17_渡河作戦2
「水位が上がってるって・・・どこがだよ、でくの坊。適当なこと言ってんなよ」
「たしかです! 一刻の猶予もありません! すぐに
「ロルフ、いいから少し落ち着いて。渡河部隊を退がらせるなんて、そんな指揮権ここには無いよ」
・・・ああ、そうだな。
そのとおりだ。
戦場で冷静さを失うなんて。
そんなだから未だに従卒なんだよ、ロルフ・バックマン。
息を大きく吐いて頭を落ち着ける。
「エミリー様、水位は先ほどより一センチほど上がっています。これからさらに水位が上がり、水流も強まります。まもなく渡河部隊は行動不能になり、そののち流されてしまいます」
人間は、水流の強さによっては膝まで水に浸かった程度でも行動不能になる。渡河部隊は既に全員、河に入っており、隊列の前の方は腰まで、後方も膝まで浸かっている。
このままでは全員が行動不能になり、その後も水流は強まり、ひとり残らず濁流に消えるだろう。
フェリシアもだ。
「その妄言に根拠があるなら説明しろ」
「根拠は水位が上がったことです。団長、支流が堰き止められたんです」
「なに?」
「失礼します!」
「あっ、ロルフ!?」
デゼル大橋を見下ろす高台から、転がるように滑り降りる。
そして橋に向けて走り出す。
地図を見た時に気づくべきだった。
たしかに上流に、魔族領側へ流れる支流があった。
あれを堰き止められたら、エルベルデ河の水位と水流は一気に増す。
フェリシアら渡河部隊は流されて終わりだ。
橋の手前には第一騎士団のベルマン副団長がいる。
だが彼に伝えても間に合わない。
直接ティセリウス団長に伝え、橋の上から号令をかけてもらい、渡河部隊を引き返させる。
それしかない。
戦闘の激しい喧噪に包まれるデゼル大橋に到達する。
皆、死に物狂いの形相で戦っており、凄まじい熱気に俺は一瞬圧倒された。
連携を指示する声、回復魔法を請う声、状況を報告する声。
戦傷著しく倒れ伏す者に、必死で呼びかける声。
俺はさっきまで彼らを高台から見下ろして、ああだこうだ言っていたのだ。
「訳知り顔で講釈を垂れる」とイェルドは評したが、まったく言い得て妙だ。
恥ずかしくなる。
だが立ち止まってはいられない。
ぶつかるように人波に押し入っていく。
命がけの戦いを邪魔して本当にすまない。
だがこちらも、渡河部隊全員の命と、この戦いの勝敗がかかっているんだ。
「通してください! すみません! 緊急です! ティセリウス団長に重大な報告があるんです!」
騎士たちを押しのけ、橋を進む。
隙間の無いところに、むりやり体を押し込んで分け入っていく。
人一倍大きなこの体が疎ましい。
幾つかの怒号を浴びながら、なんとかそこへ辿り着く。
ピンクブロンドの麗人は、最前線から退がってきたところだった。
次の動きを前線の騎士たちに指示し、後方へ伝令を出している。
「貴様! ここで何をしている!」
怒声はリンデルのものだ。
彼を無視してこちらも声を張り上げる。
「ティセリウス団長!」
「キミは・・・たしか第五の従卒か? あとにしろ!」
当然の反応だ。
一瞬でも気を抜けない戦闘のさなか、従卒に構っていられるわけがない。
だが非常事態なのだ。
「あとにはできません! 河をよくご覧ください!」
「なに?」
「水位が上がっています!」
「!?」
「フザけたことを抜かすな! これ以上邪魔をするなら斬る!」
リンデルから再び怒声が上がる。
彼の目には水位が上がったようには見えないのだ。
さっきよりさらに上がっているが、それでも二センチほど。
ここから見て分かる者はそう居ない。
進軍中の渡河部隊にも分からないだろう。
だが重大な事態になるまで、もう時間が無い。
河川の増水というものは、短い時間の間に劇的に起こるのだ。
ティセリウス団長は河を凝視し、顔に驚愕を浮かべた。
異変に気付いたようだ。
「支流を堰き止められたんです! 一刻の猶予もありません! 渡河部隊を退げてください!」
