18_渡河作戦3

 いまだ土煙は収まらず、あたり一帯を覆っている。

 ここは敵陣のさなかだ。

 すぐに行動を起こし、この土煙が収まる前にここを出なければならない。


 耳鳴りが徐々に収まるなか、必要なものを探す。

 橋を爆破した部隊は、橋のたもとにまだ居るはずだ。


 土煙に紛れて近づくと、数人の魔族が居た。

 木箱に火矢を放った部隊だ。

 どうやら爆発の規模が予想以上だったようで、土煙のなか、状況把握と報告にせわしなく動き回っている。


 彼らの指揮系統も一時的に損なわれているようだ。

 ひとりが隊列から離れている。


 彼の背後に近づく。

 怒号の飛び交う喧噪の只中だ。音を立てないようゆっくり行動する必要は無い。

 素早く一気に近づき、背中にとびかかる。


「ぐっ・・・!?」


 両足で相手の両腕を制しつつ、右腕を首にぐるりと回す。

 そのまま左の奥襟をつかみ、絞り上げる。

 手の甲で頸動脈を圧迫し、脳への血流を止めた。


「・・・っ!? ・・・・・・っ!」


 相手は声を出せない。

 しばらくして、がくりと崩れ落ちた。


 すかさず矢筒を奪う。

 これが必要だったんだ。

 それともうひとつ。


 周囲に目をやる。

 橋のそばにあるはずだ。


「・・・よし」


 あった。

 あの木箱だ。

 火薬ってやつは使用量を予測しきるのは難しい。

 かならず多めに予備を用意するものだ。


 積み上げられた木箱の陰に、倒れる男を隠す。

 そして木箱のひとつを肩に担ぎ上げた。

 一辺五十センチほどで、かなり重い。

 ひとりで運ぶものではないのだろう。


 木箱の端が肩に突き刺さる。

 ひどく痛いが、四の五の言っていられない。


 あとは馬だ。

 爆破前は、渡河部隊への対応に関する指示のため、騎乗した伝令が走り回っていた。

 彼らがまだ周囲に居るはずだ。


 喧噪のなか、耳をそばだてる。

 土煙の向こうで蹄の音がする。

 視界が利かないため、注意深くゆっくり歩いているようだ。


 土煙の隙間から視認し、横から近づく。

 ここは一気に行くしかない。

 走って近づき、担いだ木箱ごと体当たりを食らわせる。


「ぐぁっ!?」


 すかさず馬を奪い、片手で手綱を握って走り出す。

 叫び声を背に受け、土煙を突破した。

 このまま上流へ向かう。


 あの時。

 橋上で木箱に火矢が射られた時、俺は退がらず対岸に向けて走った。

 この戦いは既に敗色濃厚だが、まだ賭けるべき目はある。

 そのために対岸へ飛び込んだのだ。


 向かう先は支流だ。

 頭のなかに周辺の地図を思い出す。

 エルベルデ河上流、魔族領側に流れ込む支流の場所は、デゼル大橋からそう離れていなかった。

 せいぜい数キロだ。急げばすぐに着く。


 地図を見る限りでは、支流は、本流のエルベルデ河には当然劣るが、それなりの大きさだった。

 あれを堰き止めれば、エルベルデは激流となるだろう。


 なぜ気づかなかったのか。

 渡河作戦を予想した時。軍議の時。気づくチャンスは何度もあった。


 そもそも、渡河作戦を魔族軍が読んでいる可能性を、なぜ疑わなかったのか。

 俺が気づいたんだから向こうだって気づくに決まっている。

 であれば対策を打ってくるのは当然だ。


 自分の愚かさを呪いながら、馬を全速で走らせる。

 フェリシアや隊員たちは、まだ持ちこたえているだろうか。

 持ちこたえていると信じるしか無い。


 デゼル大橋へ敵戦力を釘付けにする作戦はもう使えないが、爆破後は敵も指揮系統を失っている。

 渡河部隊が行動の自由を取り戻せば、引き返すにせよ渡り切るにせよ、生き残るチャンスはまだあるはずだ。


 支流が見えてきた。

 そして魔族軍の工作部隊の姿も。

 守りは薄い。ここに敵が攻めてくる事態は想定していなかったのだろう。


 矢が射掛けられてくるが、身をかがめてこのまま突っ込む。

 悠長なことはしていられない。


「ぐぅっ・・・!」


 矢の一本が俺の左肩に刺さる。

 痛みに頭が爆ぜ、視界が揺れるが、なおも突っ込む。

 右肩には、担いだ木箱がぎりぎりと食い込んでいる。


 あと少し!

