19_渡河作戦4

「げほっ! げほっ! がはっ! ・・・・・・はぁ・・・はぁ」


 どれぐらい流されただろうか?

 下流の川岸に流れ着き、酸素をむさぼる俺。


 川岸の向こうには乾いた大地が広がっていた。

 そして頭上には照りつける太陽。

 視界のすべてが荒涼としており、一瞬死後の世界かと見紛うほどだ。


 だが俺は生きている。

 その証拠に全身が痛いし、肩には矢まで刺さっている。


 支流に突入する前に工作部隊から射られたこの矢は、根元近くで折れていた。

 まあ当然だ。

 僅かに残ったシャフト部分を右手でつかむ。


「ぐあぁっ!!」


 思い切り引き抜いた。

 そして折れた矢を放り、そのまま仰向けに倒れこむ。


「はぁ・・・はぁ・・・」


 自分の状態をチェックする。

 ひとまず四肢は無事だ。

 もっとも無事というのは"ちゃんとくっついてる"という意味だが。


 まず左腕は折れている。

 また左右とも手の小指が折れている。

 それに肩の矢傷のほか、裂傷と打撲傷だらけだ。


 足については、骨は無事のようだ。

 右足首が捻挫しているようで、かなり痛みがあるが、何とか歩けるだろう。


 それと肋骨が折れている。

 おそらく一本では済んでいない。


「はぁ・・・ぜぇ・・・」


 こんな状態でも生きている。

 奇跡に近いのではないだろうか。

 祝福を与えられていない男なのにな。


 神の祝福じゃないなら、何が俺を護ったというのだろう。


「・・・・・・・・・」


 倒れたまま空を見上げる。

 もう、指先すら動かしたくない。

 ひどく疲れた。ひどく眠い。


 静かに目を閉じる。

 このまま、意識を手放してしまおう。


 思考を霧散させる。

 心地よい闇に体を溶かしていく・・・。



 ・・・・・・・・・



 ・・・・・・・・・



 ・・・・・・・・・



 ・・・・・・・・・



「・・・まあ、そういうわけにはいかないよな」


 地に手をついて立ち上がる。

 これほど精神力を要する起床は生まれて初めてだ。


 そして立ち上がった俺は、太陽の位置を確認した。


「エルベルデ河は・・・あっちだ」


 ◆


 人影のない荒野を歩き続ける。

 そろそろ夕方だが、太陽はいまだ手心を加えようとはしない。

 ずぶ濡れだった体はとうに乾ききっていた。


 革鎧が半壊していたため、バラして折れた腕の添え木にし、残りは捨てた。

 そのぶん軽くなっているはずの体は、しかし鉛のように重たかった。


 全身から滲む汗が傷を舐め、激痛をもたらす。

 さっき嫌と言うほど水を飲んだというのに、喉は渇きに貼りついている。

 暑さに喘いで息を吸うと、折れた肋骨が悲鳴をあげる。


 捻挫した右足首がずきずきと痛む。

 肩の矢傷がじりじりと痛む。

 頭の傷が開いて血が顔を伝う。


 こんな状態でも歩き続ける。

 そうするよりほか無いからだ。


「今日は・・・記念すべき日だな・・・」


 背後で火薬が爆発するという稀有な経験をした。

 なんと一日のうちに二回もだ。


「貴重な体験だよ・・・」


 さすがに三回目は無いだろうな。

 とにかく、これで生きてるんだから運が良い。


 それに川に流されて生きてるのも幸運だった。

 エルベルデ河に比べて小さい支流だからというのもあるが。


 そのエルベルデの方で流れに耐えていたフェリシアたちは助かっただろうか。

 橋の爆破から支流の解放まで、そう時間は経っていない。

 数キロしか離れていない支流へ馬で早駆けし、そのまま突っ込んで堰を爆破したのだ。

 それこそ数分だろう。


 間に合った、と思う。

 敵の攻撃に耐えきってくれていれば、きっと助かっているはずだ。

 そう信じる。


 ◆


 どれほど歩いただろうか。

 薄闇が下りるころ、前方にいくつもの天幕が見えてきた。

 駐屯地だ。


 魔族領に分かれる支流へ流され、エルベルデ河方面へ歩いたのだから、当然あれは魔族軍の駐屯地だ。

 それを背後から突いたということになる。


 慎重に近づく。

 茂みに隠れながら接近し、柵を越えて駐屯地に入った。

 妙に人が少ないことに気づく。


 駐屯地は、この背後側が高台になっていた。

 前方に駐屯地全体が見渡せ、その向こうにエルベルデ河が広がっている。


 周囲に気を付けながら、高台の前方に出て戦域を見まわす。

 見えた光景に俺は息を呑んだ。


 王国軍が戦っている。

 すでにこの駐屯地へ突入しているのだ。


 どうやら渡河部隊は河を渡りきったようだ。

 ここまで攻め込まれた魔族軍は、兵力を総動員して抗戦している。

 だからこのあたりに人が少なかったのだ。


 橋の爆破から一転、勝ちが見えてきた。

 だが、さすがに駐屯地内での敵の抵抗は激しい。

 王国軍も、あと一歩というところで攻めきれないでいる。


 となれば俺のやることは陽動と攪乱だろう。

 この駐屯地後部に敵を引き戻して、前線を薄くするのだ。


 周囲を見まわすと、馬が四頭、繋がれていた。

 あれを借りよう。

 次にかがり火を探す。

 すでに日が落ちつつあるので探しやすく、すぐに見つかった。


 魔族のかがり火は、幾つかの松明を鉄籠に押し込んだものだ。

