22_昔日に囚われて

 渡河作戦から一年、入団から三年が経過した。


 タリアン団長は退団して子爵家を継いだ。

 副団長も、次期当主だった兄が急逝したため領地に戻った。


 結果、団長となったのは梟鶴部隊の隊長、すなわちエミリーだ。

 十八歳という若さでの団長就任は異例だった。


 "白光"の梟鶴部隊隊長の存在は中央にも知れ渡っていた。

 また、彼女は第五騎士団内部でも畏敬を集めていた。

 エルベルデ河で、渡河部隊を守るためにティセリウス団長と肩を並べ、雷撃を纏う剣を振るって敵をなぎ倒したエミリー。

 その姿は騎士たちの目に焼き付いており、声望は確固たるものになっていた。


 エミリーの後任として梟鶴部隊の隊長にはイェルドが就いた。


 それからフェリシアは、第一から第三まである魔導部隊の総隊長となっていた。

 彼女の魔法の才能はまさに非凡で、今や第五騎士団最強の魔導士だった。


 そして俺は、まだ従卒をやっている。

 変わらずエミリーの従卒だ。

 隊長の従卒から団長の従卒になったのだから、出世ではあるかもしれないな。


 日々は変わらぬままだ。

 剣を振って、馬を引いて、装備を手入れして、掃除して、剣を振る。


 いま俺は団長室を掃除している。

 エミリーは、横に団旗が飾られた革張りの椅子に座り、手元の紙束に目を通していた。

 最近は、どこか堂々とした立ち振る舞いになってきたようだ。

 立場が人を育てる、というやつかもしれない。


「ロルフ、見て。今度の作戦計画よ」


 エミリーが、どこか誇らしげな表情で紙束を差し出してくる。

 作戦計画書のようだ。


「それは俺が見て良いものなんですか?」


「構わないわ」


 受け取って目を落とすと、そこには"ゴドリカ鉱山奪還作戦 計画書"と書かれていた。

 この第五騎士団本部があるノルデン侯爵領、その南部にあるゴドリカ鉱山は、大きな鉱脈を持つことで知られているが、久しく魔獣に占拠されている。

 その鉱山を奪還する作戦であるようだ。


 ページをる。

 かなり大規模な作戦だ。

 ここしばらく、エミリーは従卒おれを立ち入らせずに、遅くまで幹部たちと会議を繰り返していた。

 従卒に見せられない、秘匿性のある会議はままあるが、どうやらこれを作っていたようだ。


 現在、鉱山の脅威レベルが下がっており、第五騎士団の兵力で魔獣の掃討が十分に可能であるということの説明から始まり、計画がこと細かに書かれていた。


 現地での作戦内容のほか、編成や補給、さらに渡河作戦での失敗を踏まえて行軍についても不足なく書かれている。万事が微に入り細に入り記述されており、かなり精緻な計画書と言えた。


 ただ、全体的に兵力を分散させ過ぎているように思える。それに坑道内での部隊展開の難しさが十分に考慮されていない。


 しかし、それ以前にこれは・・・。


「団長、この作戦は再考すべきです」


「・・・再考って、どこを?」


「どこというよりは、作戦実施の是非そのものをです」


「何を言い出すの!?」


 エミリーが驚く。

 声にはわずかに怒気が含まれていた。


 この作戦計画書には、見るからに大変な労力が費やされている。

 十八歳で騎士団長の職責と向き合いながら、これほど綿密な作戦計画をたてるエミリーの苦労は、一方ひとかたならぬものだっただろう。


 それを否定されるのは我慢できないかもしれない。

 だが、この作戦計画は支持できないのだ。


「あのねロルフ、ゴドリカ鉱山を獲ったらどれぐらい王国に恩恵があるか分かってる?」


 そう。

 この作戦は、王国の国家戦略に大きく影響する。

 それがマズい。


「確かに恩恵はもたらされますが、弊害の方が大きいでしょう。ゴドリカで採れるのは銀だけです。ほかには何もありません」


「分かってるよ。その銀の量が膨大なの!」


 膨大な銀が採れても、人々の生活が豊かになるわけではない。

 この国では、銀の使いみちは決まっている。


「銀は第一類軍需品です。輸出できません。すべて内需に回されることになります。そしてそれの意味するところは大幅な軍拡です」


 ゴドリカ鉱山の鉱床は極めて広大だ。

 それを手に入れたら、王国史に類を見ない、大規模な軍拡が起こるだろう。


「ねえロルフ、誰もが銀の装備を与えられれば、魔族との戦いをより優位に進められることになるのよ」


 エミリーは諭すように言う。

 言っていることは間違っていない。

 戦いは有利になる。

 だが。


「そうなれば戦死者も減る。親しい人を亡くす人も減る。そして何より魔族を滅ぼす日が近づくの」


 そこが間違っているのだ。


「いや、戦死者は増えます」


「なんでよ!?」


「現在戦場の数には事欠かず、中央はいずれの戦場においても戦線の押し上げを望んでいるからです。装備が拡充されて戦力が増せば、中央は今より多くの負担を現場に課すでしょう」


