第74話 紫煙と狐狸

 これは、わたしが喫煙室で見聞きした話の内容である。


「ああ、もう煙草も無駄に高くなって気ぃ悪いなぁ。これかて、少しは五百円で二箱買えたのに……」

「そんな、五百円で二箱なんて十年以上前の事やんか。ああもう、オッサンはすぐに昔の事を言うからなぁ」

「小僧もよう言うわ。でもな、あんただってあと二十年もしたら、十年前なんぞちょっと前の事に思えるんやで」

「それはそうと、煙草って悪者にされがちだけど、やっぱりそれだけじゃあないですよね」

「そらそうや。そうでなければ未だに煙草を吸うてる人間はおらんがな」

「それに俺らは、こうしてたばこ税を納税しとる訳やし」

「何より煙草は美味しいからな」


 その時喫煙室の中では妙に意気投合しており、そんな風に会話が飛び交っていたのだ。とはいえ、煙草にまつわる話題に始終していたに過ぎないのだけど。


「……それに煙草は、狐狸妖怪を撃退する効果があるからな」


 煙草のメリットについて盛り上がっている中で、一人の男がそんな事を言った。その言葉には妙な凄味があり、少なくとも冗談を言ってからかっているような気配は見受けられなかった。

 だが、そんな風に思ったのは、若輩者のわたしだけだったらしい。


「ははっ。この令和の世で狐狸妖怪なんて笑てまうわ」

「そりゃあまぁ確かにアニメでやってたけどな」

「俺は実際に、煙草で狸に化かされたところを切り抜けたんだよ」


 紫煙を吐き出しつつ高笑いする喫煙者に対し、その男は落ち着いた様子でそう言っていた。そしてそれからは昔話へ突入コースだ。若い頃に山里で狸に化かされ、煙草で一服すれば化かされたのを抜け出す事が出来た。

 後で考えれば、それは昔話などで見かけるありふれた話なのかもしれない。しかしわたしは、そのように考える事は出来なかった。

 その理由は主に二つある。まず、あの時の男の話す様子が脳裏に残っているからだ。あれは作り話で煙に巻いて遊んでいるような表情ではなかった。

 それと――わたしは不可解な事件の事を思い出してしまったからだ。数年前に起きた、煙草の不始末による火災の事である。運悪く集合住宅が全焼した事件だったのだが、焼け跡から人の他に獣の遺体も見つかったと報じられていたはずだ。

 獣の遺体が何であるかは定かではないが、狐や狸の死骸だったのではないか。そのような噂が何故か立ち上っていた。その事をわたしは思い出してしまった。

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