21_ベッドサイドの麗人
幸いなことに、目を覚ました場所はベッドの上だった。
今度こそ彼岸への川を渡ったかと思ったが、どうやら生きている。
ここは見覚えがある。
医療班の天幕だ。
作戦前夜、リンデルに殴りつけられた後、治療に訪れた場所だった。
「ん? 起きましたか」
看護助手の女性が俺を覗きこんで言う。
「そのまま待ってなさい。起きたら呼ぶように言われてますので」
誰を? と訊く前に彼女は天幕を出ていった。
前回治療を受けた時より、態度に険がある。
たぶん俺が加護なしだってことを知ったんだろう。
ややあって、ティセリウス団長が現れた。
「ロルフ! 目が覚めたか!」
・・・ロルフ?
「ティセリウス団長」
「起き上がらなくて良い。そのままで」
起きようとする俺を制止しながら、ベット脇の椅子に座るティセリウス団長。
戦の疲れからか、彼女は妙に紅潮していた。
「具合はどうだ? どこか痛むか?」
「骨折のせいか少し熱があるようですが、大丈夫です。ティセリウス団長は負傷しませんでしたか?」
「無傷だ。キミが覆いかぶさって、伏せさせてくれたお陰でな」
「そうですか。良かったです」
「うむ・・・・・・」
「・・・?」
「・・・・・・私を呼び捨てにしたのを憶えているか?」
憶えている。
たしかに俺はあの時、天幕に火矢が射こまれるのを見て、彼女の名を呼び捨てで叫んだ。
「咄嗟のことで生来の無作法が出てしまいました。ご容赦を」
「私を伏せさせる時、背後から抱きしめて押し倒したことも憶えているか?」
「か、重ねてお詫び申し上げます」
「憶えているのだな?」
「は、はい」
「ふふ・・・そうか」
彼女は、あのとき俺が掴んだ肩のあたりをさすっている。
口元が緩んでいるが、笑顔で怒るタイプなのだろうか。
「何にせよ目覚めてくれて良かった。丸一日眠っていたのだぞ」
「戦いはどうなりましたか?」
「あのまま敵軍は撤退した。追撃を主張する者も居たが退けたよ。それで終結。我々の勝利だ」
俺の口から安堵の溜息が漏れる。
終わってくれたか。
「君の上官や
「お気遣い恐れ入ります」
俺やエミリーやフェリシアの初陣は勝利で終わった。
皆、無事に帰れる。
いや、俺が無事と言って良いかどうかは議論が分かれるところだな。
まあとにかく終わった。
少しの間をおいて、ティセリウス団長が喋りだす。
「・・・橋が爆破される直前。あの瞬間」
「はい」
「キミは瞬時に判断し、対岸へ走り出した」
「ティセリウス団長も」
「ああ。いつも前に出過ぎると自覚しているが、あの状況で指揮官が対岸へ飛び込むのはまともではない」
懺悔するように言うティセリウス団長。
「だが、そうしなければ渡河部隊が全滅していた。私の体は自然に対岸へ向いてしまった」
「まともな指揮官であればこそ、自軍尽くが濁流の藻屑になることなど許せる筈もありません。あのとき対岸へ向かったのは正しい判断だと思います」
「ありがとう。嬉しい評価だ。キミも同じことを考えた。私より早くな。そして対岸ですかさず行動を起こし、支流へ向かった」
「見ていたのですか?」
「ああ。キミは馬を奪って支流へ駆けだした。あの火薬を満載した木箱を担いでな。それを見て、私はキミに賭けると決めた。支流が解放されるまで渡河部隊を守ることにしたのだ」
「リンデル隊長と、
「そうだ。三人で渡河部隊に対する敵の攻撃を抑えること数分、上流から爆発音が聞こえ、さらに数分後、水流が収まったのだ。それで渡河部隊は行動の自由を取り戻した」
「そこに至るまでの損害はどれほどで?」
「・・・三割ほどが流されるか敵の攻撃にやられた。流された者については捜索も出しているが見つかっていない」
「そうですか・・・」
損害は大きいが、デゼル大橋に敵戦力を吸い上げられなくなったあの状況のなかでは最良に近い結果だろう。
だがティセリウス団長は悔しそうに声を絞り出す。
「本当に無念だ。私が支流の堰き止めを予想できなかったばかりに・・・」
彼女は目を伏せ、その時の光景を思い出して言った。
「渡河部隊が激流に耐えるのは限界だった。あと一分もすれば決壊し、全員流されていたと思う」
ギリギリだったようだ。
支流で敵工作部隊と遭遇した時、迷わず突撃して良かった。
あそこで少しでも逡巡していたら間に合わなかっただろう。
「キミが居なかったら我々は歴史的大敗を喫していた。感謝に堪えんよ」
「そもそも、第五の渡河速度が遅すぎました。戦場に着く前に疲弊するという我々のミスが無ければ、橋を爆破される前に勝っていたでしょう」
「そもそも、キミが夜間行軍を進言しなければ第五騎士団はここに辿り着いてもいないのでは? しかもそれ以前に、キミは本来とるべき行軍ルートを献策していたのだろう?」
「どうしてそこまでご存知なんですか?」
「第五のクランツ隊員に聞いた」
イェルド・クランツに?
