第79話 なくしもののターミナル

「ターミナルへようこそ。まぁ、普通のお客様なら辿り着く事は滅多にないのですが」


 女性、或いは女の子と思しきその声を聞いたわたしは、電車の中で寝過ごしたのだとすぐに思った。自分が電車に乗ったという記憶はあった。講座を受けるために街に出て、慣れぬ電車に揺られていたはずだった。講座の内容うんぬんよりも、出張そのものに疲れ果てていた気がする。残念ながら、普段のわたしは山奥の職場で働いている。大都市に出たというだけでどっと疲れたのだ。

 重い瞼(どうやらわたしは今まで目をつぶっていたらしい)をこじ開けるように開くと声の主が見えた。車掌らしき制服を身にまとった、おそろしく若い女の子だった。どれだけ年長に見積もっても中学生くらい、下手をすれば小学生くらいではないかを思うほどだ。というよりも子供がコスプレしているみたいだった。


「ターミナルって言ったのはあなたかしら」

「ええそうです。もう私も、かれこれ※十※年はここのターミナルを管理しておりますから」


 何とも間の抜けたわたしの問いに、女の子はにこやかな様子で応じてくれた。途中で彼女の声にノイズが走ったような気もするが……

 そんな事を考える暇を与えずに、女の子はこちらに手を伸ばす。


「人が流れてくるのはあまり良い事では無いのですが……ひとまず一緒に行きましょう」


 女の子に促され、わたしはいつの間にか立ち上がって頷いていた。何処へ向かうのかは解らない。だけど今は彼女に憑いて行くほかない。頭の中でそんな考えがぼうっと浮かんでいた。


「ここがその……お嬢ちゃんが案内したかった場所なの、ね」


 女の子に案内された場所にやってきたわたしは、思わず口を開いていた。そこは公民館や体育館のように広々とした場所だった。但し、そこここに古びた物品が陳列されており、そのせいで狭苦しく感じられた。骨の折れた傘やぼろぼろの雑誌のようなあからさまなガラクタもあれば、比較的綺麗なぬいぐるみや品の良いハンカチなど、物品たちは多種多様だった。それでも物品たちには共通点があった。何処となく使用された気配があったのだ。新品同然の物はないと言っても良いのかもしれない。


「ここはのターミナルと言われています」


 女の子はわたしに背を向けたままぽつりと言った。


「誰かがなくしたものが流れ着く場所なのです。運が良ければ新しい場所に流れ着く事も出来るのですが……私はそれを受け入れ、仕分け、落ち着くべきところに落ち着かせる仕事を請け負っています。

 もちろん、流れ着くのはモノだけでは無いのですが」


 視界の端で、何かうごめくものをわたしは見た気がした。犬や猫の形をしていたように思ったのはきっと気のせいだ。


「お姉さん。あなたは――」


 女の子が振り返ってわたしに何か言おうとしている。しかし何を言おうとしているのかは解らなかった。それどころじゃなかったからだ。言い切る前に何処からか若い男がやってきて、わたしに躍りかかってきたのだ。


「お、お、お。久しぶりに女がやって来てんじゃん。ま、確かにターミナルの管理人も女の子だけどさ、本当にまだ子供だもんなぁ……でもお姉さん。あんたが来てくれて嬉しいぜ」


 興奮気味に語る青年の姿に、わたしはぎょっとした。あからさまにチンピラやヤンキーみたいだったからではない。彼の着ているシャツは、赤茶けた血でべっとりと汚れていたからだ。それに目が怪しい。映画で出てくるゾンビみたいな眼だとわたしは反射的に思っていた。


「いや、来ないで……」


 亡者めいた様相の青年が手を伸ばす。わたしは距離を取りたくて鞄を振るった。彼の手指は鞄の取っ手を握ろうとする。そこでブチリと何かがちぎれる音がした。鞄の持ち手にぶら下げていたキツネのぬいぐるみは、青年の手指の中にある。

 間違えました、すみません――女の子が声を張り上げてわたしにそんな事を言っている。だけど彼女の声は遠くから聞こえるみたいで、何て言っているのかさっぱりだ。景色も水槽の中にいるかのようにぼやけてきたし。


 結局のところ、私が目を覚ましたのは病院の中だった。曰く電車の中で熱中症になり、そのまま意識不明の状態になっていたのだそうだ。熱中症と言えども危ない所でしたよ。神経質そうな医者や看護師にはそう言われた。


 病院を出る時に鞄を見てみたら、持ち手の部分にぶら下げていたぬいぐるみが無くなっていた。落としたのかもしれないと思ったが、ぬいぐるみを繋ぐチェーンは途中でちぎれていたのだ。

 わたしはそこで、なくしもののターミナルの事を思い出してしまった。そのターミナルのお世話になる日がまた来てしまうのか。それは私には解らないけれど。

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