 そう思ったところで、馬が激しくいななく。

 体に矢を受けてしまったのだ。


 馬はそのまま前方へ倒れ、工作部隊へ馬体を投げ出した。

 それを避け、工作部隊が四散する。

 落馬した俺は、すかさず立ち上がって支流へ向けて走り出した。


 身体がずきりと痛む。

 今の衝撃でどこかの骨が折れたかもしれない。


 川岸に辿り着いて下をのぞきこむ。

 支流は眼下四メートルほどのところを流れていた。

 いや、正確に言うと流れていない。

 土嚢がうず高く積まれ、水流を堰き止めている。


 工作部隊員が剣を抜いて走ってくる。

 俺は意を決し、木箱を担いだまま土嚢の山に飛び降りた。


「ぐぅ!」


 土嚢の上に降りる、というより落ちる俺。

 もはや全身がぼろぼろだ。

 だが思い浮かぶのは激流に耐えるフェリシアたちのことだった。

 たのむ。まだ耐えていてくれ。


 木箱を土嚢の上に置き、背負った矢筒から火矢を抜く。

 やじりの根元に紙火薬が巻かれており、着火部には黄燐が塗られていた。

 扱い方はわかる。魔族の武装について調べておいて良かった。

 黄燐部分への摩擦で火がつくのだ。


 靴底で火矢をこする。

 しゅっ、という音がして鏃が燃え出した。


 木箱を見やる。


 この木箱、中はどうなっているのだろうか。

 火薬が隙間なくみっしり詰まっているのなら、この火矢を刺した瞬間に爆発する。

 隙間があるなら、爆発まで少しの猶予があるだろう。


 さっき、橋で爆発した時はどうだっただろうか。

 背後で木箱に火矢が刺さる音がしたあと、爆発まで間があったか?


 思い出せない。

 まったく不甲斐ない。

 だが関係ないか。

 どの道この火矢は刺す以外に無いのだから。


 見上げると、工作部隊が川岸に辿り着いていた。

 そして俺の手にある火矢を見て、凍りつく。


 何か言う場面か?

 花火は好きかい? とか。


 いや、要らないな。

 相手を吹き飛ばす時に言うならともかく、吹き飛ぶの俺だしな。


 判断が鈍る前に、矢を振りおろす。

 がつり、と音を立て、鏃が木箱に食い込んだ。

 すかさず土嚢の山から支流へ飛びこむ。



 ────俺が河に入ると同時、轟音が響いた。



 至近での爆発によって、凄まじい衝撃が水中の俺に叩きつけられる。

 熱波が水面を叩き、爆風が水中に奔流を生んだ。


 俺は竜巻の中に放り込まれた手布のように、一切の抵抗ができないまま激流に全身を玩弄される。


 土嚢が千切れ飛び、大量の砂が周囲に爆散した。

 一気に流れ込む水が、その砂を呑み、局所的な土石流になる。


 水中を木の葉のように舞わされている俺に、その土石流が叩きつけられた。

 まるで暴れ牛に襲いかかられたかのような衝撃が背中を襲う。

 いや、腹か? もはや分からない。


 奔流は俺の全身を握りつぶそうとし、次の瞬間には引き千切ろうとする。

 自分がいま、どういう体勢でどっちを向いているのか分からない。


 四肢が付いているのかも分からない。

 息もできない。

 目も開けられない。

 開けても土砂らしきものが視界を覆うだけだし、そもそも視覚情報を脳がまったく処理できない。


 次から次へと支流に流れこむ水は、俺を路傍の石のように事も無く蹴り飛ばし、そのまま下流へと向かっていく。


 とにかく水は流れこんでいる。

 支流を流される俺のこの有様が何よりの証明だ。


 自分の命が危うい状況ではあるが、俺はやるべきことをやった。

 支流の堰き止めを解除したのだ。

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