2.
「ミシマさんですよね? 時間ないんで歩きながら説明します」
駅に着いたところで、知らない女の子に腕をがっしり掴まれて引っ張られる。一駅分ゆっくり散歩をした俺は、爽やかな気分で帰ろうと思っていたのに。一体どこのラブコメだよ。思わず心の中で突っ込んでしまった。
「あの、ちょっと、人ちが」
「言い訳はいいですから。今日は搬入日だから早く来てくださいって言いましたよね? 十五分の遅刻です」
有無を言わさぬ口調に、俺はもしかしてミシマという名前だったのかと錯覚させられてしまう。怒っている女の子は怖い。余計な口は挟まない方が良さそうだが、後々めんどうくさいことにならないだろうか。誤解は解いておいた方がいいとは思うが、彼女の剣幕に押し負けた。
「作品は私が指示するんで、その通りに配置してください。ところで軍手は持ってますか?」
「いや、ないけど」
「これ貸しますから」
後ろも見ずに、新品の軍手を手渡される。用意周到というべきか、彼女の言うミシマが普段からだらしないのか。
彼女の後ろ姿をぼんやり眺める。長い黒髪は高い位置で一つに結ばれて、彼女が動くたびに髪の毛が左右に大きく振れる。ゆるめのカーゴパンツに白いTシャツ。パンツにはペンキか絵の具の跡があちこちに飛んでいてカラフルだ。
「え、あれ? 重そう」
「え? バカにしてます?」
こじんまりとした公園の片隅に、何やら重そうな彫刻が鎮座している。材質なんかはてんでわからないが、青っぽいような緑っぽいような色のオブジェや、金属の光沢が鈍い茶色の像がドサッと置かれている。
思わず口にした言葉に、彼女は気分を害したようだ。くるりとこちらを振り向いた彼女は、猫のように大きな目がとても可愛かった。
「ミシマさ……ん?」
小首をかしげた彼女の頭に「?」マークが見えるようだ。くりくりとした両目がスッと細くなって、俺を凝視している。そのあまりにもベタな反応に、俺は思わず笑ってしまった。
「あ、あの、すみませんでした!」
恥ずかしそうに慌てふためく彼女の反応が面白くて、また笑いそうになってしまう。
「せっかくだから、少し手伝うよ」
「いや、でも、本当これ重いんで、人違いでこんなことさせられません」
ぐちゃぐちゃと言い訳をする彼女がまた愛らしくて、こういうことってあるんだな、なんて考える。たまにはヘッドフォンを忘れて歩いてみるもんだ。
「ミシマ、って子と、俺、似てる?」
「あの、えっと、多分、似てると思います」
ひどく曖昧な言い方にまた笑いがこみ上げる。きっとそれだけ彼女もテンパっていたということだろう。
女の子一人でこの彫刻像を動かすのは、少し酷というものだ。申し訳なさそうにしている彼女をよそに、とりあえず手近にあった一つを持ってみる。想像通りの重さが、両手にずっしりときた。
すみませんと何度も頭を下げる彼女だったが、いざ運び始めるとキリッとした表情で的確に指示を出してきた。さっきまでの情けない表情とはまるで別人だ。
彼女の言う通りにあちこちに像を動かしていく。まだ六月とはいえ、少し動くと汗ばんでくる陽気だ。時折吹き抜けていく風が心地いい。
「これで最後、かな」
運び終えて、彼女の作った像達を改めて眺める。抽象的、というのだろうか。特定の何かを模しているような造形ではなかった。丸みを帯びていたり、角が立っていたり、独特のリズムでつなぎ合わさっている。美術は何もわからないけれど、彼女のくるくると変わる表情とリンクしているようで興味が湧いた。
「本当にありがとうございました。人違いだったのにすみません」
「いいって。どうせ今日の予定なんてなかったし」
尚も頭を下げる彼女を制して言葉をかけた。これは本当だ。いつだって同じ毎日の繰り返しで、真新しいことなんて何一つない。今日だって気まぐれに散歩に出たものの、特にすることもなくて帰ってドラマでも消化しようと思っていたのだから。
「あの、今更なんですがお名前聞いてもいいですか。私は白岩瞳(しろいわ ひとみ)です」
「三木島覚(みきしま さとる)。ミシマって呼ばれた時、ちょっと俺のことかと思った」
白岩さんの声がすっと耳に馴染んでいく。このまま別れてそれっきりになるのは、嫌だった。一生懸命な白岩さんともっと話してみたいと思った。
「確かに三木島とミシマって似てますね。えっとあと、連絡先教えてもらってもいいですか? 私、今日スマホ忘れちゃって……お礼がしたいので電話番号教えてください」
お礼なんていいのに、と思いつつ、彼女の差し出してきたメモ帳に名前と電話番号を書いて渡した。彼女がスマホを忘れてなかったら、こんなことにはなってなかったのかと思うと不思議な気分になる。
ありがとうございましたと送り出されてしまったので、名残惜しいけれどそのまま帰ることにした。彼女、白岩さんから連絡なんて来ないかもしれない。いつもなら、それでも仕方がないと諦めるだろう。
だけど今日は、今日のことだけは違って見えた。だらだらとどこまでも続いていくパラパラ漫画ではなく、美しい一枚の絵画を見たようなそんな感じだ。きっとこれから、昨日とは、昨日までとは違う日々が来るに違いない。
いつだって昨日の続きだった毎日が、今日を境に別のものに変わっていく気がしてならない。俺が散歩なんかしようと思わなければ、ヘッドフォンを忘れなければ、彼女がスマホを忘れなければ、交わらなかった二人だ。
街の雑踏が耳に心地よい。生身の人間が奏でる騒音が、今までのどんな音より生き生きと聞こえた。
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