11_祝福なき日々4
皆が食事しながらする談笑を背景に、暖炉を掃除する。
昔から掃除が好きで、気分が塞いだ時など、無心に部屋の掃除をしたものだ。
そうすると、いつの間にか気が晴れてきて、部屋がきれいになると同時に気分も落ち着く。
ルーティーンと言われるもので、人によっては料理だったり散歩だったりするようだが、俺の場合は掃除だった。
しかし暖炉の掃除は初めてだ。
使用人がやっているのを見たことがあるので、それを思い出しながらやってみることにする。
まず暖炉内に残る大きな燃えくずを取り除く。
灰はあとで良いだろう。煙突から煤を落としてから一緒に除去すれば良い。
暖炉内に入り、ランタンを向けて煙突を見上げる。
煙突の内壁に煤がこびりついている。煙突上部はそうでもない。下部の掃除をすれば綺麗になりそうだ。
煙突内に身を押し込み、ブラシで内壁を掃除する。
煤がぼろぼろと落ちていく。これはなかなか気持ちが良い。
柄の長いブラシも使い、煙突中部まで掃除する。
ブラシでこすってはランタンを向け汚れを確認する。
そしてまだ汚れている壁面を再度こする。
繰り返しているうちに、煙突内部も綺麗になった。
身をよじって煙突から出て、次に暖炉を綺麗にする。
暖炉の壁面を煙突と同じように掃除し、煤をこそぎ落としていく。
あらかた汚れを落としたところで、いったん暖炉から出て確認する。
だいぶ綺麗になったようだ。
あとはもう少し暖炉の壁面をブラシでこすり、最後に底面に溜まった煤を取り除けば良いだろう。
食堂では、皆食事を終えていて、お茶を飲みながら談笑していた。
「
誰かが言うと、一拍おいて大きな笑い声が巻き起こる。
たしかに俺は全身煤だらけだ。顔も真っ黒だろう。
笑い声は収まることなく続いた。
涙を流しながら手を叩いている者も居る。
エミリーがどんな表情をしているか、容易に想像がつく。
俺と目が合えば、彼女は悲しそうに俯いてしまうだろう。
だから俺は彼女の方を見ないようにした。
◆
その日の夜更け。
俺はいつものように本部棟の裏で訓練をする。
剣を振り続ける俺のもとにエミリーがやってきた。
「ロルフ・・・これ」
彼女は手にパンを持っていた。
夕食を摂れなかった俺に持ってきてくれたようだ。
「ありがとうございます」
俺にパンを渡すと、本部棟の壁を指し示すエミリー。
「ここ・・・」
エミリーの意図を察し、壁際にエミリーと並んで座る。
そしてパンを食べながら、エミリーと話す。
「・・・今日はごめんね。あんなことをさせちゃって」
「構いません。むしろ部隊長になって今が大事な時なんですから、あまり俺を庇うようなことは言わない方が良いかと」
「部隊長になったのだってロルフのおかげなのに」
「それはエミリー様の勘違いです。エミリー様には指揮官の器がありますよ」
「でも・・・」
彼女は黙ってしまう。
俺はパンを食べ終えたが、このまま訓練を再開するのもエミリーに悪いので、黙って彼女の隣に座っていた。
「ねえ、ロルフ」
「はい」
「この自主訓練って、毎晩やってるんだよね」
「はい」
正確には朝と晩だが。
「意味・・・あるのかな」
それは以前フェリシアからも聞かれた問いだった。
「あると信じています」
「ロルフは、その、頭良いじゃない? だから軍略とか、部隊運営とか、他に出来ることはあると思うの。部隊長を置く件みたいに、組織を変えるような具申もしてるんだし」
「俺の意見など聞いてくれるのはエミリー様だけです。俺が部隊運営に関われるチャンスは無いでしょう」
「だ、だからそれは、私が団長を説得して・・・」
「エミリー様としては上官を信じたいでしょうが、団長が俺の価値を認めてくれることは無いと思いますよ」
「そ、そうとは限らないよ! ちゃんと話し合えばきっと!」
食い下がるエミリー。
俺を本気で案じていることが見て取れる。
「剣を諦めたとしても、それは弱さなんかじゃないよ。指揮卓の前でなら、魔力が無くても戦える。そうでしょ?」
そのとおりだ。
だが、俺が指揮卓の前に行くことを許す人間は、今のところ騎士団には居ない。
エミリーは俺の能力を信じてくれているが、他の者には俺を信じる理由が無いのだ。
エミリーには、そこが分からないのだろう。