 より優位に戦えるようになれば、より苛烈な戦闘に、より大規模な戦場にと突き進んでいく。

 王国は、国の総支出額の三割以上を騎士団の運用費に費やしている。

 建国時からほぼこの水準だが、俺の感覚では、これは相当高い比率だ。


 王国にとって、魔族との戦争は、ほかの何を差し置いても推し進めるべきものなのだ。

 大量の銀が手に入れば、主戦派の力はいや増し、国はより激しい戦火のなかに踏み入っていくだろう。


「中央がそう判断するという根拠はあるの!?」


「ありません」


 あくまで状況からの推察だ。

 根拠と言えるものじゃない。


「だったら!」


 常になく昂るエミリー。

 俺は努めて冷静に話す。


「それに魔族を滅ぼす必要なんてありません」


「ロルフ!?」


 少々危険な発言ではある。

 魔族の殲滅は王国の悲願だからな。

 だが。


「団長、ひとつの種を滅亡させることなんて現実的にできません」


「それを目指すのが私たちの使命でしょ!? それに戦争は私たちに優位に進んでる! 魔族を滅ぼす日は来る! 私たちがすべてを賭けてそれに向かえば!!」


 そう。皆それを信じている。

 それは絶対不変の国是で、この国に生きるすべての人の思いとされている。


 だが、あの時。

 敵の駐屯地で、魔族の女と戦った時、俺の胸には違う思いが去来した。


 奴も、何かのためにすべてを賭して戦っていた。

 命をすり減らして、必死な思いで戦場に立っていた。

 奴が振り抜く短剣から、それが感じ取れたのだ。


 すべてを賭けてでも守りたい何かを持つ者を、邪悪と言って良いのだろうか。

 俺にはまだ分からない。


 だがいずれにせよ、"滅ぼす"なんて馬鹿げている。

 それは解決方法とは言わない。


「それを修羅道と言うんです」


「バカなことを!!」


 完全に怒らせてしまったようだ。

 こうなったら、怒らせるついでに、もうひとつの理由も言ってしまおう。


「それと、作戦の前提にしている鉱山の脅威度の低下は疑わしいと考えます」


「脅威度の算定はあなたが考えた仕組みでしょ!?」


 たしかにそうだ。

 以前俺は、任地をいくつかのエリアに分け、敵性生物の観測数を元に脅威度を算定することを進言したのだ。その仕組みがいま用いられている。


 このため、ゴドリカ鉱山の脅威度が低下していると判断されて、今回の作戦計画に繋がったというわけだ。


 だが、作戦計画書に書かれた数値は、少し不自然な動きをしている。


「魔獣の減少が些か急速に思えます。何かが起きている可能性を疑うべきです」


「何かって?」


「たとえば強力な個体が発生して、他の魔獣を淘汰しているとか」


「強力な個体ってなに? 発想が突飛すぎるよ!」


 俺としては、潜在するリスクをすべて洗い出したいだけなのだが、たしかに突飛にも見えるだろうな。


「居ないかもしれません。しかし見つかってないだけかもしれない」


 エミリーは大きく息を吐く。

 感情を落ち着けようとしているのだろう。


「ロルフ、銀の装備が行き渡れば、あなたの立場は更に悪くなるかもしれない。でも、これ以上あなたが不当に扱われないように、私が団長としてちゃんと取り計らうから」


 俺の目をまっすぐ見つめて言うエミリー。


「私は絶対にロルフの味方だから」


 その声音は真剣そのものだ。

 彼女は心の底からこう言ってくれている。


「でも、私がそうするためには、あなたにももっと考えて貰わなきゃならない。騎士とはどういうものなのか。私たちはなぜ戦うのか。それをもう一度よく考えて?」


 騎士。俺の夢。

 騎士とはどういうものなのか。

 俺たちはなぜ戦うのか。


 それがちゃんと分かっていれば、もう騎士になれていたのだろうか。

 エミリーのように、とは言わないまでも、少しは尊敬される存在になれていただろうか。


 たしかに騎士団長の決定に異を唱えるようでは、騎士になれるわけがない。

 自分の考えが騎士団の決定より正しいと思うようでは。


 だが、正しくありたいという思いを押しつぶして良いものなのか?

 正しくあるために騎士になるのではないのか?

 この作戦が軍拡に繋がるのは疑いようのないことで、俺はそれを許容できないのだ。


 自分が加護なしだと分かった時、卑屈にはならないと心に決めた。

 通すべき筋を通さず騎士になったとして、それは俺にとって騎士ではない。


 だから俺はエミリーが望む台詞は言えない。


「団長、それでも俺はこの作戦には反対です」


 エミリーの顔が、すっ・・・と色を失う。

 そして嘆息して言う。


「ロルフ、これは騎士団としての決定なの。戦略レベルの決定に、従卒が口を出すことなんて許されないわ」


「・・・申し訳ありませんでした」


 俺は謝罪し、掃除に戻る。

 エミリーは、革張りの椅子に深く身を預け、天井を向いて目を閉じる。


 譲れないもの、譲るべきもの。


 変われない者、変われた者。


 誰もが少年と少女のままでは居られない。

 そんな当然の事実を受け容れず、子供の頃に抱いたものをいつまでも手放せない愚か者に出来るのは、黙って部屋を掃除することだけだった。

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