第75話 その人格はフィクションです

 中学生から大学生くらい(そしてもちろん若い社会人も)の若者たちの間で、にわかに「架空の楽園」なるSNSが人気となった。

「架空の楽園」の実態を掴むのは難しいのだが……要は超大型のSNSだったのだ。いや、オンラインゲームのような要素も含んでいるという訳であるから、文字通り電脳世界に誕生した楽園と言っても良かったのかもしれない。


 この「架空の楽園」には不思議な特徴があった。主な特徴は二つである。一つ目はどれだけ利用しても依存症めいた悪影響を利用者が被る事はないという事。そして二つ目は、利用者はハンドルネームを使用する事を強く推奨されていたのだ。というよりも、実名で登録するなとトップページに書かれているという。昨今のSNS界隈では実名登録を推奨すべきか否かという話が度々議論されている事を思えば、いかにも不思議なルールであるとも言えよう。

 ともあれ、そう言った特徴から若者の支持を受けていた事もまた事実だったのだ。


「架空の楽園」というサイトにアクセスしたのは一度きりの事だった。トモミがそのサイトをアクセスしたのは好奇心によるものだった。不思議なサイトとして「架空の楽園」はクラスメイト達の中で取りざたされていたのだ。人気があるにもかかわらず、そのサイトがどのようなものなのか誰も詳しくは言う事は出来ない。そんなサイトであると。

 結局のところ、トモミもどんなサイトであるかを把握する事は出来なかった。強いて言うならば、眠った後に妙に解像度の高い夢を見たという事くらいだろうか。と言っても、内容がいささか地味なので明晰夢というのははばかられた。何せ自分がパソコンに向かい、何やらサイトを眺めている夢だったのだから。

 それ以降も、特にトモミの生活には大きな変化はなかった。強いて言うならば前よりも少し眠気が強くなった事と、明晰夢めいた生々しい夢を見る事くらいであろうか。生々しく記憶に残る夢の中では、さも当然のようにトモミはパソコンでサイトを眺めているのだ。


 奇妙な事が起きたのは、夏休み前の事だった。奇妙な出来事はトモミに降りかかったのではない。奇妙な出来事を見聞きしたと言った方が正しいであろう。

 クラスメイトの小森君が、授業中に妙な事を口走ったのだ。「俺は今小説を書いている! 作家なんだぞ!」と。例えばこれが国語の授業であったならばまだ話は通じるであろう。しかし数学の授業で、連立方程式の問題を解くように命じられた返答がこれだったのだ。

 小森君は作家だと思い込んでいた。というかネット上で小説を掲載するウェブ小説作家なのだと豪語していた。そして聞かれてもいないのに小説の内容をとうとうと語って聞かせたのだ。

 教師も学級委員も誰も彼も唖然とする中で小森君は話し続け、およそ十分後に椅子に座り込んだ。「何だろう……僕ってどっちなの……」と小声で呟きながら頭を抱えていたのがトモミには見えた。

 教師と保健委員の男子に導かれて小森君は保健室に連行された。それを眺めながら、トモミはある事に気付いてしまった。小森君が語った小説とやらの内容を自分は知っているかもしれないと。しかしそれはあの奇妙な夢の中での出来事であるが……


※※

 トモミがかつてアクセスした「架空の楽園」のからくりは、件のサイトの閉鎖と共に明るみになった。サイトに登録する事により、利用者にはが誕生するという事なのだ。楽園の民とも呼ばれる第二の人格こそが、「架空の楽園」を利用し、虚構の世界で遊び呆けるというからくりだったのだ。

 利用者がどれだけ利用しても依存症にならない事も、若者たちに有名である割に詳細が明らかにならなかったのもそのためだった。何せ「架空の楽園」を利用しているのは第二の人格なのだから。主人格はその記憶を知らないのだから。

 第二の人格を生み出す作用があるからこそ、実名を使ってはならなかったのだ。

 小森君はきっと、うっかり実名で登録してしまったのだろう。だからこそ二つの人格がごっちゃになってしまったのかもしれなかった。

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