それに俺は剣を捨てたくはない。
「エミリー様。軍略や部隊運営も勿論騎士の本分です。その方面でもエミリー様のお役に立てれば良いとは考えています。ですが、ずっと俺の拠り所だった剣を置くことは出来ません」
「ロルフは・・・その・・・」
エミリーは、言いづらそうに言葉を紡ぐ。
「剣を信じるのを、上手く止めることが出来ないでいるんじゃないの? ・・・ずっと振ってきた剣が何とかしてくれるって、そう思いたいだけなんじゃないの?」
「そうかも知れません。剣も厄介な相手に惚れられたと思っていることでしょう」
「・・・そっか」
それから、しばらく無言のまま空を見つめる俺とエミリー。
バックマン領に居るころは、こうしてよく一緒に星空を見たものだ。
それがもう遥か昔に感じられる。
「ロルフ・・・。お父様から手紙が来たの。私ね・・・」
「はい」
「婚約者が決まった」
「・・・・・・」
「アールベック子爵家の長男。ケネトって人。知ってる?」
「ええ。アールベック領はこのノルデン領のすぐ隣ですね。長男は確かまだ12歳でしたか」
「そう」
「・・・・・・」
「ひょっとしたら、その、ね。ロルフが騎士になって、それでみんなに認められたら、そしたら・・・」
そうしたら元の予定のとおり、俺がバックマン家を継いでエミリーの夫になれるかもしれない、か。
心臓が砕けるほどに悲しいが、それはあり得ない話だ。楽観というレベルを越えている。
だが、エミリーはそれを信じたくて、だから俺に、剣とは別の道を目指すよう求めてきたんだ。
なんと答えれば良いのだろう。
俺はエミリーが幸せでさえあれば、それで良い。
かと言って、貴女の幸せを願っています、は不正解なのだろう。
それは分かる。それは分かるが、正解が分からない。
魔力が無いことを恥じたことは無いが、こういう時の台詞をひとつも持っていないのは、やはり恥ずかしい。
婚約したことのある十六歳の男なら、普通は何か言えるはずだ。
しかし記憶の中を必死に探しても、一向に使えそうな台詞が見つからない。
万策尽きた俺は、エミリーの横顔を見つつ、口をついて自然に出てくる言葉に任せることにした。
「・・・部隊長になっても泣き虫ですね」
こちらを向くエミリー。
「・・・私泣いてない」
「泣いてます」
「涙出てないよ」
「でも泣いてます」
「・・・・・・」
本当に世界は残酷だと思う。
俺が祝福されない男だというなら俺だけが悲しい目に遭えば良いのに。
俺は
どうして俺じゃない人が悲しい思いをしなければならないのだろう。
「未来のことは分かりません。しかし言えるのは、エミリー様が俺を認めてくれても、加護なしへの風当たりは恐らくエミリー様が考えている以上だということです。叙任を受けたとしても、家を継ぐという目はまずありません」
「うん・・・」
俺はエミリーから視線を逸らさずに言う。
言葉が
エミリーも俺の目をじっと見ている。
「しかしどこかに道は繋がっているかもしれない。それを探すしかないんです。そのためには愚直に剣を振っていても駄目なのかもしれません。エミリー様の言うとおりなのかもしれません」
「・・・・・・」
「でも、戦う術を放棄したら、剣を手放したら、そこで道が途切れるって、俺はどこかでそう確信しているんです」
「・・・・・・」
エミリーに胸の内をさらけ出す。
彼女に向けて語りながら、弱い自分に向けて言っているようでもあった。
「俺が剣を振り続けて、それが未来に繋がるかは分かりません。でも俺はそうするべきだと信じました。そして信じた以上は、そうする以外に無いんです」
「・・・・・・」
「何の裏付けも無いことを好き勝手に言ってるって自覚してます。でも、こうするよりほか無いんです」
「うん・・・分かった」
エミリーは頷いて答える。
「ロルフがそうするべきだと思ったんなら、私もそれを信じる」
「エミリー様・・・申し訳ありません」
「なんか、謝ってばかりだね。私たち」
「・・・そうですね」
エミリーに合わせて笑顔を作る。
上手く笑えているだろうか。
結局この夜、俺は何を信じて何を選んだのか。
自分のことなのに良く分からなかった。
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