第68話 闇色の契約
お前に安寧をもたらそう。お前が対価を差し出してくれるならば。出会った獣はそう言った。紫がかった毛並みを持つ、狐とも狸とも猫ともつかない獣だった。
思いがけぬ出会いに彼はもちろんたじろいだ。喋る獣などに出会ったのだからまぁ当然の反応だろう。ついでに言えば、獣と出会ったのはさびれた神社に詣でた直後だから、尚更恐ろしく、得体の知れない存在に思えたとしても無理からぬことだ。
「……この頃お前さんが何かと熱心に参拝しているようだからな、俺も神使としてお前の願いを叶えてやろうと思ったのだ。何、悪いようにはしない」
獣の碧眼がここでぐるりと動く。彼の喉はごくりと動いた。
元よりあの神社を見つけたのは、休日の無聊を慰める散策での事だった。うっそうとした木々の中に鎮座する社に心を惹かれたのは……何かと心がささくれていたからなのかもしれない。仕事中はコンクリートジャングルの中に身を投じ、仕事と言わずプライベートと言わず電脳世界を闊歩する暮らしは、刺激的ながらも疲れるのだから。
お前の心は見えている。臆面もなく獣は言った。
「そのお前さんの心を俺は対価として頂こう。悪い事はしないから安心しな。俺はな、こう見えてもポジティブな心の動きが好きなんだ。存分に喜び、存分に楽しめ。それでお前の心の中にある世界を俺に提供するんだ。それで良い。それが良い」
「……そんなので、良いんですか」
獣の提示した対価に、彼は目を丸くしていた。おのれの心が獣には見えている。それが事実なのだと彼は思っていた。心の中にある世界、というくだりで確信してしまったのだ。誰にも言っていない趣味を言い当てられたと思っていた。
その代わり。獣の口から息が漏れる。生臭くはなかった。それどころかむしろ線香と花の蜜の中間のような甘い香りだった。
「お前が敵と見做すモノ。その露払いを致そう」
獣は笑い、そして彼も笑った。
果たして獣と彼の間に契約は為されたが……それによって彼に安寧がもたらされたのか、獣は彼のポジティブな心を見る事が出来たのか。そこまでは解らない。
ただ、彼の周囲でいくらかの奇妙な事件が起き、彼自身が行方不明になるという事で事件はぴたりと収まった。ただそれだけの話だ。
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