらと車輪の音を響かせながら、トロッコがカトブレパスに襲いかかる。

 俺へ向けて坂を駆け上がろうとしていたカトブレパスは、突如高速で迫りくる鋼鉄の箱に虚を突かれたようだった。


 だがヤツは賢い。

 トロッコが何なのかを知っているようだった。

 鋼鉄の箱がレールの上しか走れないことを理解した動きで、簡単に躱してしまう。


「グフォ、グフォ」


 そして俺の方を見て、嗤うように鳴き声をあげた。

 いや、実際嗤っている。

 勝ちを確信して愉悦に浸っているのだ。

 魔獣の生態に興味が尽きない。


「まあ、驕れる生き物が人間以外にも居ると知れて良かったよ」


 そう言って、俺はカトブレパスに向けて走り出す。

 トロッコがヤツを仕留めてくれれば最良だったが、たぶんBプランになるだろうとは思っていた。

 この場合"バカげたプラン"でBプランだが、他に手が無かったのだから仕方ない。


 カトブレパスの後方、トロッコが坂を下りきる。

 下りきった地点、急カーブする場所で、線路が特に錆びて痛んでいた。そこに過積載だ。


 がしゃん、と大きな音がする。


 当然の帰結として、トロッコが脱輪したのだ。


 そのまま、銀鉱石を満載したトロッコが岩肌に激突する。

 けたたましい激突音のあと、地響きのような音がこだましてくる。


 軍議でエミリーは言った。

 南側の第三区画は崩落の危険性きわめて大。

 よって戦闘行為は厳禁だと。


「!?」


 襲い来る振動に、カトブレパスが一瞬混乱する。

 その横を俺が走り抜けた。

 この広場にはアレがある。

 俺はその地点を目指して全力で走った。


 俺を再び捕捉せんと振り返るカトブレパスの目に、落下する岩石群が映る。

 岩石群は、さっきまでこの広場の天井だったものだ。



 ────すさまじい崩落音が響いた。



 どかどかと岩石が降りそそぎ、広場全体を埋め尽くす。

 直径二メートルほどの巨岩がカトブレパスの背中を直撃した。

 カトブレパスは声を上げることも出来ずくずおれ、岩々にその巨体を埋められていく。


 間断のない轟音と振動。

 ここに居る者すべてをし殺すべく、岩石の雨が降り続ける。

 有無を言わさぬ無機物の群れが、生命を踏み潰す。


 崩落はしばらく続いた。


 ◆


「ロルフ! どこなの! ロルフ!」


「兄さま!」


 岩が敷き詰められた広場に、エミリーとフェリシアの声が響く。

 カトブレパスが通れるほどに大きい通路の入り口は、岩に塞がれなかったようだ。

 梟鶴部隊の面々も含め、皆が通路から広場に入ってくる。


「ロルフ!お願い!返事して!」


 全身にのしかかる岩石の重さに肺をされ、声が出ない。

 まずはここから出なければ。

 横たわる体に力をこめ、岩をおしのけて起き上がる。


「ロルフ!」


 俺は大盾の下から這い出して立ち上がった。

 大盾はかなりへこんでいたが、持ちこたえてくれたようだ。


「でくの坊、お前、その大盾の下に避難したのか。よくそんなものが都合よく落ちてたな」


「加護が無い者の身にも、時には幸運が訪れるということでしょう。カトブレパスが崩落に巻き込まれたのも僥倖でした」


「ふん、おおかた崩落自体、加護なしが狙って引き起こしたのだろう。大盾への避難も策に織り込んだうえでな」


 感想を口にする梟鶴部隊の面々。

 イェルドが苦々しい顔で言った言葉が正解だった。


 あの、ひとり生き残って帰還した男。

 エルベルデ河でも相棒だった大盾を放棄したという彼の言葉どおり、それはこの広場に転がっていた。

 俺はその大盾で、降りそそぐ岩石群を凌いだのだ。


 カトブレパスに直撃したような巨岩が落ちてきたらヤバかったが、幸いそれは無かった。

 シーラが言ったとおり、運が良かったのだろう。


 そんなことを考えていた瞬間、俺の背筋を殺気が突き刺した。


「あの、兄さま、ケガは」


「来るな!」


 俺は近づこうとするフェリシアを咄嗟に制止する。

 直後、少し離れた場所で岩が持ち上がる。


 ────そしてその下から、カトブレパスが姿を現した。


「ゴファッ・・・! ゴファッ・・・!」


 息を荒げる魔牛。

 その怒りに満ちた視線は俺だけを射抜いている。

 そしてそのまま、驚愕の表情を浮かべる五人には目もくれず俺に突進した。


「くっ!」


 さすがに負傷していると見えてカトブレパスの動きは鈍い。

 地を埋め尽くす岩で足場が悪くなっていることもあり、巨牛の突進には先ほどまでの力は無く、なんとか躱すことが出来た。


 だがこのままでは手詰まりだ。

 エミリーたちの集中攻撃でも、巨岩の直撃でも倒せなかったカトブレパスをどう倒す?