意外だ。
「それで、支流を解放したあと、キミはどうしていたんだ? なぜ敵陣の奥から現れた?」
「支流に流されたんです」
「堰き止められた場所を爆破する時にか?」
「はい。支流には敵の工作部隊がおり、安全を確保しながら爆破する余裕はありませんでした。強行突破のすえ爆破し、俺も支流に流されました」
「・・・本当に無茶をするなキミは。よく命があったものだ」
「体が頑丈なことが取り柄ですので」
その点はあの父母に感謝すべきか。
もう俺を子とは思っていないあの父母に。
「そして敵駐屯地の背後を突き、陽動をかけて敵の兵力を後方に吸い上げ、自身は前線へ駆け付けた、と」
「そうなります」
「
「え?」
「あれほどの傷を負いながら独り敵地を
「あ、ありがとうございます」
ティセリウス団長の目元に赤みが差している。
こういうところが優れたトップたる所以なのだろう。
「ところで聞きたいのだが」
「はい」
「あれほどの剣、どうやって身に付けた?」
「・・・・・・?」
質問の意味が良く分からない。
「ティセリウス団長、あれほどの剣とは?」
「キミが魔族に対して放った剣技だ」
「たった二度、しかも折れた手を使えず片手で振った剣ですが」
「だが、およそ考えられないほどに完璧な刃筋だった。あれは本来、何百万回と振らない限り到達できない域にある剣だ」
「何百万・・・ああ、それぐらいなら振ってきてますね」
「そ、そうか」
幼いころから、素振りだけは一日も休んでいないからな。
ただ、今回の作戦行動中はさすがに出来なかった。
帰ったら、当分は出来なかった分を増やして振らないと。
「もうひとつ聞きたい」
「なんでしょうか」
「そもそも魔族相手になぜ剣を振った? キミの剣は魔族の体に届かない。それは分かっていたはずだろう?」
「ああ、そのことですか・・・」
手が、自然とシーツを握りしめた。
「剣が届かないということを自らに納得させたかったんです。絶対に届かないということはもちろん分かっていました。ですが、届かないという事実をこの手で体験する必要があったんです」
「・・・・・・」
「おかしな考え方だと自覚していますが、俺は──」
「いや・・・うん。そうか。そうだろうな。キミはそういう考え方をする男だ。おかしくなどないさ」
ティセリウス団長が優しい声音で俺に同調してくれる。
王国最強の騎士が、俺の不合理な考えを理解してくれている。
そのことが嬉しい。
彼女は居住まいを正し、真剣な、そして少し悲しそうな表情で言った。
「ロルフ。私は第五騎士団の論功には口出しできない」
「ええ、そうですね」
「この戦いにおいて、キミの功は比類なきものだが、正当に報われることはないだろう」
「ないでしょうね」
「・・・キミの境遇は、察するに余りある」
「いや、けっこう楽しくやってますよ」
「ふ・・・そうか」
薄く破顔するティセリウス団長。
どんな表情も絵になる人だ。
「・・・ロルフ、第一騎士団に移れと言われたらどうする?」
────?
