第73話 身代わりバイト

「あの子ったら大丈夫かしら……」


 先輩である香川研究員がため息を漏らしたのは、昼休みのカフェテリアでの事だった。呟きを間近で聞いてしまった鴇田富夫は、一瞬ちらと香川研究員の方を見やり、それからツレであるフタバと目配せをした。

 フタバというのは社員ではなくて、この会社にて極秘開発されたヒューマノイドだった。訳あって鴇田が彼女の観察を行う役割を担っていたのだが……少し前から彼女もこうして職場に顔を出している。見た目通り成人女性と同等の知性と知識を持つ彼女は、ごくごく自然にスタッフの一員になっていたのだ。香川研究員や鴇田の後輩であるような立ち位置でもある。

 そう言う訳だから……という訳でも無いのだが、鴇田とフタバは行動を共にする事が多かった。不思議と一緒にいると心が落ち着くのだ。そして香川研究員は鴇田たちの先輩であるから、三人で何となく固まっている事が多いというからくりである。


「香川先輩。知り合いの方が何かあったのでしょうか?」


 物怖じせずに尋ねたのはフタバだった。香川研究員は何度か目を瞬かせていたが、もう一度ため息をついてから口を開いた。


「学生時代の友達が、ちょっと危ないバイトに手を染めているみたいでね。それでその……遊びに行こうとかって誘ってくれているんだけど、ちょっと心配でしょうがないのよ」

「危ない……」

「……バイトか」


 鴇田とフタバは呟きながら互いに顔を見合わせた。ちょっと危ないバイト。果たしてそのバイトの危険度はちょっと危ない程度で留まってくれるのか。最近見聞きする物騒なニュースを思い返しながら鴇田は思った。

 違う、違うのよ。二人が深刻に考えている事に気付いたのか、香川研究員が両手をひらひらと振った。


「鴇田君にフタバさん。危ないバイトって言ってもね、今話題の闇バイトとかじゃあないのよ。法に触れる様な物ではないはず……だとは思うんだけど」

「それじゃあ治験みたいな物でしょうか」


 ゆるくウェーブのかかった髪を揺らしながらフタバが小首をかしげる。ここで治験という言葉が出るのが何とも彼女らしいな、などと鴇田は能天気に思っていた。

 ところが、治験という単語を聞いた香川研究員は、渋い表情で頷いたのだ。


「鋭いわねフタバさん。実際には治験とは違うんだけど……ある意味似たようなものかもしれないわ」


 バイト内容はなのだ。手短に言った香川研究員の言葉を、鴇田のみならずフタバもすぐには飲み込めなかった。


「対象の人が被るよろしくない物を……怪我とか事故で負ったものを代わりに請け負うような仕事なのよ。もちろん、報酬は恐ろしく高額なんだけどね。

 ああでも、そんなバイトをわざわざ選択するあの子の気がしれないわ。高額なお金と引き換えに、見知らぬ相手の怪我や傷を請け負わなければならないなんて」

「確かに……僕もそう言うのは怖いですね」

「それにしても、どうやって別の人に傷とかを転移させているんでしょうか」


 鴇田とフタバはそれぞれ思った事を口にしていたが、フタバの言葉を聞くや、香川研究員の瞳がギラリと輝いた。


「……それはやはり、企業秘密なんでしょうね。正直なところ、その技術は私もいち研究員として気になる所ではあるけれど。あ、でも変な事に使うとかそんなんじゃないから安心してね」


 自分よりもいくらか年長の香川研究員の言葉に、鴇田はたじろいでしまった。研究員の業や逃れられない性という物を、この職場で感じるのは珍しくない事だというのに。

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