 活路を求めて周囲を見まわす。

 ひとつの通路が目に入った。

 さっき吹子ふいごが落ちていた通路だ。


「ロルフ!」


「皆、こっちに来ないでください! ヤツの狙いは俺です!」


 そう叫び、Cプランに向けて走り出す。

 途端、体のあちこちがずきりと激しく痛んだ。

 もはや痛まぬ箇所が無いため気づかなかったが、何か所か骨が折れているようだ。


「くっ!」


 だが動かなければ死ぬ。

 どうにか足を動かし、猛追してくる魔獣の気配を背後に感じながら、通路に走りこむ。


「ガファッ! ガファッ!」


 荒い息をすぐ後ろに感じる。

 次の瞬間にも巨大な角で背中を刺し貫かれるかもしれない恐怖を押し殺しながら、通路を走った。

 全身が痛みに悲鳴をあげるが、それを無視して暗い通路を進む。


 鉱石の採掘において、最も重要な問題のひとつが地下水の処理だ。

 吹子があったということは、まさにこの先で水が湧いている可能性がある。

 もしそうなら、四十年放置された結果、水は溜まっているはずだ。

 そこにヤツを誘い込む。


「!」


 地面が無くなっていることに気づき、その直前で立ち止まる。

 また崖だ。

 眼下には地底湖よろしく水が溜まっている。


 どうやら予想どおりだったようだ。

 暗いが、水深もかなりあるように見える。


 振り返ってヤツを見据える。

 殺意の塊となった手負いの魔牛が、俺に向けて突進していた。

 暗がりのなか、その体躯を改めて観察する。


 骨と筋繊維だけで構成されているのではないかと錯覚しそうになる体。

 斬撃を通さず、ラケルの戦鎚や巨岩の直撃にも耐えた、鋼のようなその巨躯。


 泳げるようには見えない。


 南方に住む河馬という獣は水に沈むそうだ。

 肺を持つ生物でも、比重が高ければ水に浮かない。

 ヤツもそれなんじゃないかと俺は思ったのだ。


「よし・・・来いよ」


 覚悟を決め、深く息を吐いて身構える。

 俺もヤツも、もうぼろぼろだ。

 これが最後の攻防になるだろう。


 あと十メートル・・・五メートル・・・二メートル・・・!


 ヤツが俺の体に接触する直前、両手でその角を掴みながら、うしろに跳ぶ。

 そのまま空中に投げ出される俺とカトブレパス。


「ぐぅっ!」


 手負いとはいえ、その突進の圧力はすさまじく、両腕に強い衝撃が走る。

 ついで、全身がばらばらになるほどの痛みが襲い来る。

 だが、腹を刺し貫かれることはどうにか避け、そのまま水面に落下していった。


 ───ばしゃん、と人間と魔獣が水を打ちつける音が響く。


 手を振りほどかれ、一瞬、平衡感覚を失うが、すぐに持ち直して水中でヤツを探す。

 カトブレパスは真横に居た。

 そしてゆっくりと沈んでいく。


 やはりヤツは浮かない。

 予想したとおりの展開を引き当て、俺は安堵する。


 それがマズかった。

 戦場で心を安堵に委ねるという愚挙。

 夥しい数の屍を踏み越えてきたカトブレパスという魔獣が、その隙を見逃す筈はなかった。


 左の足首に激痛が走る。

 足に巨大な歯が食い込んでいた。

 カトブレパスが最後の力を振り絞って食らいついている。


「ごぼっ・・・!」


 俺はそのまま、水中深くへ引きずり込まれていく。

 ヤツももはや満身創痍で、噛みつく力は弱々しい。

 本来の力だったら、人間の足など一息に食いちぎるだろう。


 だがヤツにとってはそれで良いのだ。

 食いちぎることより、水底に引きずり込むことが重要なのだろう。

 このまま勝たせはしない、お前だけ生き延びさせはしない。

 そんな意を孕んだ灼熱の敵意を両眼に込め、俺を睨みつける。


 暗い水中で爛々と輝く魔獣の両眼。

 絶対に殺すという意思をはちきれんばかりに詰め込んだ赤い両眼。

 心の強くない人間だったら、見ただけで恐慌状態に陥ってしまうであろうその禍々しい眼に、鉱石が突き刺さった。


「ゴフゥアッ・・・!?」


 肺に残った最後の空気を吐き出し、口を放すカトブレパス。

 目に突き立てたのは、トロッコに積む時にひとつ拝借した銀鉱石だ。

 それに片目を潰されたヤツの巨体がゆっくりと沈んでいく。


 ヤツは水底に向かう間も、ひとつ残った方の眼で俺を見据え続けた。

 そして俺も、沈みゆくカトブレパスから視線を外さなかった。


 あの魔獣は幾人もの騎士を殺した。

 まちがいなく敵だ。

 だが闖入者はこちらなのだ。恨むのは筋違いというもの。


 それどころか、最後まで戦おうとするあの執念には感じ入るものがあった。

 ヤツはどんな状況になっても抗い続けた。

 あの巨体の隅々にまで戦う意思を漲らせ、それは最後まで萎えなかった。


 人々とは相容れず、獣に敬意のようなものを抱くに至った俺は、この時どんな表情をしていただろう。

 ヤツが濁った水の向こうに消えるのを見届けたあと、俺は思い出したように水面に上がるのだった。

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