俺が再度叫ぶと、ティセリウス団長は剣を高く掲げて注目を集める。
そして、その外見からは想像もつかない
「全渡河部隊に告ぐ! ただちに退却せよ! 繰り返す! 全渡河部隊は退却!」
四つの渡河部隊すべてに命令は届いたようだ。
突然の退却命令を受け、いずれの部隊も驚きに目を見開く。
だがティセリウス団長の声音に含まれる真剣さは伝わったようだ。
第一騎士団の渡河部隊を皮切りに、いずれの部隊も後方へ引き返し始める。
「第六分隊は前へ! 第四を退げつつ回復! 次の交代で障壁を張り直すぞ! 魔導第三、準備せよ!」
ティセリウス団長はすかさず橋上の戦線維持に意識を向け、指示を出す。
だが、僅かに唇を噛みしめたその表情は、事態を読めなかったことに対する自責の念を表しているようだった。
だがそんな彼女を、そして俺たちを嘲笑うようにタイムアップが訪れる。
エルベルデ河の水位と水流が渡河部隊の足を捕えたのだ。
彼らはその場から動けなくなってしまった。
隊列後方の、まだ浅瀬に居た者たちも動けなくなっている。
そこはもう浅瀬ではなくなっていた。
つい数分前まで進軍していた彼らは、いまは剣や杖を河底に刺してつかまり、水流に耐えている。
皆、表情に焦燥を浮かべている。
だが流れはいや増すばかりだ。
このまま耐えてもいずれ流されるのみだが、彼らはもう一歩も動けない。
さらにそこへ、敵軍から矢と魔法が向けられる。
もはや盾を構えられず、杖もふれない彼らは、なすすべなく攻撃に晒されることとなった。
抵抗できず次々に討ち取られていく仲間たち。
それを目の当たりにした橋上の部隊を自失が覆う。
それは、ほんの僅かな時間。恐らく三十秒ぐらいのものだっただろう。
しかし一瞬たりとも気を抜かず戦線を維持してきた第一騎士団にとって、三十秒の自失はあり得ぬ失態と言えた。
ごく僅かとはいえ、前線への兵力供給に間隙が生まれていた。
すべてがスローモーションに見える。
橋の前方で敵が退がっていく。
それを追う味方が居ない。
敵が退がった場所には、幾つもの木箱が置かれていた。
俺は人波を押しのけ、前方に向けて走り出す。
ティセリウス団長も走り出しながら声を張り上げる。
水魔法を前方に放てと叫んでいる。
だが間に合わない。
敵は橋上から完全に撤退し、そして木箱に向けて火矢を放ってきた。
俺は木箱を飛び越え、なお走る。その先は既に無人だった。
そして火矢が飛ぶ下を全力で走り抜ける。
同じように背後を走る者たちが居る。
ひとりはティセリウス団長だろう。
あとは分からない。振り返っている余裕は無い。
あの木箱の中身が何なのか、当然考えるまでも無い。
火薬だ。
そこに火矢が刺さる音がする。
どすどすと、俺たちの胸中に絶望を喚起させる音がする。
次に何が起こるか、これも考えるまでも無い。
永遠とも一瞬とも思える時のあと、それは起きた。
────轟音。
耳を
◆
「ぐぁっ!!」
為すすべなく空中に投げ出された俺は、そのまま対岸に落ちる。
さっきまで橋だった木っ端が、全身に降りそそいだ。
身体中を痛みが苛む。
つまり、俺は生きている。
ならばまだやることがある。
震える体に鞭打って立ち上がろうとする。
ここは対岸。敵陣だ。倒れている場合じゃない。
周囲を見回すが、もうもうと立ち込める土煙と、激しい耳鳴りが状況の把握を阻害する。
必死に立ち上がり、目に流れ込む血を拭う。
方向感覚が失われているなか、彷徨うようにあたりを見渡す。
すると、視界を覆わんとする土煙に、一瞬だけ隙間ができた。
その向こうには、見たくない光景が広がっていた。
橋は破壊され、橋上で戦っていた第一騎士団は潰走状態。
渡河部隊は急流に晒されて河の中に釘付け。
もはや流されるか射られるかの選択肢しか無い。
王国軍の圧倒的敗北。
誰もそれを否定し得ない光景だった。
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