ティセリウス団長の問いの意図を考えていると、彼女の後ろから声があがった。
「ま、待ってください! ロルフは私の部下です!」
エミリーだ。
「メルネス隊長、来ていたのか」
「は、はい。たった今。ロルフが目を覚ましたと聞きまして。すみません。立ち聞きするようなかたちに」
「なに、天幕にはノックするドアも無いしな。私の方こそ済まない。上官をとびこえて直接こんな話を。ルール違反だったな」
忘れてくれ、と言って椅子から立ち上がるティセリウス団長。
「ああそうだ、エーリクの件、二人には改めて謝罪する。済まなかった。彼は譴責処分とした」
「リンデル隊長の件、とは?」
「ロルフへの酷い暴力の件だよ。抗議するって言ったでしょ」
「ああ・・・」
たしかに作戦開始前、抗議すると息巻くエミリーに、戦いが終わってからにしましょうと言ったな。実際に抗議したのか。
エミリーに執心しながら報われる気配の無いリンデルが少しだけ気の毒だ。
「元から危ういところのある男だが、そこまでだったとは」
「"殺したところで問題ない"。俺を殴りつけながらそう言っていました。悪意には慣れていますが、あれは狂気に近いものでした。正直、危険な人物に見えます」
エミリーが
俺とのいざこざを抜きにしても、組織にとって危険な男だと思うから。
「うむ・・・。気にかけておこう。ただ、政治の上手い男でな。譴責にしか出来ないのも、そのあたりがあってのことなんだ。どうにも不甲斐ない話で済まない」
「いえ、そんな・・・」
エミリーが恐縮している。
実際、暴力行為とは言え相手は加護なしだ。有耶無耶になっていてもおかしくない。
それでもティセリウス団長は部下を譴責処分にしてくれたのだ。
「十分ですよティセリウス団長。感謝します」
「そう言ってもらえると助かる。では二人とも、私はこれで失礼する」
天幕を出ていくティセリウス団長。
最後に一声かけていく。
「ロルフ、お大事にな」
「はい。ありがとうございます」
ティセリウス団長が立ち去った後、彼女が出て行った天幕の出口を、エミリーはじっと見つめていた。
「いま、"ロルフ"って」
「そうですね」
「いつの間にファーストネームで呼ばれるようになったの?」
「ついさっきです。ティセリウス団長はいつも部下たちをファーストネームで呼んでいますよ」
「ロルフはティセリウス団長の部下じゃないよ。私の部下だよ」
「・・・・・・? そうですね」
王国最強の騎士に名を憶えて貰えたのだから、嬉しい話だ。
それだけのことなのだが。
「・・・・・・あの時、どうしてティセリウス団長を助けたの?」
「指揮官を失うわけにはいかないからです」
俺はごく当然の返答を述べる。
「彼女は鎧を着こんでた。ロルフが守る必要は無かったんじゃないの?」
「いえ、伏せずに爆風の直撃を受けていたら危なかったでしょう」
「でも・・・・・・。まあいいや」
エミリーの表情に、なにか彼女に似つかわしくない感情が去来したように見えた。
「・・・それでね、ロルフ。第一騎士団はまだここに残るけど、第五は明日、ここを出るの」
「そうなるでしょうね」
ここで起きたことを記録したうえ再精査する。
破壊された橋をはじめ、諸々の被害をまとめて復旧計画の素案を作る。
駐留する部隊を編成して流域に配置する。
戦場の整理だ。
ロンドシウス王国の騎士団は、要するに国軍であり、この種の仕事もしっかりやらなければならない。
第一騎士団はまだ当分忙しいだろう。
だが第五にとってここは任地ではない。
戦いが終わった以上、帰るだけだ。
「負傷して治療中の団員は、しばらく残ることになったわ。ロルフも傷を癒して、それから帰ってきて?」
「わかりました」
「本当は私も残りたいけど、タリアン団長に許してもらえなくて」
「エミリー様は先にお戻りください。俺もすぐに帰りますので」
騎士が、それも要職にある者が、従卒に付き添って残るなど、許されるはずもない。
「うん。それじゃ、私は帰りの行軍について会議があるから。お大事にね。治るまで、起き上がって剣を振ったりしちゃダメだよ」
「わかりました、エミリー様」
そう言って、枕に頭を預ける。
そのまま、天幕を出ていくエミリーを横目で見ていた。
彼女は出口で立ち止まり、暫しの沈黙のあと振り返って口を開く。
「ロルフ・・・。その、さっきティセリウス団長が言ってた、第一騎士団に来ないかって話」
「行きませんよ」
無礼を承知でエミリーの言葉をさえぎる。
「改めて誘われることがあっても?」
「はい」
「・・・わかった。じゃ、行くね。早く帰ってきてね、ロルフ!」
笑顔を見せ、立ち去るエミリー。
居られる間は、エミリーの傍に居よう。
それが許される間は。
そんなことを思いながら、目を閉じた。
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