第64話 白雀は禁足地の遣い

 ここまで自分が何かに渇望するとは思ってもいなかった。独りでいる方が肌に馴染み、しかも家族とも距離を置きたいと切望していたはずの自分が。

 何かというのは小説である。タイトルやシリーズ名、作者の名前は敢えて口にはしない。商業作品ではなくてウェブ小説だからだ。それも、書籍化や商業化が目に見えているような人気作ではない。趣味のために――丁度自分がそうしているように――ひっそりと書かれては消されるような代物だった。

 幸か不幸か、自分はその作品の世界観の虜になってしまった。その作品群で展開されるのはめくるめく怪奇譚である。自分と似た題材で、それでいて自分では書けない容赦のなさが垣間見える。そんな作品たちだった。

 しかしその作者はもう現れない。エタる事がウェブ小説の中では珍しくもなんともない。むしろよくある事だ。なのに、それなのに自分はその作品の再来を望んでしまった。

 もう既に自分は魅入られているのだ。その作品、その世界に。


 玉鴫町の外れには禁足地らしきものがあった。禁足地と解るのは、うっそうとした一角がしめ縄で囲われているからだ。しめ縄はいつ見ても真新しいわけではない。しかし必要以上に朽ちている事も無かった。誰かが定期的に訪れては、古くなったしめ縄を取り換えているのではないかと、まことしやかにささやかれていた。

 その禁足地の先に、児山はやってきていた。彼を先導する白いコートの青年が、慣れた手つきでしめ縄の一片を断ち切る。


「さぁどうぞ、ごゆっくり楽しんでください」

「ありがとう白鳥君」


 白鳥と呼ばれた青年は、児山に向けてにっこりと微笑んでいた。全くもって屈託のない笑みだった。禁足地に足を踏み入れる。とんでもない禁忌を犯しているような恐怖心は、しかしそれ以上の興奮で押し流されてしまっていた。 

――玉鴫町の万年藤の根元に向かえば、自身が逢いたいと思っていた事物に逢う事が出来る。たとえそれが死人であっても架空の存在であっても。

 そのような伝承が、この禁足地には伝わっていた。しかしそれ故に禁足地だったのだ。当然の話だ。万年藤の許で直面するのは、厳しい現実ではなくて甘美な幻想なのだから。幻想にぶつかった人間が堕落して駄目になるのは当然の摂理ではないか。

 児山はしかし、白鳥の口車に乗ってしまった。それだけあの創作の世界に取り憑かれていたのだろう。発表などしないのに、あの世界を再現しようと二次創作めいたものにも手を出していたくらいなのだ。オーガスト・ダーレスやロバート・ブロックだって、ラヴクラフトの世界観を自分なりに表現したではないか。そんな免罪符を抱えながら。

 垂れ下がった薄紫の花が露わになる。その名の通り、万年藤は年中花を咲かせている。その花が見えたら根元は近い。しらじらとした地面を踏みしめながら、児山は胸が高鳴るのを抑えきれなかった。

――白い仔狐を見つけた時には、思わず彼は歓喜の声を上げていた。自身の手で復刻しようとしたその人物の作品群には狐が憑きものだったからだ。しかも普通の狐とは違うのは、倍以上存在している尻尾の数でも明らかだ。


※※

「フジカワさん。この人ですよね?」

「しめ縄も断ち切られていたし、樹木子の遣いの仕業でしょうね」


 禁足地の内部。軍人よろしく重装備を施した二人の女性が、蔓をうねらせる万年藤の許へと向かっていた。万年藤の蔓は彼女たちに蔓を伸ばすものの、どちらも慣れた手つきで短剣を振り回し、撃退していた。魔除けの能力をも備えた短剣には、流石に人の生き血を糧にする万年藤もどうにもならないらしい。これは前に回収した3Dプリンターにて作り出したものであるが、中々に優秀な物ではないか。

 万年藤の正体。それは樹木子じゅもっこと言う妖樹であった。樹木子自体は通りかかった人間に枝を伸ばして生き血を吸うと伝わっているのみである。しかしこの万年藤は、標的に都合のいい幻影を魅せて、逃れられないようにしたうえで餌食とするのだった。

 だから心の隙間がある者ほど危険な存在になるという事だった。


 今回の標的は、幸いにもまだ取り込まれている途中だった。彼に絡みつく蔓を切り裂くと、血のように紅い樹液が噴出してくる。しかし女性たちは動じない。フジカワさんはこの手の案件には慣れていたし、もう一人の少女も桜の精を母に持つ半妖なのだから。


「……術者風情がでしゃばるなんて」


 少年のような、憎々しげな声が頭上から降りかかる。見れば真っ白な雀がこちらを見下ろしていた。

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