 籠を倒し、火のついた松明を四本取り出す。


 これを持って馬に近づき、鞍に括り付けた。

 馬は少し暴れたが我慢してもらう。

 大丈夫、火傷はしないさ。

 それに今日は俺の方が痛い目や熱い目に遭ってるんだ。


 そして馬を放し、四頭とも走らせる。

 炎に狂奔し、天幕に突っ込んでは火をつけてまわる馬たち。


 馬を見送った俺は、次に無人の天幕を家捜しした。

 見つかったのは矢筒だ。

 さっき支流で使ったものと同じだった。

 併せて弓も拝借する。


 そして高台から次々に火矢を放つ。

 折れた腕で弓を把持するが、当然狙いは定まらない。

 だが動かない天幕に射こむのは難しくなかった。

 目的は攪乱なのだから、馬たちと同じく、天幕に引火させられれば良いのだ。


 馬と火矢により、あっという間に駐屯地後部の各所から火の手が上がりだした。


 魔族軍の前線の隊列は途端に乱れ出す。

 挟撃を受けたと思っているのだ。


 まあ実際、挟撃ではある。

 背後に居るのは腕の折れた男ひとりだが。


 乱れた隊列に、すかさず王国軍が痛撃を与える。

 先頭に立つ騎士のピンクブロンドは、ここからでも良く見える。

 ティセリウス団長はやはり前線に出てきていた。

 彼女の魔法剣が業火を噴き上げ、魔族の隊列をさらに崩す。


 王国軍のなかで目立っている者がもうひとり居た。

 亜麻色の髪の騎士だ。

 剣に轟雷を纏わせ、ひと振りで幾人もの敵を切り伏せている。


「エミリー?」


 なぜ彼女がこちら側に来ているんだ?

 俺が疑問を抱いていると、『氷礫』フロストグラベルが魔族に降り注いだ。

 その向こうには、杖を掲げているフェリシアの姿があった。


「良かった。無事だったか」


 安堵し、大きく息を吐く。

 折れた肋骨がずきりと痛んだが、どうでも良い。

 フェリシアが無事で本当に良かった。


 そして戦いはいよいよ最終局面に向かっていく。

 陽動に兵を吸い上げられて薄くなった魔族の前線に、王国軍が切りこんでいった。


「よし・・・俺も行くか」


 もはや、どれが何処の痛みなのか分からないほど悲鳴をあげる体を動かし、高台を下りる。

 そこかしこから上がる火の手に、傷だらけの顔を赤く染め上げられながら、慎重にあたりを見まわした。


 この後方にも敵部隊が戻ってきているため、敵兵の姿があちこちに見える。

 見つからないよう物陰に隠れつつ静かに進む。

 そして比較的軽装で、馬に乗っていて、なるべく部隊から離れている敵兵を探す。


「あいつはムリ。あれもダメだ」


 妥協せず探し続けると、条件に合う一騎が見つかった。

 四騎の部隊の最後尾で、少し隊列から遅れている。


「あれで行こう」


 物陰から近づく。


 馬の奪取は、今日すでに一回やっている。

 あの時は火薬箱を担いでいたが、今は素手だ。

 さっきよりスムーズに行くだろう。


 いや、さっきは色んな骨が折れたりはしていなかったから、そうでもないか?

 まあいいや。やってみれば分かる。やるしか無いんだから。


 そんなことを思いつつ、横合いから一気に襲いかかる。


「!?」


 敵は驚きに顔を歪め、手に持っていた槍を反射的に振り下ろす。

 だが、すでに俺は懐に入っていた。

 槍の柄を右肩で受け、そのまま敵を馬上から引きずり下ろす。


「ぐぁっ!」


 その声に、前方の三騎がふり返る。

 俺は素早く馬に乗り、ターンして前線へ向けて走り出す。


「まて貴様!」


 敵の怒号を背に走る。


「上手くいった。やはり実地の体験は活きるな」


 一回目と同じ動きで馬を奪うことが出来た。

 もっとも、先に懐に入れたから何とかなったが、敵の手にあるのが槍ではなく剣だったらヤバかったかもしれない。

 次からはそこも気をつけるとしよう。


 そのまま、追いすがる敵を連れて走る。

 前方に戦闘中の両軍が見えてきた。

 あそこが最前線だ。


 馬に踵を入れて隊列へ突っ込む。


 敵は挟撃を警戒していた。

 だが、最前線の隊列に後方から騎馬が突入してくるという事態は想定していなかったようだ。


 虚を突かれた魔族の隊列を、真っ二つに斬り裂いて突撃する。

 頭を低くし、全速で駆け抜ける。


 自軍の隊列内で矢や魔法を向けてくる者は居なかった。

 それに後方の攪乱で前線の兵力を吸い上げた結果、やはり敵の隊列が薄い。


 結果、俺は敵軍を突破した。

 敵陣内を縦断して、自軍のもとへ辿り着いたのだ。


 王国軍の最前列に、エミリーとティセリウス団長が居た。

 そこへ近づき、馬から降りる。

 もはや足が利かず、下馬に失敗して両膝を着いてしまう。


「あの男、なんで向こうから・・・?」


「全身ぼろぼろじゃないか・・・。何があったんだ?」


 王国軍の隊列から声が聞こえる。

 エミリーは茫然としていた。


「ロルフ・バックマン・・・。やってくれたか」


 ティセリウス団長が言う。

 この人、俺の名前を知ってたのか。

 エミリーに聞いたのかな。

 いや、今それはどうでも良いか。


 どうにも思考がまとまらない。

 だがとにかく俺は、自軍に帰ってきた。

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