第71話 入れ替わりの話

 ある朝目を覚ました僕は、自分の身体がフワフワと浮かんでいる事に気付いた。

 とんでもない大異変である。人間の身体がフワフワ浮かぶ事なんてまず無いのだから。もしかしたら死後の世界? そんな物騒な考えまで浮かんでしまった。

 少し落ち着いてから(?)僕は自分の身体が変質している事に気付いてしまった。

 僕の身体は全体的に白く、何やらぷよぷよした皮で包まれていた。その割に両腕は細く、指は四本しかなかった。両足も両腕と似たような形だった。指は五本だったけれど。

 この辺りで、僕は腹ばいになって浮かんでいる事に気付いた。それから、自分が今どのような姿になっているのかも。


『おう、目覚めたみたいだな同居人』


 自分の姿が奇妙に変質している事に愕然としている時間は与えられなかった。僕の目の前に大きなナニカが現れて呼びかけたからだった。それがニンゲンの言葉だったのかどうかは解らない。だけど向こうの言わんとしている事は伝わった。

 同居人。ナニカの言葉を僕はゆっくりと咀嚼していた。同居人だって? 僕は一人暮らしの大学生じゃないか。ペットとしてウーパールーパーのウパ夫がいるにはいるけれど……いやまさか。


『そうだよ同居人。おれは確かに同居人の言うウパ夫だ』


 ナニカ、いやウパ夫だと言い張る僕の姿をしたそれと、ウパ夫の姿になった僕は今や向き合っていた。

 信じがたい話であるが、そうだと思う他なかった。僕の姿は部分的にしか見ていないが、確かに白いウーパールーパーのそれになっているように思えた。それに、僕の部屋に同居している生物と言えば、ウパ夫以外いないではないか。

 入れ替わったんだよ。ウパ夫はあっけらかんとした様子でそう言った。この異様な状況が、起こるべくして起きたと言わんばかりの物言いだ。


『おれも元々同居人のような暮らしがしたいと思っていたし……それは同居人だって同じだったんだろ? だから入れ替わったんだ。等価交換ってやつだ』


 等価交換だと! ウパ夫の口から――実際に口から発せられた声なのかは解らないけれど、まぁ便宜的な話だ――発せられた知的な単語に、僕はまたしても心が乱れた。水槽の中で浮かんでぼんやりしているウパ夫が、こんな風に知性を蓄えていたなんて。それに、僕がウパ夫の暮らしを羨ましく思っていたのも嘘ではない。


『だーいじょうぶ。今はまだお試し期間らしいから、おたがいうんざりしたら元に戻るらしいし。そんな事より同居人。モーニングルーティーンの時間だ』


 そう言うなり、天井がにわかに明るくなった。そこから何かが入り込み、浮かんでいた僕の位置がどんどんと下がっていく。

 何をされているのか大体見当はついたが、当事者として立ち会うのは初めてだったから、情けないが僕はどうにも戸惑ってしまった。ウパ夫がやっているのは水替えなのだ。

 そして上部が文字通り波立ち水位が上がっていく。汚れていたであろう水がきれいになったのを感じた。

 その後は上空(実際には水面だけど)から肉塊が降り注いできて、僕はそれを喰らいつくのに夢中になっていた。その時の僕は、果たして人間だったのかウーパールーパーだったのか定かではなかった。何しろ肉塊を見るや、空腹と捕食の本能が首をもたげたのだから。僕の肉体に宿ったウパ夫は、僕の姿をどんな気持ちで見ていたのだろう。

 気が付いた時にはウパ夫の気配はなかった。そして僕が食べたのは、冷蔵庫の中にあった魚の切り身だったのだと悟った。

 但しこれは、日頃ウパ夫に与えている餌ではない。ウパ夫にはペレット状の専用の餌だとか、冷凍赤虫などを与えていたのだ。ウパ夫はだから、わざわざ魚の切り身を用意して僕に与えたのだ。僕の為なのか、僕の宿る本来の肉体の為なのかは定かではないが。


「――そんな訳で、昨日は何とも妙な一日だったんだよ」


 翌日。僕は大学のカフェテラスで彼女や友達に昨日の出来事を話していた。

 ウパ夫と入れ替わったらしい僕だったが、目が覚めると元通りになっていた。要するに、僕は人間の僕として目を覚まし、ウパ夫はウーパールーパーとして水槽の中で泳いでいたのだ。僕がウパ夫になってウパ夫が僕になるなんて。全くもって夢みたいな話ではないか。

 だけど、夢として片づける事は出来なかった。スマホを覗き込むと、日付が丸一日過ぎていたのだから。夢だと思っていた空白の一日は、確かに僕はウパ夫になっていたのだ。そしてウパ夫は僕として大学に向かっていたのかもしれない。

 おずおずと僕は二人に視線を向けた。彼女にしろ友達にしろ、どちらかと言えばノリのいいタイプである。だから僕の話を笑い飛ばすかもしれないと最初は思っていた。

 だけど二人とも、真面目な表情で僕の話を聞いているだけだった。時々二人の間で思わせぶりに目配せなどを交えながら。

 よもやウパ夫のやつ、大学で妙な事をしでかしたのではないか……不安とも苛立ちともつかぬ気持が僕の中で渦巻いていく。

 僕は意を決し、二人に尋ねた。


「もしかして、昨日の俺は二人に何か変な事でも仕出かしちゃったのかな? 何せ中身がウパ夫で……あいつは流石に大学の事は知らないからさ」

「ううん……」

「それがさ……」


 僕の問いに、彼女も友達もあいまいな様子で首を振るだけだった。そして次の瞬間に飛び出してきた二人の言葉に、僕は愕然とした。

 同居していたペットと入れ替わっていたのは、何ものだ。彼女は愛鳥(セキセイインコ)のピーコと、友達はフェレットのジローと入れ替わっていたのだそうだ。


 後で解った事であるが、入れ替わりは同時多発的に昨日あちこちで発生したらしい。動物を飼っていない者はサボテンやマリモなどと意識が入れ替わり、動物を飼わず植物を育てていない者は、その辺のカタツムリなどと意識が入れ替わったらしい。

 して思えば、ウパ夫と入れ替わった僕は、まだまだマシな部類だったという事だろうか。

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